朱徳

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朱徳
朱徳
生年月日 1886年12月1日
出生地 四川省
没年月日 1976年7月6日
死没地 北京市
所属政党 中国共産党
称号 中華人民共和国元帥

中華人民共和国の旗 第2代全国人民代表大会常務委員長
任期 1959年4月18日 - 1976年7月6日
国家主席 毛沢東
劉少奇
董必武(国家主席代理)

任期 1949年10月1日 - 1954年9月27日
中央人民政府主席 毛沢東

任期 1954年9月27日 - 1959年4月27日
国家主席 毛沢東

中華人民共和国の旗 人民解放軍総司令
任期 1946年 - 1954年
中央人民政府主席 毛沢東
  
朱徳
職業: 軍人、政治家
各種表記
繁体字 朱德
簡体字 朱德
Zhù Dé
和名表記: しゅ とく
発音転記: ヂュー・ドゥー
  

朱徳(しゅとく、ヂュー・ドゥー、1886年12月1日 - 1976年7月6日)は中華民国中華人民共和国軍人政治家。原名は朱代珍朱建徳、字は玉階中国共産党入党後、南昌蜂起を指導し、共産党の主要な指導者の一人として紅軍の軍長や八路軍総司令・中国人民解放軍総司令などを務めた。中華人民共和国建国後、元帥の首席に列せられ、国家副主席全国人民代表大会常務委員会委員長などの要職を歴任した。また、1975年1月の憲法改正によって国家主席が廃止され、全人代常務委員会が国家元首の権能を果たすようになったので、1976年に死去するまでの間、彼が中華人民共和国の国家元首格(在任:1975年1月17日 - 1976年7月6日)であった。

目次

[編集] 生涯

彼の生家は小作農であり、貧農であった。伯父の朱世林は才気煥発なこの甥をかわいがり、5歳で山菜取りをしなければ生活できない環境の朱徳に教育の機会を与えた。これが朱徳の人生に大きな影響を与える事となる。

[編集] 年表

[編集] 思想

朱徳は1921年、安定した生活を保障された国民党軍を辞した。これは、軍務を遂行する傍ら、雑誌「新青年」を愛読したこと、袁世凱政権打倒を進める軍の行動と、革命の進捗に疑問を抱いたことなどが背景であるといわれる。

1922年初めに上海に出た朱徳は、孫文に面会し、革命の遂行と成功は、軍閥との共闘では実現不可能であり、独自の軍隊組織を持つことの必要性を説いた。軍人としての経験と、革命思想の発露であったろう。また、国民党軍に参加していた経歴も孫文の胸襟を開かせる一助になったことは想像に難くない。

孫文との面談を終えた後、朱徳は中国共産党への入党を申請した。しかし、共産党の指導者である李大釗は、朱徳が国民党員ではないとはいえ、国民党軍で勇名を馳せていたので、彼の入党に難色を示した。李大釗は朱徳に対し、引き続き切磋琢磨し、機会を見て再度入党申請を出すように諭した。朱徳は失意の内にドイツに渡り、社会主義理論を学んだ。同年、ドイツで周恩来と出会う。さすがにその場での入党はかなわなかったが、翌1923年、周恩来の口添えで入党が許可された。なお、中国共産党史の扱いでは、1922年に李大釗に入党申請した時点で共産党員となったことになっている。

ドイツ留学中に2度労働運動に参加し、2回目の労働運動で官憲に捕縛された朱徳は放校になってしまう。そのため、1925年にドイツからソ連に移動し、モスクワ中山大学で軍事を学ぶ。この中で、朱徳は当時の軍閥が割拠する中国には地方利権保護的な資本主義や、軍閥を支える地方のプチブルを生む土壌となった私有財産制を制限する社会主義革命が必要であること、しかしそのためには軍閥を打倒する戦闘行為を避けて通れないこと、社会主義化を支えるのは共産党であるが、非合法で地下組織の状態ではゲリラ戦が有効であることなどを導き出したと思われる。ソ連留学中に教官に提出したゲリラ戦に関するレポートは緻密なものであり、軍人朱徳の真骨頂であったと言う。

また、毛沢東とは同じく農村の出身であり、肝胆相照らす仲として刎頸の交わりを結んだ。「毛朱」或いは「朱毛」と並び称され、敵の多い毛沢東にあって、終生変わらぬ友情を保った。

[編集] 戦略

朱徳は反袁世凱闘争、南昌蜂起の失敗等を通じてゲリラ戦の要諦をつかんだものと思われ、井崗山毛沢東と共に後の八路軍に通じる基本戦略を打ち立てた。それは、打てる敵は打ち、勝てない敵からはとにかく逃げる、という戦略である。この戦略の基本になるのがゲリラ戦術であった。

朱徳の提唱したゲリラ戦術は、遊撃して撹乱し、必要に応じて山中に身を隠す、というものであった。より具体的には「敵が進めば我は退き、敵が休めば我は撹乱し、敵が疲れたら我は打ち、敵が退けば我は進む」というものである。

[編集] 参加戦役

[編集] 評価

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

中華人民共和国の旗中華人民共和国
先代:
董必武
国家主席代理
国家元首
全国人民代表大会常務委員長
1975年 - 1976年
次代:
宋慶齢
全人代常委会第一副委員長
先代:
劉少奇
全国人民代表大会
常務委員長
1959年 - 1976年
次代:
葉剣英
先代:
設置
中央人民政府副主席
1949年 - 1954年
朱徳、劉少奇宋慶齢
李済深、張瀾、高崗
次代:
廃止
先代:
設置
国家副主席
1954年 - 1959年
次代:
宋慶齢
董必武

最終更新 2009年11月22日 (日) 06:52 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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