朴泳孝

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朴泳孝(ぼくえいこう/パク・ヨンヒョ、朝鮮語박영효1861年-1939年)は、李氏朝鮮の政治家。日本名山崎永春。妻は哲宗の娘・永恵翁主

金玉均らと共に開化党(独立党)を結党。1882年壬午政変(壬午軍乱)の謝罪のために派遣された修信使節団員の一人として来日する船上で、太極旗のデザインを考案したとされる。帰国後、漢城判尹となり、開化政策を進めるが守旧派の反対にあい挫折。1884年12月にクーデターで閔妃派からの政権奪還を図るが失敗(甲申政変)、日本へ亡命、神戸に居を構える。

1894年に甲午改革が始まると、帰国して内務大臣となり、改革の中心的な役割を果たすが、1895年に謀反の疑いをかけられ、また日本に亡命した。

1907年にまた帰国して、李完用内閣の宮内府大臣となるが、大臣暗殺陰謀の疑いで、済州島流刑になった。

韓国併合後に侯爵朝鮮貴族)、東亜日報社初代社長、京城紡績社初代社長、朝鮮殖産銀行理事、朝鮮総督府中枢院顧問、貴族院議員など、日本統治下の朝鮮における重要な官民のポストを歴任した。

一人娘の朴妙玉は、親和女学校としては初めての外国人卒業生となった。孫娘の朴賛珠は、李王家と結婚した。

2005年8月29日に韓国の市民団体民族問題研究所、ならびにその傘下の親日人名辞典編纂委員会より発表された親日人名辞典の第1回リストに名前が掲載されており、彼らによって親日派であると認定されている。

最終更新 2009年11月22日 (日) 09:56 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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