札幌アイスホッケークラブ

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札幌アイスホッケークラブ(Sapporo Ice Hockey Club)は、北海道札幌市をホームタウンとするアイスホッケーの社会人クラブチームである。

目次

[編集] 沿革の概要

[編集] 岩倉組

元母体は苫小牧市・岩倉組アイスホッケー部。日本リーグ第1回(1966年)で優勝するなど名門チームとして知られていた。

[編集] 雪印

その後岩倉組が休部した1979年雪印乳業が選手を引き受けた上で札幌市に移転。日本リーグの名門チームとして名を馳せて、自社リンク「雪印スケートセンター」を設けるなど、ソフト・ハード面でも充実したチームとして知られた。

しかし、2000年の牛乳による集団食中毒事件が発生したことによる経営責任を取って企業のスポーツ活動を自粛。アイスホッケー部もそのあおりを受けて2000-2001年シーズンの日本リーグを最後に雪印チームとしては幕を下ろす。

[編集] 札幌ポラリス(第1期)

その後、地元札幌市の市民が中心となってクラブチーム「札幌アイスホッケークラブ・札幌ポラリス」として2001-2002年シーズンの同リーグに参戦をするが、資金繰りが悪化しわずか1年で(岩倉組→雪印と合せると36年間に渡った)日本リーグから撤退を余儀なくされる。2003-2004年シーズンの参加を目指して資金集めに奔走したが日本リーグ(アジアリーグ)への参戦のメドが立たず、運営会社母体の札幌アイスホッケークラブは解散した。

[編集] 札幌イーガー・ビーバーズ

その後、STVラジオのパーソナリティで銀座園代表取締役の牧泰昌を理事長として任意団体・札幌イーガー・ビーバーズとして改めて設立。2003年に元西武鉄道若林修を監督に迎え入れ、2004年には全日本選手権にも出場。埼玉栄高校東洋大学を征し、日光アイスバックスに破れたものの全国ベスト8に入る。その後、NPO法人の認証を受ける。

[編集] 札幌ポラリス(第2期)

しかし、同年フロントと若林が対立し袂を分かったため、ポラリスの名称を復活することになり[1]、当面は札幌のアイスホッケー文化の定着を念頭に置いた地域密着型のチーム運営を目指し、地域リーグレベルの大会に出場し、2005-06年から北海道地域を対象とした日本リーグ北海道(J-ice-north)に出場しながらアイスホッケーの普及を目指し活動している。

2006年、同じ札幌市をホームタウンとするコンサドーレ札幌と相互協力提携を結ぶ。

[編集] 札幌アイスホッケークラブ

だが、アジアリーグ参戦へ向けての資金を得る事はできず、加えてリーグ戦でも苦戦が続いて選手の流出も続いたため、NPO法人での活動は困難を極めた。

結果、2008年を以ってNPO法人は解散。任意団体「札幌アイスホッケークラブ」として再出発となる。

[編集] 大会内容

札幌市主催の公式試合においては、通年連続で優勝している。

2005-2006年シーズンから始まった新リーグ(Jアイス・ノース・リーグ)には北海道各都市の4クラブチームが参戦。 帯広市からタダノアイスホッケークラブ、釧路市から釧路厚生社、YONH.COMの2チーム、札幌市から札幌ポラリスが参戦し、初年度の(J-ice)では釧路厚生社が優勝、ポラリスは準優勝の試合結果。

2006-2007年の(J-ice-north)には、釧路市から釧路厚生社セトルブレイズの2チーム、帯広市からタダノ、札幌から札幌ポラリスが参戦し、優勝はセトルブレイズ、準優勝はタダノで、ポラリスは最下位。

2005年、長野で行われた全日本選手権ではサーパス穴吹に敗れ、2006年、札幌で行われた全日本選手権ではインカレ一位の東洋大学に敗れ、2007年、青森で行われた全日本選手権で、東洋大学と再び対戦しこれも敗れている。いずれも全国ベスト8を逃している。

[編集] 主な活動

日本アイスホッケー連盟が主催する公式試合に参戦し、練習は札幌市内の月寒体育館江守記念星置スケート場真駒内アイスアリーナで行っている。

大手企業主導による下支えのないアイスホッケーチームで、複数の企業から募った広告収益や、個人からの会費収益の確保も平行して取り組んでいる。

[編集] 脚注

  1. ^ 「イーガー・ビーバーズ」の名称に関する権利は若林が保有していたため、チーム名変更を余儀なくされたの最大の理由であると考えられる。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク


最終更新 2009年9月19日 (土) 11:13 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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