東三河
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| 東三河地方のデータ | |
| 国 | 日本 |
| 地方 | 中部地方、東海地方 |
| 面積 | 1,662.55km² |
| 総人口 | 770,918人 (2009年4月1日) |
東三河(ひがしみかわ)とは、愛知県の東部を指す。豊川流域および渥美半島で、遠州灘に面する地域である。地方中心地は豊橋市。
目次 |
[編集] 概要
豊川流域に位置し、浜名湖・遠州灘・美濃三河高原・新野峠に四方を挟まれた地域である。本宮山から三ヶ根山に至る丘陵を西三河との境とする。大化の改新以前には、穂国造の支配領域であったともいう。
愛知県に属しているが、岐阜県や三重県と密接な尾張地方との歴史的連関は浅い。遠州灘に面する位置や、戦国時代には今川義元や武田信玄の領土に入った歴史などから、静岡県西部(旧遠江国)や長野県南部(伊那地方)との繋がりが深く、特に遠江地方との繋がりが深い。
自動車のナンバープレートは、地域全体が「豊橋」ナンバーのエリアである。
[編集] 地理
気候は南部が温暖な太平洋側気候に属する。温暖な気候を利用したメロンの栽培が盛んであり、静岡県西部や茨城県南東部と列ぶ大産地になっている。一方北部の山岳地帯は内陸性気候との混合形態であり、気温の年較差が大きい。冬季には積雪や氷点下10度以下の低温も見られる。
- 地形
[編集] 歴史
[編集] 律令時代以前
かつて東三河は三河国ではなく、穂国造の治める穂国であったという説がある。そして、三河国とは三河国造の治めた現在の西三河のみであった。但し、不明な点もあるようである。
[編集] 律令時代以後
律令時代になると、穂国と三河国は合併させられ、合併した際の令制国名は「三河国」となった。この三河国の国府、一宮、総社、国分寺および国分尼寺のすべては、旧穂国の東三河(現在の豊川市)にできた。正史によれば、律令時代は、西三河よりも東三河が三河国の中心地だったと言える。
また仏教では曹洞宗、臨済宗など禅宗の信者が多い。
[編集] 徳川家康三河守就任
戦国大名が群雄割拠する時代の1543年(天文11年)、於大の方が薬師世尊を本尊として祀る鳳来寺(新城市)に祈願の末、本地を薬師世尊とされる徳川家康が三河国岡崎城(岡崎市)で生誕した。(徳川家康を薬師世尊が日本の地に仮に現れたものとして信仰するのが東照宮信仰である。関八州の下野国日光(栃木県日光市)にまつられた日光東照宮のほか、全国に東照宮は有る。)1566年(永禄9年)、三河国を統一した徳川家康は朝廷より正式に三河守を拝命し、三河国の正式な統治権を得た。徳川家康は、三河国を東西に分割し、西三河を岡崎城を中心に石川数正により、東三河を吉田城(豊橋市)を中心に酒井忠次(徳川四天王筆頭、東三河の旗頭)により治めさせた。豊橋市を中心とする東三河という概念はここに成立する。
吉田城は、豊川と朝倉川の合流地点にあり、渥美郡、宝飯郡と、設楽郡とともに八楽と呼ばれた八名郡の境目にある。したがって、吉田城は、東三河全域におさえがきく。徳川家康が徳川四天王筆頭の酒井忠次を吉田城に置いたのはそのためだろう。
[編集] 徳川家康関八州移封
天正(1590年)、徳川家康は豊臣秀吉により、関八州へ移ることを命じられた。東三河へは豊臣秀吉の命で池田照政(東三河時代は輝政のテルの字が違う)の入封と成った。15万2000石である。本拠を吉田城に据えた。元牧野氏の牛久保城と元戸田氏の田原城を支城にし、元戸田氏の二連木城は近いため廃城とした。そのため、東三河は大坂城の太閤の下では吉田城(豊橋市)が中心である。
[編集] 幕藩体制から廃藩置県
太閤時代、吉田城(豊橋市)中心に統一されていた東三河は、徳川家康の征夷大将軍就任以降、分割された。吉田城は吉田藩、田原城は田原藩、新城城は新城藩、牛久保城は幕府天領となった。また、第2代征夷大将軍には東三河の八名郡南部(豊橋市西郷校区辺り)を本拠地とする三河西郷氏(三河国守護代の西郷家と同族と言われる)の西郷局(お愛)の子徳川秀忠が継ぎ、征夷大将軍は世襲と成リ、戦国の面影は徐々に消えて行き天下泰平の徳川時代の安定期に入る。
