李ヨウ
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| 本来の表記は「李邕」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。 |
李邕(り よう、678年 - 747年)は、中国唐代の書家。江蘇省江都の人で、字を泰和(たいわ)という。『文選』の注釈で有名な李善の子である。
目次 |
[編集] 業績
盛唐の名臣で、玄宗のとき北海太守の官についたので、世に李北海と呼ばれる。英才で文名高く、また行書の名手であった。碑文の作に優れ、撰書すること実に800本にのぼり、巨万の富を得たといわれる。
[編集] 書碑
代表的な書碑に『李思訓碑』(りしくんひ)、『麓山寺碑』(ろくざんじひ)、『法華寺碑』(ほっけじひ)、『少林寺戒壇銘』(しょうりんじかいだんめい)、『李秀碑』(りしゅうひ)、『東林寺碑』(とうりんじひ)などがある。
[編集] 李思訓碑
全名は『雲麾将軍李思訓碑』(うんきしょうぐん りしくんひ)といい、建碑は開元27年(739年)以後。碑の高さは342cm、幅は145cm。碑文は30行で、各行70字あり、書体は行書である。陝西省蒲城県の橋陵(きょうりょう)に現存するが、下半分は文字が浸滅している。書風は痩勁で骨格鋭く、筆勢もあり結体も明確である。
李思訓は唐の宗室(そうしつ、君主の一族)の出身で、北画の祖といわれる有名な画家であり、子の李昭道とともに、大李、小李と称された。開元4年(716年)65歳で歿し、4年後に睿宗の陵墓の橋陵に陪葬された。碑文に見える李思訓の甥の李林甫の官名から推量すると、建碑は開元27年以後になり、筆者李邕61歳以後の書となる。
[編集] 麓山寺碑
建碑は開元18年(730年)。碑文は28行で、各行56字あり、書体は行書で、湖南省長沙の嶽麓書院に現存する。碑の篆額には「麓山寺碑」の4字を刻し、碑末の年記の次に「江夏黄仙鶴刻」とあるが、仙鶴とは李邕のことであるという。碑は宋代の頃から、剥落がひどく、拓本で佳品は稀である。麓山寺は嶽麓寺(がくろくじ)ともいわれることから、この碑を『嶽麓寺碑』ともいう。
[編集] 法華寺碑
建碑は開元23年(735年)。李邕が括州(浙江省)刺史のときに文を撰して行書体で書いたもので、57歳の作である。碑の記末に「刻字者は東海の伏霊芝」とあるが、麓山寺碑の仙鶴と同様、伏霊芝も李邕のこととされている。原碑が元時代末に亡失したため、碑の大きさや碑額は不明であるが、翻刻では23行、各行52字になっている。
法華寺は東晋の安帝の義熙13年(417年)、釈曇翼が秦望山の西北の地に創建したもので、碑はその曇翼の頌徳碑である。
[編集] 参考文献
- 木村卜堂 『日本と中国の書史』(日本書作家協会、1971年)
- 藤原鶴来 『和漢書道史』(二玄社、2005年8月)ISBN 4-544-01008-X
- 鈴木洋保・弓野隆之・菅野智明 『中国書人名鑑』(二玄社、2007年10月)ISBN 978-4-544-01078-7
- 比田井南谷 『中国書道史事典』普及版(天来書院、2008年8月)ISBN 978-4-88715-207-6

