東京都交通局3000形電車

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東京都交通局3000形電車(とうきょうとこうつうきょく3000がたでんしゃ)は、1922年(大正11年)に登場した東京都交通局路面電車。ここでは1922年から製造された木造3000形、及び1949年(昭和24年)から1953年(昭和28年)に製造された鋼製3000形について記述する。

目次

[編集] 木造3000形

1922年(大正11年)から1924年(大正13年)にかけて、全部で610両も生産された前後2扉の低床式木造ボギー車。車体自体は木造だが、車体の堅牢化のために柱と屋根組には鉄骨が採用されている。屋根は二重屋根となっている。メーカーは日本車輌、田中車輛(現・近畿車輛)、藤永田造船所汽車会社である。

当初は3001~3100までの100両が製造されたが、このうち13両が1923年(大正12年)9月1日関東大震災により焼失した。震災後、車両不足に対処するため3101~3610までが製造され、震災からの復興の真っ只中だった東京市内のほぼ全線区で使用された。

後にこの3000形が東京市電の車両の基本形となった程の名車だったが、太平洋戦争末期の戦災で半数以上の373両が焼失してしまった。またこれ以前や終戦直後に事故や火災などで廃車となったものや、2000形への改造されたものがあり、1948年(昭和23年)5月の時点で残っていた195両は3001~3195に改番された。

[編集] 鋼製3000形

1949年(昭和24年)から1953年(昭和28年)にかけて、戦災を逃れた旧3000形を中心に改造された車両。大半は旧3000形が種車だが、一部に1400形や王子電気軌道からの引継車などを種車としたものも存在する。また、改造・更新に入り混じって新造車も製造され、全部で242両が製造された。新造された車体の形状は6000形とほぼ同様だが、製造年度や製造所により多少の差異が見られる。1950年(昭和25年)から1953年(昭和28年)に新造された車両の中には方向幕窓を大型化したものや、車体側面にスカートが付いたものもある。また、側面窓の枚数も、基準である10枚以外に9枚・8枚などの違いがあった。最終製造分である1953年製は当初からドアエンジンを搭載している。290両製造された6000形に次ぐ大所帯で、4000形・6000形と共に都電の顔として活躍した。

[編集] 他の事業者への譲渡

[編集] 長崎電気軌道800形

長崎電気軌道では廃車となった3000形のうち5両を1972年(昭和47年)に譲り受けた。しばらく留置されていたが3145が1975年(昭和50年)に改造されて800形801となり、続いて翌1976年(昭和51年)に3215が改造され802として使用開始された。長崎電気軌道は1435mm軌間であるため、台車は西鉄北九州線の車両整理によって発生した日車製C-10形に振り替えた。ワンマン化は認可は受けたが施工されなかった。

ツーマン車ということもありあまり運用に供されず、老朽化や長崎大水害での冠水などで1982年(昭和57年)に2両とも廃車となり、入籍されなかった残り3両も含めすべて解体された。

最終更新 2008年11月20日 (木) 08:09 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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