杉野昭夫

杉野昭夫の最新ニュースをまとめて検索!

杉野 昭夫(すぎの あきお、1944年9月19日 - )は日本のアニメーター北海道札幌市出身。北見市育ち。

目次

[編集] 概要

画力、キャラクターの完成度、演技力のすべてにおいて高い評価を受ける、日本を代表するアニメーターである。出崎統演出作品でキャラクターデザイン・作画監督を務めることが多い。睫毛が濃く、目に輝きがある劇画タッチの表情、全身を8頭身以上にデフォルメしながらリアリティも保った端麗なキャラクターは、ファンから「杉野キャラ」と呼ばれる。特に女性キャラクターの美しさには定評がある。

線描は、ある者は硬質と評し、またある者は柔らかいと評する独特のタッチ。手塚治虫原作のキャラクターデザインにおいては、『ブラック・ジャック 』では原作と異なる劇画調の硬い線、『ユニコ 』『ジャングル大帝』などでは原作のイメージを踏まえた柔らかい線によるキャラクターと、自身の資質を自在に使い分けた。

丸山正雄によれば、『あしたのジョー』制作時、杉野は作画監督の作業を行なうにあたり、絵コンテを再チェックせず(すべて頭の中に入っている)、また原画家による衣装や小道具の描き間違いも、完璧に修正していたという。作画時のキャラクターへの感情移入は強烈で、『宝島』最終回でジムとシルバーが再会するシーンの作画修正は、涙を流しながら行なった。

[編集] 経歴

高校2年生の頃より貸本漫画誌『街』『影』などに「杉野アキオ」の名で投稿し、劇画家を目指す。『街』に劇画を連載した経験を持っていた虫プロダクション所属の真崎守に誘われ、1964年、同社にアニメーターとして入社。テレビアニメ『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』に作画スタッフで参加後、1966年の『ジャングル大帝 進めレオ!』第10話で実質的な作画監督デビューを飾る。

後に「黄金コンビ」と称されることになるパートナー、出崎統とは、1968年の『わんぱく探偵団』で演出=出崎、作画=杉野という形で何度か仕事をしていたが、初めて互いを直接的に意識したのは、1969年の日米合作『フロスティ・ザ・スノーマン』の制作時、机を並べて原画を描いたときであった。杉野は長髪の頭を机に突っ伏して絵を描く出崎を見て「寝ているのかと思」い、出崎は杉野の作画に「やたらうまい」と感心したのが第一印象だったという。

1970年から放送された『あしたのジョー』で、演出が出崎、作画監督が杉野(金山明博荒木伸吾と共同)という布陣が本格的に実現。1972年には出崎、丸山正雄、川尻善昭らと共にマッドハウスの設立に参加し、出崎とのコンビで『エースをねらえ!』『家なき子』等多くの作品を手がける。

1980年、『あしたのジョー2』の制作に際して出崎と共にマッドハウスを退社、スタジオあんなぷるを設立。本人が明らかにしたところでは、当時マッドハウスでは作品を2本以上並行して制作していたが、並行ではなく『ジョー2』のみに集中して作りたいと主張した出崎・杉野と、経営上の理由からそれを認めなかった会社側が決裂したとのこと。あんなぷるでは森本晃司福島敦子、大塚伸治ら、次代の日本アニメ界を担うことになるアニメーターを育成した。1990年代以降は手塚プロダクション制作の作品に多数参加している。

[編集] 作品歴

[編集] テレビアニメ

[編集] OVA

[編集] 劇場用アニメ

最終更新 2009年9月27日 (日) 09:19 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【杉野昭夫】変更履歴

ご利用上の注意

もっと調べる!