李垠

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李垠
各種表記
ハングル 이은
漢字 李垠
平仮名
(日本語読み仮名)
りぎん
片仮名
(現地語読み仮名)
イ・ウン
ラテン文字転写 Lee Eun
  
李垠
1897年10月20日 - 1970年5月1日
生誕地 大韓帝国
死没地 大韓民国
所属組織 大日本帝国陸軍
軍歴 1917年 - 1945年
最終階級 陸軍中将
指揮 留守第4師団
第51師団
第1航空軍司令官

李垠イ・ウン(朝鮮語読み)、りぎん(日本語読み)、懿愍太子、1897年10月20日 - 1970年5月1日)は、初代大韓帝国皇帝高宗の第7男子。母は純献貴妃厳氏で純宗の異母弟。同国最後の皇太子である。

日本王公族李王大韓帝国時代の称号は英親王

目次

[編集] 生涯

李氏朝鮮(朝鮮国)が大韓帝国と改称した年に生まれ、純宗の即位のときに大韓帝国皇太子となった。幼少期に当時日韓併合による韓国および朝鮮半島一帯の統治を検討していた日本政府の招きで訪日し、学習院陸軍中央幼年学校を経て、陸軍士官学校で教育を受けた。

その後、1910年(明治43年)に行われた日韓併合によって、王世子となり、王公族として日本の皇族に準じる待遇を受け、「殿下」の敬称を受ける。その後、1920年(大正9年)4月に日本の皇族の梨本宮守正王の長女・方子女王と結婚する。

陸軍士官学校卒業後は大日本帝国陸軍に入り、その後歩兵第59連隊長、陸軍士官学校教官、近衛歩兵第2旅団長などを経て陸軍中将になる。また、純宗の死去に伴い、李王家を承継したが、第二次世界大戦太平洋戦争)の日本の敗戦後、王公族制度廃止により李王の資格を失う(「身位喪失」という)。

その後帰国を試みるが、日本と大韓民国の間の国交は樹立されておらず、その上王政復古を疑う李承晩大統領の妨害などもあり帰国出来ず、そのまま在日韓国人として日本にとどまった。1960年脳梗塞に倒れるが、1963年日韓国交正常化交渉が始まると、朴正煕大統領の協力により大韓民国の国籍を得て夫婦ともに韓国へ渡り、その地で死去する。

[編集] 家系

方子妃との間には二人の男子がいる。晋王世子の突然の夭折には、日朝双方の暗殺説がある。

[編集] 年譜

1907年、皇太子嘉仁親王(左:後の大正天皇)訪韓時、嘉仁親王・有栖川宮威仁親王(右)とともに
1924年方子妃と共に

[編集] 関連項目

[編集] 李垠を演じた俳優

先代:
李坧(純宗)
李王
第2代:1926年 - 1947年
次代:
李玖(王世子・襲位せず)
先代:
純宗
全州李氏当主
第28代:1926年 - 1970年
次代:
李玖

最終更新 2009年11月6日 (金) 15:26 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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