村の鍛冶屋
村の鍛冶屋の最新ニュースをまとめて検索!
村の鍛冶屋(むらのかじや)は、日本の童謡・唱歌。
目次 |
[編集] 概要
作詞者・作曲者ともに不詳。初出は大正元年(1912年)12月「尋常小学唱歌(四)」。歌詞が当初のものから時代により書き換えられながら、長く全国の小学校で愛唱されてきた。
だが昭和30年代頃から農林業が機械化するにつれ野道具の需要が激減し、野鍛冶は成り立たなくなって次第に各地の農村から消えていく。「かじ屋」が村はずれの作業場で槌音を立てて働く光景が児童には想像が難しいものとなった昭和50年代に各社の音楽教科書から消えはじめ、昭和60年の文部省の教科書検定では小学校の教科書から全て消えた。
[編集] 歌詞
以下がオリジナルの歌詞である。
一、
暫時(しばし)も止まずに槌打つ響
飛び散る火の花 はしる湯玉
鞴(ふゐご)の風さへ息をもつがず
仕事に精出す村の鍛冶屋
二、
あるじは名高きいつこく老爺(おやぢ)
早起き早寝の病(やまひ)知らず
鐵より堅しと誇れる腕に
勝りて堅きは彼が心
三、
刀はうたねど大鎌小鎌
馬鍬に作鍬(さくぐは) 鋤よ鉈よ
平和の打ち物休まずうちて
日毎に戰ふ 懶惰(らんだ)の敵と
四、
稼ぐにおひつく貧乏なくて
名物鍛冶屋は日日に繁昌
あたりに類なき仕事のほまれ
槌うつ響にまして高し
[編集] 歌詞の変遷について
農具等の野道具を製作する職人は「野鍛冶」と呼ばれる。歴史に多くの名工の名が残る刀鍛冶とは違い、野鍛冶は地域の農民とともに生きる無名の存在である。この歌の主人公である老職人は、武勇のための兵器ではなく平和時に民衆が生産に励むための農器具を作っているのだが、彼はその職業をかえって大いに誇りとし勤勉に日々の労働に没頭している、というのがこの歌の初出時における歌詞全体の意味であった。
だが昭和17年(1942年)3月刊の「初等科音楽(二)」に収録の際には、平和を歌う三番以降の歌詞の後半が戦時下の国策に不適当として教科書から削除され、戦後も復活することがなかった。また、一番の「しばしもやまずに」が「休まず」へ、「飛び散る火の花」が「飛び散る火花よ」へ、二番の「あるじは名高きいつこく老爺」が「あるじは名高いいっこく者よ」などと変更された(「いっこくもの:一刻者」は「一徹者」と同義)。そして、戦後には文語調が子供には難しい[1]との理由からさらに手が加えられ、最終的な歌詞は以下のようになった。用語を平易なものに書き換え、特に歌の後半部分が切り落とされたことで、本来の歌の核心であった平和賛歌・労働賛歌としての性格が失われた改変過程には異論もある。
一、
しばしも休まず槌うつ響き
飛び散る火花よ 走る湯玉
ふいごの風さえ息をもつがず
仕事にせい出す村のかじ屋
二、
あるじは名高い働きものよ
早起き早寝のやまい知らず
永年きたえた自慢の腕で
うち出す鋤鍬(すきくわ)心こもる
[編集] その他
- 兵庫県三木市は古くから金物生産が発展した土地であり、地域の先人の姿をいきいきと描くこの唱歌の消滅を惜しんで、昭和53年同市「三木市立金物資料館」の敷地に歌碑「村のかじやの碑」が建立されている。
- 旧約聖書「イザヤ書」 第2章第4節に「斯てかれらはその剣を打ちかへて鋤となしその鑓(やり)を打ちかへて鎌となし国は国に向かひて剣をあげず戦闘(たたかひ)のことを再びまなばざるべし」との記述がある。作詞者の念頭にはこの文があったのではないかとの指摘がある。
- また米国の詩人ヘンリー・ワーズワース・ロングフェローが1841年に発表した小さな村の実直な鍛冶屋の姿を描写する「村の鍛冶屋」(The Village Blacksmith)という著名な作品があり、作詞者がこの詩のことを知っていた可能性もある。[2]
- 西日本旅客鉄道北陸本線の一部の駅で列車接近(到着・通過)メロディとして使用されている。
[編集] 脚注
- ^ 『教科書から消えた唱歌・童謡』 112頁。
- ^ Henry.Wadsworth Longfellow "The Village Blacksmith" 1841
[編集] 参考文献
- 横田憲一郎 『教科書から消えた唱歌・童謡』 扶桑社〈扶桑社文庫〉、2004年。ISBN 4594046770
最終更新 2009年5月15日 (金) 16:48 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【村の鍛冶屋】変更履歴

