札幌市営バス
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赤・クリーム塗色
最終期のディーゼル車の塗色
札幌市営バス(さっぽろしえいバス)とは、札幌市交通局が1930年(昭和5年)から2004年(平成16年)3月31日まで運営していた公営バスである。
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[編集] 概要
最盛期は市内各方面に路線網を展開していたが、利用客の減少により慢性的な赤字経営が続いていたため、札幌市は「交通事業改革プラン」を策定。2001年(平成13年)に市営バス事業からの撤退を正式決定し、2003年・2004年の2回に渡って民営バス事業者へ委譲された。政令指定都市で市営バスが消滅した初めてのケースとなった。
ただし、札幌市営地下鉄との乗継割引制度はそのまま引き継がれ、「エコキップ」の利用も従前と同様に可能である。
[編集] 営業所
- 新川自動車営業所
- 東自動車営業所
- 所在地: 札幌市東区東苗穂2条2丁目3-1
- 1977年11月10日、開設。
- 2004年4月1日、北海道中央バス札幌東営業所に移管。
- 琴似自動車営業所
- 所在地:札幌市西区二十四軒2条7丁目1番21号
- 2003年4月1日、ジェイ・アール北海道バス琴似営業所に移管。
- 藻岩自動車営業所
- 白石自動車営業所
- 所在地:札幌市白石区川北2254-7
- 1960年12月3日、開設。
- 2001年4月1日、北海道中央バス白石営業所に移管。
- 白石自動車営業所 厚別支所
[編集] 沿革
- 1930年 - 乗合自動車の運行開始。
- 1935年 - 貸切自動車事業開始。
- 1938年 - 木炭バスが登場。
- 1951年 - 定期観光バス運行開始。
- 1958年頃 - 観光バスにセミステンレスカーを導入。
- 1960年 - 日本初の寝台バスを試験導入。
- 1961年 - ワンマンバス運行開始。
- 1963年 - 市内南西部の山間狭隘路線用にマイクロバスを導入。
- 1967年頃 - 11m級・4つ折中扉の大型路線車を導入。
- 1971年 - 地下鉄南北線開通に伴い、市電大幅廃止、バス路線の見直しと市電廃止区間で代行バス運転開始。
- 1972年 - 定鉄バスの経営改善に伴い、同社の人員181名、車両90台、豊平区を中心とした9路線を譲受。
- 1973年 - 地下鉄の利用促進とバス路線の見直しを兼ね、指定駅での「乗り継ぎ割り引き」制度を導入。当該路線のバスに「乗り継ぎ券」(磁気券)を常備。
- 1975年 - 50円均一、立ち席不可の「都心循環バス」をマイクロバスで運行開始。
- 1976年 - 都心循環バス、車両を中型で立ち席可に変更。中型車の導入は初。
- 1977年 - 都心循環バス廃止。
- 1982年 - 地下鉄東西線延長開業に伴う初の民間バス事業者への補償措置として、新琴似6条線と篠路線の2路線を北海道中央バスに委譲。
- 1994年 - 定期観光バス事業を北海道中央バスに委譲。
- 1998年 - 貸切バス事業を廃止。新川自動車営業所完成に伴い、北光自動車営業所が移転。
- 2000年4月1日 - 北光線・北光美香保線・栄町線・北都線・白石平岸線・滝野線を北海道中央バスへ、米里線(バスセンター、菊水駅前発着系統)・発寒線をジェイ・アール北海道バスへ、藻岩線(札幌駅前・豊水すすきの駅前~硬石山系統)・定山渓線(真駒内駅前~定山渓系統)をじょうてつバスに移譲。
- 2001年 - 北海道初の「CNGノンステップバス」登場。白石営業所を北海道中央バスに委譲。厚別支所は廃止された。
- 2003年4月1日 - 琴似営業所をジェイ・アール北海道バス、藻岩自動車営業所をじょうてつバスに委譲。
- 2004年4月1日 - 東営業所・新川営業所を北海道中央バスに委譲。札幌市営バスの74年の歴史に幕を閉じた。
- 2007年7月21日 - 廃止時に保存していたバス2台(東ひ87-41、新い94-6)を交通資料館に移設し「市バス展示室」に保存。
[編集] 車両
時期により多少の差はあるが、リアエンジン・アンダーフロアエンジン化以降はトヨタを除く4社から購入している。戦後はいすゞが多数派となったが、UDエンジンの商品化以降民生・日デがシェアを伸ばし、年度によってはいすゞ車を超えることも多かった。初期のリアエンジン、アンダーフロアエンジン車は営業所ごとに集中配置され、北光はいすゞと民生・日デ、琴似はふそうと日野、白石は日野と民生・日デ、藻岩は民生・日デが主体など、偏りが見られた。日野、ふそうの導入が増えるのは1970年代中頃、営業所毎の差が無くなるのはそれ以降である。
