朴賛浩

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朴賛浩
Chan Ho Park
フィラデルフィア・フィリーズ #61
ドジャース時代の朴賛浩(2008年)
基本情報
国籍 韓国
出身地 忠清南道公州市
生年月日 1973年6月29日(36歳)(陰暦)
身長
体重
6' 2" =約188cm
210 lb =約95.3kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 投手
プロ入り 1994年 アマチュアFAでドジャースと契約
初出場 MLB / 1994年4月8日
年俸 250万ドル(2009年)
経歴(括弧内は在籍年)
国際大会
代表チーム 韓国の旗 大韓民国
WBC 2006年
朴賛浩
各種表記
ハングル 박찬호
漢字 朴贊浩
片仮名
(現地語読み仮名)
パク・チャンホ
パク・チャノ
ラテン文字転写 Bak Chan-ho
本人表記: Park, Chan Ho
  


朴 賛浩(パク・チャンホ 1973年6月29日陰暦 - )はフィラデルフィア・フィリーズに所属しているメジャーリーガー投手である。かつては先発型だったが昨今は中継ぎを中心としている。大韓民国忠清南道公州市生まれ。

漢陽大學校中退後、1994年ロサンゼルス・ドジャースに入団、韓国人として初のメジャーデビューを果たした。

目次

[編集] 略歴

[編集] ドジャース時代 1996 - 2001

大学中退後、ドジャースとメジャー契約を結び、2年間のマイナー生活(その間も春や秋の拡大ロースター時にはメジャーに昇格している)を経て、1996年にリリーフと谷間の先発の役割をこなし、本格メジャーデビュー。メジャー初勝利および初先発勝利を含む5勝を上げてアクティブロースターに定着。この年のディビジョンシリーズで出場者ロースターに登録されたが登板のチャンスはなく、投手陣で唯一出場できなかった。1997年は、開幕から先発5番手としてローテーションに定着、自身初の二桁となる14勝を挙げ、野茂英雄とともにチームの最多勝投手になる。

1998年も15勝をあげ、バンコクアジア大会では韓国代表として出場、決勝の日本戦で完投勝利し金メダルの獲得に貢献。兵役免除を手にしている。1997年から2年連続10勝以上をあげて、先発ローテーションの2番手として定着したが、1999年には不振に陥り、不安定な投球で13勝をあげるも防御率が5点台と上昇。この年の4月23日のカージナルス戦でフェルナンド・タティスに1イニングで2度の満塁本塁打を打たれるメジャー唯一の記録を達成させてしまった。

2000年には18勝10敗、防御率3.27という好成績を上げた。しかし、投球的には防御率2.58という活躍を見せ、ランディ・ジョンソンの三冠王奪取を阻止したエースのケビン・ブラウンが評価され、シーズンオフのサイ・ヤング賞を決める記者投票において3位投票の1点すら得票できなかった[1]

2001年は故障で出遅れたエースのケビン・ブラウンに代わって開幕戦先発の代役を務め、7回無失点の好投で、チームの1対0勝利を導いた。この年はシアトルで開かれたオールスター戦に監督推薦で選ばれ、ナ・リーグの2番手として登板。対峙した打者は引退表明をしたカル・リプケン・Jrだった。朴はリプケンに先制の本塁打を打たれて敗戦投手になり、最後のオールスターに出場したリプケンにMVPの手土産を持たせる立役者になってしまった。またこの年の9月はパシフィック・ベル・パーク(現、AT&Tパーク)で開かれたサンフランシスコ・ジャイアンツ戦でバリー・ボンズマーク・マグワイアが持っていたシーズン最多本塁打の記録を更新する71号本塁打を打たれ、また歴史的場面の立役者になった。この試合ではボンズに2打席連続本塁打を打たれ72号も献上している。このようにメモリアルアーチを連発して献上したために、ボンズのハンク・アーロン越えとなる756号はパク相手に到達するという予測をされたことすらある[2]。しかし、それでもこの年はパクにとってキャリア最高となる投球イニング数、および奪三振数を記録した。

[編集] レンジャーズ・パドレス時代 2002 - 2006

2001年まで、大きな故障もなく5年連続10勝の安定した成績を上げ、FA権を取得した2002年には代理人のスコット・ボラスの手腕も手伝って5年間6500万ドルという破格の契約を結び、テキサス・レンジャーズに移籍。当時攻撃的な投資でチームの巻き返しを図ったレンジャーズのエースとしての役割を期待された。

