東京都立小石川高等学校
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| 過去の名称 | 東京府立第五中學校 東京都立第五中學校 東京都立第五新制高等学校 |
|---|---|
| 国公私立の別 | 公立学校(都立) |
| 設置者 | 東京都 |
| 校訓 | 立志・開拓・創作 |
| 設立年月日 | 1918年10月 |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 課程 | 全日制課程 定時制課程 |
| 単位制・学年制 | 学年制 |
| 設置学科 | 普通科 |
| 学期 | 3学期制 |
| 高校コード | 13154H |
| 所在地 | 〒113-0021 |
|
北緯35度43分44.6秒東経139度44分44.7秒 |
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| 電話番号 | 03-3946-7171 |
| FAX番号 | 03-3946-7397 |
| 外部リンク | 公式サイト |
東京都立小石川高等学校(とうきょうとりつこいしかわこうとうがっこう)は、東京都文京区本駒込二丁目にある都立高等学校。
目次 |
[編集] 概要
詳細は「東京都立小石川中等教育学校」を参照
府立五中を前身とする都立進学校。1918年10月に東京府立第五中学校として創立し、翌年4月より開校。1949年から男女共学となり、1950年には東京都立小石川高等学校と改称。「小石川」の校名は、本校の所在地がかつて小石川区(1947年に本郷区と合併し、文京区となる)駕籠町と称されていたことに由来する。現在の小石川にあるのは竹早高校である。全盛期には都立トップ校の一角として毎年50~80人ほどの東大合格者を輩出。特に1950年度は82名で日比谷高校と並び首位であった。
[編集] 沿革
- 1918年 - 東京府立第五中学校として設立。翌年開校。
- 1943年 - 都制実施に伴い、東京都立第五中学校と改称。
- 1948年 - 東京都立第五新制高等学校と改称。
- 1949年 - 男女共学となる。
- 1950年 - 東京都立小石川高等学校と改称。
- 1952年 - 学区合同選抜制度導入。
- 1967年 - 学校群制度による最初の高校入試が実施される。竹早とともに41群に属す。
- 1982年 - 学校群制度が廃止されグループ選抜となる。41グループに属す。
- 1994年 - 現在の単独選抜制度導入。
- 2006年 - 東京都立小石川中等教育学校が開校。第1期生入学。
- 2008年 - 定時制閉課程。
- 2009年 - 全日制募集停止。
- 2011年 - 東京都立小石川高等学校閉校予定。
[編集] 府立五中と伊藤長七
1918年10月に東京府立第五中学校として創立。初代校長には、東京朝日新聞に掲載された「現代教育観」で脚光を浴びていた伊藤長七が抜擢された。自由主義的な教育を理想としていた伊藤は、「立志・開拓・創作」の三校是のもと、生徒を紳士として扱い、自発性を尊重し創造性を発揮する教育を実践した。大正デモクラシーの気風も追い風となり、「男女共教」の観点から女性教師を次々と採用したほか、「詰襟制服は胸元を圧迫し自由な思考を阻害する」との持論により、当時においては画期的であった背広とネクタイを制服として制定。夏休みには、伊藤の故郷である長野県北佐久郡志賀村で農村生活の体験をする「転地修養隊」を結成するなど、何もかもが型破りな教育者として、府立五中と伊藤長七の名が全国に広まった。
学校が理化学研究所に隣接していたことや、伊藤自身が理数教育の重要性を唱えたこともあって、創立当初より他の府立中学と比べて理数教育の充実度は一線を画しており、希望者による天体観測や気象観測を行うなど、机上の学習のみならず、実験や校外学習が盛んに実施された。
伊藤長七の教育理念は、2代校長に就任した落合寅平以降にも継承され、今日まで連綿と受け継がれている。
[編集] 校是・校風
本校のモットーは、「全人的教養主義」を唱え、単独で米国大統領と会見を開くなど当時、教育者として名高かった初代校長・伊藤長七が打ち立て、今日まで連綿と続く一貫した教育目標(校是と呼ばれている)、「立志・開拓・創作」である。当時の大正デモクラシーの気風もあり、この教育目標の下、生徒を紳士・淑女として扱い、自主性・創造性を十分に発揮させるため、自由な校風が育まれた。学校群制度を経た現在においてもなおこのモットーは大切にされており、全国でも他に類を見ない自由な校風は健在である。