車体は、いすゞ - 川崎航空機、民生・日デ - 富士重、日野 - 帝国、ふそう - クレハと、一部の例外(1986年導入車のふそうの一部に富士重が存在した)を除いては基本的に純正のみであった。
1960年代中頃までの路線車は短尺車が多く導入されていたが、1964年頃からラッシュ対策と札幌オリンピックに備え、11m級・4つ折中扉の大型車を導入。メーカーは日野を除いた3社(トヨタはすでに候補に入っていない)で、以後、オリンピック終了までこのタイプのみが大量に増備される。また、1968年頃からロングシートに替わる前向きシートと、燃焼式ヒーター(ミクニや五光製のベバスト = Webastoのライセンス品)の本格導入が始まっているが、気候を考慮し、2組装備されていた。オリンピック輸送が一段落すると、これらの車は前扉を増設され、ワンマンカーへと改造されている。
路線車のシート表皮は、古い順から、ライトグリーンのビニール、グレー(石模様)のビニール、グリーンのモケットとかわっている。
1972年の定鉄バスの経営改善策を受けて市が譲受した車両はワンマン仕様が多かったが、市営転籍後は中扉のみを使ったツーマン(車掌乗務)運行が多かった。転籍車は方向幕や運賃表示器、降車灯など、接客関係の仕様の相違をはじめ、日野車の一部にはシフトパターンが異なるものもあった。
[編集] セミステンレスカー
1960年前後の札幌市交通局は、後にゴムタイヤ地下鉄の生みの親となる名物局長、大刀豊(だいとうゆたか)の大刀イズムが目立つ。1958年頃から導入が始まったセミステンレスボディーの観光バスや寝台バスは、とにかく異彩を放つ存在であった。後に「札幌スタイル」と呼ばれることとなる、同時期のスマートな市電と、路面気動車(D1000形を嚆矢とするグループ)やゴムタイヤの地下鉄にいたるまで、同局の独自性を存分にアピールしていた時期でもあった。
セミステンレスバスは、クレイハウンドなど、アメリカの長距離バスではおなじみのものであったが、日本では、その硬く伸びにくい特性ゆえ、加工性が悪いことや、耐用年数の面でも過剰品質であることなど、否定的な見方が大勢を占めていた。しかし、錆や塗装の補修がいらないというメリット以上に、見るものに与えるインパクトは非常に大きく、「新しさ」の表現には打って付けであった。これらはエアサスペンション、カーラジオ、メトロ窓、屋根肩のサンルーフなど、最新の装備を備えていた一方、車体外板に入ったプレスによるリブ(コルゲートとは外観が異なる)が目立つ以外は、普通鋼の車体と変わらず、構造もモノコック式であり、際立つ外観とは異なり、非常に保守的である。
民生車は「しらかば」と「だけかんば」、いすゞ車は「はるにれ」と「すずかけ」、日野車は「はまなす」と「?」など、北海道らしい愛称がそれぞれ付けられていた。
[編集] 寝台バス
1960年8月、日本のバスでは唯一となる寝台車が交通局に登場する。
札幌と函館、網走、稚内の各都市間の距離は約300 - 330km、釧路にいたっては410kmであり、高速道路のなかった時代、移動には長い時間を要していた。高度経済成長による観光ブームの到来で、近い将来、長距離移動に適したバスが必要になると読んだ同局は、寝台バスの試験導入に至った。
車体構造は、当時、同局が導入していたデラックス観光バスと同様、モノコック構造のセミステンレスカーで、リアエンジン方式であった。北海道にちなんだ愛称を与えられていた他のセミステンレスカーにそろえ、「ゆーから」と名づけられた。
寝台は中央通路を挟み長手方向に装備され、前後の車軸間は国鉄のプルマン(Pullman)式2等寝台同様、上下2段となっていた。上下それぞれに開閉可能な窓を持ち、冷涼な土地柄から冷房装置はない。また、トイレもなく、駅やドライブインの利用を想定していた。
一般の車両に比べ重心高がやや高く、横転事故を起こしたことから、法規上も本格的な寝台を持つバスは認められなくなり、計画自体が中止に追い込まれた。ふそう製シャーシは空気ばね・重ね板ばね共に、他社に比べロールスピードが速い傾向にあったことも事実であるが、この時代のエアサスペンションは車高調整機能は持つものの、現在のような高度な姿勢制御は不可能であり、柔らかさ重視の設定のため、リーフ式サスペンション以下の耐ロール剛性であったことも一因である。
スタビライザーを含めたシャーシ性能を今ひとつ煮詰めていれば、新たなジャンルとなり得た可能性もあっただけに、法改正にまで至った事実を惜しむ声もあった。
当時、同局ではトヨタを除く大手4社(民生デイゼル、いすゞ、日野、ふそう)の車両を導入していたが、この寝台バスはふそう製のみであり、一方、一般的なロマンスシートのセミステンレスカーにはふそう製のみがなかった。