しかし、オープン戦の初試合で右大腿の肉離れを起こして降板。治療とトレーニングを並行するも完治にはいたらなかったまま、痛みを押して開幕戦に出場を強行して期待に応えようとした。だが、これが裏目に出て肉離れが再発。早期降板の上、自身初の故障者リスト登録を余儀なくされる。ここから、高額の年俸に相応しい活躍を見せるべきという重圧から焦りが出て、レンジャーズ時代は故障の完治の確証のないまま復帰しては故障の再発で故障者リスト入りを繰り返した。

1年目こそ9勝8敗とそれなりの成績を残すものの、その後はドジャース時代から発症していた腰痛を悪化させてしまうなど故障に悩まされ、ヤンキースやレッドソックスなど強豪チーム相手にたびたび好投を見せたりもする反面、デビルレイズやロイヤルズといった弱小チームにも滅多打ちされる不安定な投球が続き、2003年は1勝、2004年には4勝と不本意なシーズンを過ごした。この不安定な投球のため、チームの首脳陣との確執を見せたりした。

2005年には復調の兆しをみせる。テキサスの強力な打線にも助けられて、先発5番手としてそこそこの成績をあげるが7月にテキサスが年俸差額(700万ドル)を補填することを条件にサンディエゴ・パドレスにトレードされる。トレード後はペドロ・マルティネスとの直接対決で勝つなど、このころ覚えたツーシームが走ったときは稀に素晴らしいピッチングを見せることもあるものの、基本的に安定感を欠く投球を繰り返してシーズン終了前に先発から外され中継ぎにまわることとなった。サンディエゴはポストシーズンに進んだものの、プレーオフ出場者のロースターから外されてしまった。結局、12勝8敗と勝ち星だけは稼いだものの、防御率は5.74と10勝以上の投手中最低という成績に終わった。このシーズンオフに結婚し、ソウルで行われた披露宴では野茂英雄も出席した。

2006年はWBCに出場し、大会最多セーブをあげ優秀選手に選出された。この年の開幕時にはFOX SPORTSの選定する「年俸面で過大評価されすぎている選手」の1位に選ばれ、「メジャー史上最悪の契約」などとコメントされた。このランキング以外にも、朴はレンジャーズ移籍後はこの類のリストの常連であり、カール・パバーノダレン・ドライフォートとともに『最悪契約の殿堂入り選手』とされたり[3]、『年俸泥棒の守護聖人[4]などとも呼ばれた。

7月末までに7勝7敗の成績を上げたが、腸出血で故障者リストに入ってしまう。しかし、ポストシーズンにはロースターに登録され、初戦の敗戦処理を難なくこなした。

[編集] メジャー最大級のFA契約失敗の後 2007 -

2006年のシーズンオフ、2度目のフリーエージェント資格を獲得する。だが、テキサスとの5年契約はメジャーリーグ史上でも指折りのFA契約失敗例として挙げられてしまうほどの最悪な結果(5年間で先発登板98回、33勝33敗)に終わり[5]、かつ負傷履歴や球威低下による成績不振などの影響で評価が下がり、契約先が見つからなかった。キャンプ入り直前の2月8日、ようやくニューヨーク・メッツと前年比で1/25以下にあたる年俸60万ドルで単年契約。しかし、オープン戦で先発としては不安の残るピッチングを繰り返したため、中継ぎに回るか3Aに落ちるかの選択を迫られ、開幕をマイナーで迎えた。けが人が続出して先発投手が不足した際、たまたまローテーションが合っていたという理由でロースターに登録され、その日のうちにのフロリダ・マーリンズ戦に先発するも4回7失点でKOされ、3日後の5月3日にはウェーバーにかけてマイナー降格。マイナーでも不安定な投球を繰り返したため6月3日、所属していたニューオーリンズ・ゼファーズから放出され、10日に正式に解雇となった(ゼファーズ時代の成績は9試合4勝4敗防御率5.57)。その後6月12日にヒューストン・アストロズとマイナー契約を結び、アストロズ傘下3Aのラウンドロック・エクスプレスに所属し、そのまま昇格せずにシーズンを終えた。エクスプレス時代の成績は15試合2勝11敗防御率6.51だった。2007年シーズン直後には北京オリンピックアジア予選に出場した。

2008年は古巣であるロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んで春季キャンプに招待選手として参加。オリンピック世界最終予選にはキャンプを優先して参加しなかった。オープン戦ではそこそこの好投を見せたが、開幕直前にカットされて3Aで開幕を迎えた。3Aでは開幕投手に予定されていたが、寸前にドジャースのロースター調整でメジャーに昇格。4月8日ダイヤモンドバックス戦にリリーフで登板、7年ぶりに古巣に復帰した。当初は敗戦処理中心であったが、ロングリリーフ、ミドルリリーフ、谷間の先発もこなす便利屋的な存在としてシーズンを送った。7月中旬に斎藤隆が負傷離脱したチーム事情からセットアップマンとなったあたりで調子を崩し、防御率は中継ぎとしては物足りない3点台半ばであったものの、人生初のセーブホールドを挙げるなどチームの西地区優勝に貢献した。2009年はフィラデルフィア・フィリーズと年俸250万ドルの1年契約で合意した[6]。2009年1月、WBCへの出場辞退と、韓国代表からの引退を発表した。