明治維新を経て、明治2年(1869年)吉田藩は藩名変更を命じられ豊橋藩となった。廃藩置県を受け、豊橋藩は豊橋県に、田原藩は田原県になる。新城藩は一旦、伊那県に編入された。明治4年(1871年) 、旧三河国各県と旧尾張国知多郡は岡崎城辺りを県庁とする額田県に統合する。また、これに伊那県に入っていた旧新城藩も額田県に合流する。明治5年(1872年)大区小区制により、県の下に区(町村にあたるが、この区には現在の市町村と異なり自治権は無い)を設立した。
[編集] 今の県、郡、市町村へ
明治5年(1872年)、名古屋県から改名した愛知県と額田県は合併し、現在の愛知県が成立する。明治11年(1878年)郡区町村編制法制定を受け、東三河は郡及び各町村に分かれ、現在の郡及び町村の原型が出来上がる。明治20年代の明治憲法発布に合わせ、郡制や町村制が施行される。豊橋市は明治に市制を施行した。大正10年(1921年)には郡制廃止法が発布され、大正12年(1923年)に郡会が廃止され、大正15年(1926年)に郡長と郡役所が廃止された。(廃止時、渥美郡は豊橋市、宝飯郡は国府町、八名郡は八名村、南設楽郡は新城町、北設楽郡は田口町に郡役所が置かれていた。)
豊川市は太平洋戦争終戦前に市制を施行した。戦後、地方自治法の施行を受けても市町村の区画は明治時代の区画を基本に合併して出来上がっている。現行地方自治法施行後、町村合併促進法による合併で、蒲郡市及び新城市が市制施行して八名郡が消滅し、平成の大合併により田原市が市制施行して渥美郡、南設楽郡が消滅した。
[編集] 自治体
[編集] 郡
[編集] 市町村
以下の5市3町1村がある。
[編集] 交通
東三河は、太平洋岸から天竜川流域に当たる伊那谷への連絡口という機能を担っている。
[編集] 鉄道
[編集] 道路
- 一般国道
[編集] 県の地方機関
[編集] その他
[編集] 市外局番
- 0531(田原MA):田原市
- ※ 0532,0533は、市外局番が異なるが市内料金で通話できる。なお、市外局番を統一する予定はない。
- ※ 新城MAと設楽MAは、市外局番が同じだがMAが異なるので、市外局番からダイヤルする必要がある。
- ※ 豊田市のうち旧稲武町の地域は2007年4月1日、0536(設楽MA)から0565(豊田MA)に変更された。
[編集] 郵便番号
東三河には郵便事業会社の統括支店として郵便番号44Xの地域を担当する豊橋南支店がある。なお豊根村のうち旧富山村の区域は浜松西支店が統括支店である。
- 〒440-xx 豊橋支店 豊橋市
- 〒441-01 豊川支店小坂井集配センター 小坂井町、豊橋市(前芝地区)
- 〒441-02 豊川支店御油集配センター 豊川市(御油町、旧音羽町)
- 〒441-03 豊川支店御津集配センター 豊川市(御津町)
- 〒441-11 豊橋南支店石巻集配センター 豊橋市(石巻地区)
- 〒441-12 豊川支店三河一宮集配センター 豊川市(旧一宮町)
- 〒441-13 新城支店 新城市
- 〒441-14・15 新城支店作手集配センター 新城市(旧作手村)
- 〒441-16 新城支店長篠集配センター 新城市(旧鳳来町)
- 〒441-19 新城支店鳳来寺集配センター 新城市(旧鳳来町)
- 〒441-22・23 新城支店設楽集配センター 設楽町
- 〒441-24 新城支店名倉集配センター 設楽町
- 〒441-25 足助支店稲武集配センター 設楽町の一部
- 〒441-26 新城支店津具集配センター 設楽町(旧津具村)
- 〒441-31~33・80・81 豊橋南支店 豊橋市(南部・西部)
- 〒441-34 田原支店 田原市(旧田原町)
- 〒441-35 豊橋南支店赤羽根集配センター 田原市(旧赤羽根町)
- 〒441-36 豊橋南支店渥美集配センター 田原市(旧渥美町)
- 〒442-xx 豊川支店 豊川市
- 〒443-xx 蒲郡支店 蒲郡市
- 〒449-02 新城支店東栄集配センター 東栄町
- 〒449-04 新城支店豊根集配センター 豊根村
- 〒431-41 天竜支店水窪集配センター 豊根村(旧富山村)