現在の例では、広大な国土を持つ中国で、多くの寝台バスが運行されている。
[編集] 塗色
車体色は、戦後、橙色と群青色に白帯を配した塗色([1])となり、その後、リアエンジン車の導入を機に右上の写真のようなクリームと赤となり、従来車も塗り替えられた。塗分けは、クリームの地色に、胴回りが赤のV字形金太郎塗りで、そのほか前頭部に赤、窓下と屋根肩に赤の細線が加わる。金太郎パターンは4面共にあるが、前面と乗降扉側(左側面)の切り欠きに市章が入る。1950年代にはコーチビルダーの都合で、地色のクリームが民生・富士重車が黄褐色、いすゞ・川崎車が白と、不ぞろいな時期もある。
交通局では雇用の確保を重視し、当初ワンマンカーの導入には消極的であった。そのため、車掌が改札を行う中扉車ばかりのなかにあって、「前のり・先払い」方式のワンマンカーの乗車誘導を行う必要から、胴回りの赤の縁に識別用の白線が入れられている。後年のワンマンカーは整理券を導入した「中乗り・後払い」方式となり、識別帯も無い。
観光車も路線車と同様の塗色であるが、中扉の路線兼用車のみは、胴回りの赤部分に小田急バスのようにクリーム色の細帯が3本入るほか、セミステンレスカーは前頭部と屋根肩の細帯のみに色が入るが、色は赤ではなく朱色となっている。
また、琴似営業所に配属の円山北町、盤渓(ばんけい)、小林峠方面など、山間の狭隘路線用として導入されたマイクロバス(初代三菱ふそう・ローザ)も大型車と同様の赤・クリーム塗りであったが、1975年4月に登場した「環100」都心循環線用車両では、一転して市営地下鉄に倣った緑系の塗色を採用し、ミニバス(日野・レインボー)は地下鉄6000形に準じた斜めのゼブラ塗り、中型バス(日野・日デ)は地下鉄3000形に準じたツートーンとなっている。
定鉄からの移籍車は経年車ばかりであったため、全塗装は行われず、定鉄時代の塗色(白地に胴回りスカーレット3本帯など)を生かして塗り重ねられており、市営オリジナル車とは色調やパターンが異なる。
1990年代中頃から、札幌市交通局のCI活動として市電とともに、車体裾のみ白、他はエメラルドグリーンの「STカラー」に再度変更されている。
地下鉄南北線・自衛隊前駅に併設される市の交通資料館には、市電に加え、大型一般車3色のほか、初期のマイクロバスなどが保存・展示されている(セミステンレス観光車「すずかけ」は撤去された)。
[編集] 車番
「所属営業所 + シャシメーカー + シャシメーカーごとの通し番号」の構成となっている。1950年代末にはナンバープレートの下二桁を車番とした例もある。
1980年度の導入車から、「所属営業所 + 西暦の下二桁 + シャシメーカーごとの通し番号」へ変更された。これに伴う従来車の改番はない。
旧表記
| 白 | い | - | 238 |
|---|---|---|---|
| 所属営業所 | メーカー | 通番 |
※この車の登録番号は「札22 あ 12-30」
- 所属営業所
- 藻…藻岩自動車営業所
- 琴…琴似自動車営業所
- 北…北光自動車営業所
- 白…白石自動車営業所
- 観…観光自動車営業所
- メーカー
- い…いすゞ
- ?…民生デイゼル(1946年 ~ 1960年)
- に…民生デイゼル(1960年以前導入の車を表記変更) / 日産ディーゼル
- ひ…日野
- ふ…三菱ふそう
- 通番
- 全営業所通しの連番
1980年度以降
| 藻 | に | 84 | - | 4 |
|---|---|---|---|---|
| 所属営業所 | メーカー | 導入年度 | 通番 |
- 所属営業所
- 藻…藻岩自動車営業所
- 琴…琴似自動車営業所
- 東…東自動車営業所
- 北…北光自動車営業所
- 新…新川自動車営業所
- 白…白石自動車営業所
- 厚…白石自動車営業所厚別支所
- 観…観光自動車営業所
- メーカー
- 導入年度
- 西暦の下2桁
- 通番
- 全営業所通しの連番
上記の法則により、「藻に84-4」は、84年度に導入された4号車で藻岩自動車営業所に所属する日産ディーゼル車ということになる。
また、中型バスはメーカー名の項目を「M」、ファクトリー線専用車両を「F」とする規定が加わった。
なお、異動により所属営業所が変更される場合は、所属営業所の上に異動先営業所名を記したシールが貼られていた。その他の項目は変わらない。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年10月24日 (土) 07:19 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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