[編集] 制服
大正デモクラシーの気風の下、伊藤校長の『詰襟制服は胸元を圧迫し自由な思考を阻害する』との持論により、当時においては画期的であった背広とネクタイを標準服として定めていた。現在では制服は存在しておらず私服登校がなされている。
[編集] 教育
[編集] 理数教育
古くから理数教育には定評があった。「小石川教養主義」の下、創立当時は理化学研究所に隣接していたこともあり、理化学重視の方針と併せ、実験を重視し論旨明快なレポートを求める[1]という、他校とは一線を画した「小石川の理数教育」が実践されている。小石川の教養主義を象徴するものが、50年以上に渡って改訂を繰り返しながら受け継がれている理科系科目のオリジナルテキストである。生物であれば「生物実習」と題された200ページにも及ぶ独自教材が全員に配られ、小石川伝統の科学的考察力と高度なレポート作成能力が養われる。これらの独自の理数教育が認められ、文部科学省からスーパーサイエンスハイスクールに指定されている。
[編集] 選択科目制
小石川では昔から100講座にも及ぶ膨大な選択科目を設置していることで知られており、興味に応じて演習科目や実験講座などを選ぶことができた。
[編集] 小石川セミナー
土曜日の「小石川セミナー」では、800名を超える現役大学教授を輩出している点を活かし、最先端の研究内容を知ることが出来る。
[編集] 行事
芸能祭・体育祭・創作展の3つを合わせて「三大行事」と呼ばれる。生徒が行事に専念できるように、伝統的に9月下旬に集中的に開催され、この時期は「行事週間」と呼ばれている。この期間中は通常授業が一切行われず、伊藤長七が打ち立てた「立志・開拓・創作」の校是の下、完全に生徒の自主性に任された行事運営がなされている。生徒自治会が行事運営委員会を設置し、予算・運営・決算の全てを生徒が行う。
- 芸能祭
- 開校当初から続く伝統行事。芸能祭実行委員会が設置され、最優秀団体には「芸能祭大賞」が贈られる。
- 体育祭
- 運営は体育委員会。予備大会が行われ、その得点が本大会での持ち点に加算されるという独特のルールを有する。
- 創作展
- 文化部やクラスの団結力が試される伝統行事。運営は創作展実行委員会。近年のクラス発表は演劇が主流となっているが、中等生では展示部門も行われるようになった。演劇は高いレベルを維持している。最優秀作品には「創作展大賞」が贈られる。
- 後夜祭
- 近年行われ始めた行事。運営は生徒自治会。芸能祭大賞・創作展大賞など各部門の上位入賞グループ・クラスを表彰する。芸能祭大賞は再演も行う。他に「チョコ券」や芸能祭に出演していない団体の演奏がある。2007年度から中等生の参加も可能になった。
[編集] 部活動
サッカーなどはかつて都下の古豪としてその名を鳴らしたことでも知られている。また軟式野球部は全国大会出場の実績を持つ。
[編集] 中等教育学校
小石川高等学校を閉校とし、新しく小石川中等教育学校を開校することが公になると、伝統ある小石川高等学校を愛する同窓会、卒業生から一斉に反対の声があがった。しかし、東京都の方針は覆らず、中等教育学校は2006年度に開校した。ただし、小石川高校の教養主義や理科教育、行事週間などの伝統を引き継ぐことは合意され、現在では同窓会も中等教育学校を積極的に支援している。
[編集] 高校関係者と組織
[編集] 関連団体
- 紫友会・・・同窓会
[編集] 高校関係者一覧
- 東京都立小石川高等学校人物一覧を参照。
[編集] 関連書籍
- 「都立高校のすべてがわかる本」 山崎謙 山下出版
- 「東京府立中学」 岡田孝一 同成社 - 全国から嘱目されるエリート養成機関であった都立ナンバースクールの実像を描く。
[編集] 関連項目
- 東京都立小石川中等教育学校
- 学校記事一覧
- 東京都高等学校一覧
- 旧制中学校
- ナンバースクール
- 大阪府立高津高等学校 - 創立年が同じ大阪の府立高津高校と比較対照され、校風がよく似ている。
[編集] 脚注
- ^ 新生通信編『日本の名門高校ベスト100 公立高校編』(新生通信・朝日新聞社)を参照。
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年8月11日 (火) 16:21 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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