2009年のフィラデルフィアとは基本的には中継ぎとしての契約であったが、オープン戦で好投を続けたこともあって先発5番手の座を手にして開幕を迎えた。しかし、シーズン突入後は7回の先発機会で防御率7.29・WHIP 1.74・1勝1敗と結果を残すことができなかった。フィラデルフィアの好調な打線に救われて負けこそつかなかったものの、5月半ばに1回1/3で5失点KOされたのを契機にJ.A.ハップに先発の座を譲り、ブルペン要員となった。中継ぎとしては防御率2.52・WHIP1.18、ホールド13という成績を残した。わずかではあるが打席にも立ち、ナ・リーグに戻ってからの5年で初めてのホームランを打った。しかし、9月半ばにハムストリングを痛め、さらにリハビリ登板中に故障を再発させてシーズンを終えた。チームはポストシーズンに進出したが、ロースター登録からは外された。

[編集] 投球スタイル

ケガをする前は90マイル台後半のフォーシームを中心に投球を組み立てる速球派であったが、現在は90マイルそこそこのシュート変化をするツーシームスライダーチェンジアップを中心とした技巧派投手。コントロールはお世辞にもよいとはいえず、先発投手としてフルシーズンを投げるとほぼ100前後の与四球を記録する。また、2001年、2002年にはリーグをまたいで2年連続の最多与死球投手となっている。

[編集] 獲得タイトル・記録

[編集] 年度別投手成績








































W
H
I
P
1994 LAD 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 23 4.0 5 1 5 0 1 6 0 0 5 5 11.25 2.50
1995 2 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 16 4.0 2 1 2 0 0 7 0 1 2 2 4.50 1.00
1996 48 10 0 0 0 5 5 0 -- .500 477 108.2 82 7 71 3 4 119 4 3 48 44 3.64 1.41
1997 32 29 2 0 0 14 8 0 -- .636 792 192.0 149 24 70 1 8 166 4 1 80 72 3.38 1.14
1998 34 34 2 0 0 15 9 0 -- .625 946 220.2 199 16 97 1 11 191 6 2 101 91 3.71 1.34
1999 33 33 0 0 0 13 11 0 0 .542 883 194.1 208 31 100 4 14 174 11 1 120 113 5.23 1.58
2000 34 34 3 1 0 18 10 0 0 .643 963 226.0 173 21 124 4 12 217 13 0 92 82 3.27 1.31
2001 36 35 2 1 1 15 11 0 0 .577 981 234.0 183 23 91 1 20 218 3 3 98 91 3.50 1.17
2002 TEX 25 25 0 0 0 9 8 0 0 .529 666 145.2 154 20 78 2 17 121 9 0 95 93 5.75 1.59
2003 7 7 0 0 0 1 3 0 0 .250 146 29.2 34 5 25 0 6 16 1 1 26 25 7.58 1.99
2004 16 16 0 0 0 4 7 0 0 .364 428 95.2 105 22 33 0 13 63 1 1 63 58 5.46 1.44
2005 20 20 0 0 0 8 5 0 0 .615 502 109.2 130 8 54 1 6 80 3 0 70 69 5.66 1.68
SD 10 9 0 0 0 4 3 0 0 .571 213 45.2 50 3 26 0 4 33 3 0 33 30 5.91 1.66
'05計 30 29 0 0 0 12 8 0 0 .600 715 155.1 180 11 80 1 10 113 6 0 103 99 5.74 1.67
2006 24 21 1 1 0 7 7 0 0 .500 606 136.2 146 20 44 7 10 96 5 0 81 73 4.81 1.39
2007 NYM 1 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 20 4.0 6 2 2 0 0 4 1 0 7 7 15.75 2.00
2008 LAD 54 5 0 0 0 4 4 2 5 .500 412 95.1 97 12 36 7 4 79 2 1 43 36 3.40 1.40
通算成績 378 280 10 3 1 117 92 2 5 .560 8074 1846.0 1723 216 858 31 130 1590 66 14 964 891 4.34 1.40
  • 2008年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月13日 (金) 21:05 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【朴賛浩】変更履歴

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