本駒込

本駒込の最新ニュースをまとめて検索!

本駒込(ほんこまごめ) は、東京都文京区にある地名で、一丁目から六丁目まである。居住人口は23,326人(2007年10月1日現在)。郵便番号は113-0021。東京メトロ南北線の駅名で使用されているために知名度がある。

目次

[編集] 概要

本駒込は文京区の北側に位置し、江戸時代諸藩の下屋敷や武家屋敷が置かれたことから、明治時代以降に政官財界人の邸宅が立つ地域となった。このため、今でも山手線内の高級住宅街と下町風情を偲ばせる街として知られているが、邸宅のうち多くはビル、分譲マンションなどに変わりつつある。明治期の邸宅の名残りは本駒込6丁目(大和郷)に残る。また、駒込富士神社や諏訪山吉祥寺はじめとして由緒ある寺社が数多く点在し、東京の都心にありながら緑地に富んだ地域である。

旧白山通り本郷通り不忍通りが交差する上富士前交差点を一帯とするエリア。JR山手線駒込駅、東京メトロ・本駒込駅が最寄り駅となる。

本駒込を代表する名勝の六義園(国の特別名勝)は、徳川5代将軍・徳川綱吉の側用人・柳沢吉保(大老)の下屋敷に吉保自らが、和歌の世界を庭園で表現しようと設計した庭園と言われている。

明治期に岩崎弥太郎三菱財閥の創業者)が購入し、後に東京都へ寄贈。枝垂桜でも有名。ライトアップされた景観は圧倒的。

周辺の本駒込六丁目は大和郷(やまとむら)という都内屈指の住宅街がある。初代名誉郷長に若槻禮次郎(総理大臣)が就任。また皇后美智子雙葉お受験のため、俵孝太郎氏の旧宅に移り住んだことでも知られている。現在自民党の鳩山邦夫氏が大和郷に住む。

不忍通り沿いの本駒込2丁目には、オフィス棟と住宅棟を要した文京グリーンコートが平成10年に完成。商業・グルメゾーン・スーパーなども完備。本駒込は東京都心の利便性と歴史や緑があるエリアと言える。

[編集] 歴史

[編集] 住居表示実施前後の町名

駒込片町、駒込曙町、駒込富士前町、駒込吉祥寺町、駒込浅嘉町、駒込動坂町、駒込神明町、駕籠町などが合併されて誕生。

古くからの駒込が豊島区と文京区とに分断されており、旧本郷区にあったこの地は本郷駒込ということで住居表示の際に本駒込となった。

[編集] 縄文・弥生・江戸・明治時代

本駒込5丁目と豊島区駒込一丁目との堺で発見された、駒込一丁目遺跡からは、弥生時代後期の遺跡が発見されている。これまで20軒を超える竪穴住居が発掘されている。同じく、本駒込5丁目の駒込富士神社の境内にある駒込富士は前方後円墳の古墳といわれている。全国古墳編年集成では500年代末の前方後円墳とされている。

本駒込3丁目の動坂遺跡は、縄文時代の遺跡の上に江戸時代の遺構が発見された珍しい場所である。縄文遺跡は、縄文中期の住居跡と土器だった。 江戸時代の遺跡は、8代将軍徳川吉宗鷹匠の屋敷跡だった。現:駒込病院には動坂貝塚記念碑がある。

本郷通りは江戸時代、日光御成道とも呼ばれ、徳川将軍家日光東照宮に参拝する道として決められていた。

本駒込三丁目には、明暦の大火と江戸大火によって移転してきた諏訪山吉祥寺がある。武蔵野市吉祥寺の由来。幕末に幕臣として最後まで抵抗を続け、その後新政府の外交官・閣僚を歴任した榎本武揚の墓がある。

江戸時代(現:本駒込5丁目・駒込一丁目)にかけた場所は、旗本の本郷丹後守の屋敷跡で、明治2年に維新の三傑木戸孝允が、別宅とした。木戸が晩年病になり養生しているところへ、明治天皇が2度に亘って見舞っている。戦前までは聖跡に指定され、行幸の碑がある。付近には木戸坂という坂がある。

今の街が形成された江戸・明治から時代を遡ってみると、駒込の地名は多数歴史に登場している。駒込は日本武尊が命名者との説があり、ルーツは日本の歴史の原点までさかのぼる。近くの西ヶ原でも旧石器時代の出土品や縄文時代の集落跡が見つかっている。本駒込および文京・豊島周辺エリアは東京圏の歴史学上、非常に興味深いエリアとも言える。

[編集] 主な施設・名所など

[編集] 交通

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月23日 (月) 04:19 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【本駒込】変更履歴

ご利用上の注意

もっと調べる!