本郷みつる

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本郷 みつる(ほんごう みつる、1959年10月12日 - )は、東京都葛飾区出身・新潟県新潟市育ちのアニメーション監督演出家。本名の本郷満をはじめ、ほんごうみつる郷 満潮乱太渋谷ポチ名義での活動もある。

代表作に『クレヨンしんちゃん』『チンプイ』など。

目次

[編集] 作風

[編集] 略歴

高校時代からアニメファンで、アニドウの機関紙『フィルム1/24』の編集をアルバイトで手伝うほど。アニメ業界入りの直接のきっかけは、宮崎駿テレビアニメ未来少年コナン』を見たことで、放映の翌年の1979年にアニメーション専門学校へ入学し、1981年亜細亜堂へ入社。同期には望月智充がいた。当初から演出志望だったが、アニメーターとして動画でキャリアをスタートさせる。やがて、亜細亜堂が演出家の養成を行なうことになったため、本郷も1983年から演出の仕事を開始。主に東京ムービー新社スタジオぴえろの作品の演出を手がけた。しかし、亜細亜堂の同期の望月智充が早くからアニメ雑誌で特集を組まれて注目を集めたのに対して、本郷は評価されず、次第に情熱を失う中で、1987年になるとついに『陽あたり良好!』で演出から降板させられる事態となる。その本郷が頭角を現わしたのが、同年に参加した『エスパー魔美』から始まるシンエイ動画の一連の作品である。チーフディレクターの原恵一に刺激を受け、シンエイ動画の現場で同世代のスタッフの中で活力を取り戻す。1989年には『エスパー魔美』の後番組『チンプイ』でチーフディレクターに就任した。オリジナルビデオアニメ『チャイナさんの憂鬱』の監督を持って一区切りをつけ、1991年に亜細亜堂を退社。1992年2月に亜細亜堂出身の西村博之じゃんぐるじむ出身の高倉佳彦の2人のアニメーターとともに、フリー集団、めがてんスタジオを結成し、引き続きシンエイ動画で『クレヨンしんちゃん』を監督して大ヒットさせた。めがてんスタジオでは『クレヨンしんちゃん』の劇中劇超電導カンタム・ロボ」を生み出した。1996年に同作を降板した後はProduction I.Gオー・エル・エムを拠点とし、『シャーマニックプリンセス』、『星方武侠アウトロースター』、『キョロちゃん』、『カスミン』、『IGPX』など幅広いジャンルの作品に携わる。

「アクション仮面の唄」「キョロちゃんえかきうた」などの作詞も手掛ける。

1996年の降板以降、『クレヨンしんちゃん』には一切関与していなかったが、2008年4月19日公開の映画『ちょー嵐を呼ぶ 金矛の勇者』で、約12年ぶりに同作に携わることになった。

[編集] 人物像

児童文学SFを愛好。腰の低い監督として知られるが、宮崎駿ベルリン国際映画祭での受賞会見で日本のアニメ業界の現状を痛烈に批判したため業界関係者が右往左往していた折に、アニメージュの記事内に「名監督の発言だからといって業界全体が右往左往するのはおかしい」と正論を言ってみたり、『クレヨンしんちゃん』を批判する親を指摘する為に番組内番組として、しんのすけとは逆に礼儀正しい少年が主人公の『エンピツしんちゃん』を作るなど、ハッキリした思想や言論を持つ人物である。

本人は表に出る事は余り好まないと思われがちだが、これはあくまで先輩演出家の思想(「アニメ関係者が雑誌で目立つのは不愉快」という考え方)を本郷自身がマネしているだけで、元から顔出しNGというわけではない。単に写真を公開せず(写真を公開しないのは本人が写真を撮られるのが苦手というのもある)、似顔絵を公開するスタイルがいつの間にか定着し、それを本人が変えていないだけである。本人によれば「ネットを探しても自分が死ぬまで(自分の顔写真の)画像が見つからない方が面白い」とのこと。

また、佐藤順一には妙なライバル心を抱いている。絵コンテで参加する時に使用される「潮乱太」は本来、佐藤のコンテをストーカーする意味で設定されたものだと語っている(「佐藤(砂糖)」に対して「潮(塩)」、「順」に対して「乱」)。

[編集] 参加作品

[編集] テレビアニメ/OVA

[編集] 監督作品

[編集] 演出作品

[編集] アニメ映画作品

[編集] ゲーム作品

[編集] 外部リンク

先代:
-
クレヨンしんちゃん監督
初代: 1992年4月 - 1996年9月
次代:
原恵一
先代:
-
ムトウユージ
劇場版クレヨンしんちゃん監督
初代:1993年 - 1996年
第5代:2008年
次代:
原恵一
しぎのあきら

最終更新 2009年12月5日 (土) 02:50 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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