李会昌
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이회창(イ・フェチャン)
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李会昌
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| 生年月日 | 1935年6月2日(74歳) |
| 出生地 | 朝鮮・黄海道瑞興郡 |
| 出身校 | ソウル大学 |
| 現職 | 党総裁 |
| 所属政党 | 自由先進党 |
| 公式サイト | changsarang.com |
| 選挙区 | 忠清南道洪城礼山区 |
| 当選回数 | 3回 |
| 李会昌 | |
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| 各種表記 | |
| ハングル: | 이회창 |
| 漢字: | 李會昌 |
| 片仮名: (現地語読み仮名) |
イ・フェチャン |
| ラテン文字転写: | Lee Hoi-chang |
李 会昌(イ・フェチャン、1935年6月2日 - )は、韓国の政治家。本貫は全州李氏。カトリック教徒で、洗礼名はオラフ。
[編集] 人物・経歴
ソウル大学法学部卒業後、弁護士、最高裁判事等を経て、金泳三政権下で監査院長に抜擢され汚職の摘発に辣腕を振るい、次いで国務総理(首相)に就任する。国務総理を務めていた1994年4月には、総理の役割・権限をめぐる問題で大統領と対立し辞任、硬骨漢ぶりを発揮したといわれた。
1996年4月の総選挙において金泳三政権の与党・新韓国党(現在のハンナラ党の前身)より立候補(全国区)、国会議員に初当選した。
1997年末の大統領選挙にハンナラ党公認で出馬するものの、当時の与党系の陣営が分裂した事、アジア通貨危機が発生し、当時の与党(の流れを組む政党である)であるハンナラ党の候補であった事、2人の息子が不当に兵役を逃れていたというスキャンダルが持ち上がった事の3点が逆風となり、投票直前に支持率が10%代にまで急落し、僅か40万票差で金大中(新政治国民会議)に敗北した。
落選後は、農作業に参加したり、清掃奉仕に取り組んだりと、それまでの冷徹なイメージを払拭する為の活動に取り組み、2002年末の大統領選挙にも引き続き挑戦して終始リードするも、投票当日に盧武鉉(新千年民主党)に逆転を許し僅差で敗れた。
2度にわたる大統領選敗北によって、大統領候補としての地位は潰えたかに見えたが、2007年選挙を直前に控え、独走態勢といわれていたハンナラ党李明博候補に様々な疑惑が噴出する中、11月7日に保守系無所属での出馬を正式表明。しかし、結果的には李明博に大差をつけられて敗北した。
2008年2月1日に結党された自由先進党(略称:先進党)の初代総裁に就任。同年4月の総選挙で先進党は18議席(地域区14議席・比例区4議席)を獲得。彼自身も忠清南道の洪城礼山区で当選した。
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[編集] 外部リンク
- 李会昌プロフィール-大韓民国憲政会


