東武8000系電車
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| 東武8000系電車 800系・850系電車 |
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東武8000系(初期修繕車)(2007年6月4日、新越谷駅にて撮影)
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| 編成 | 8000系 2両・4両・6両・8両 800系・850系 3両 |
| 起動加速度 | 2.23(非冷房,2M1T車:2.5)km/h/s |
| 営業最高速度 | 100km/h |
| 設計最高速度 | 110km/h |
| 減速度 | 3.7km/h/s(常用最大) 4.5km/h/s(非常) |
| 車両定員 | 本文参照 |
| 全長 | 20,000mm |
| 全幅 | 2,850mm |
| 全高 | 4,200mm |
| 車両質量 | 8000系 Tc1・2=26t、T=32t、M=39t 800系 Tc=26t、M=38t、Mc=40.5t 850系Mc=39.5t、M=39t、Tc=26t |
| 軌間 | 1,067mm |
| 電気方式 | 直流1,500V(架空電車線方式) |
| 主電動機 | 直流直巻電動機130KW モハ8200・8300形のMMユニット=TM-63 モハ8500・8800形=TM-64形 |
| 歯車比 | 5.31 |
| 制御装置 | 電動カム軸超多段式直並列バーニヤ抵抗制御器 VMC-HT-10A・20A(日立製作所製) |
| 駆動装置 | TD撓み板継手中空軸平行カルダン駆動 |
| 台車 | TRS-62M・TRS-62T(1963~1974年製) TRS-75M・TRS-75T(1976~1983年製)(すべて住友金属工業製) |
| ブレーキ方式 | 電磁直通空気制動(HSCブレーキ)回生及び発電制動なし、空気制動のみ。 |
| 保安装置 | 東武形ATS |
| 製造メーカー | アルナ工機 日本車輌製造東京支店 汽車製造東京製作所 東急車輛製造 富士重工業 |
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この表について
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東武8000系電車(とうぶ8000けいでんしゃ)は、1963年(昭和38年)11月1日から導入された東武鉄道の通勤形電車。
本項では8000系から改造されたワンマン運転対応の800系電車・850系電車についても記述する。
目次 |
[編集] 概要
沿線人口の急増による乗客増への対応と旧形車両の置き換えを目的として開発され、1963年(昭和38年)から1983年(昭和58年)まで(1975年のみ新製なし)に約20年もの長期にわたって712両が製造された。ただし、製造年次により細部には様々な差異が生じている。この同一系列での712という数は、国鉄とJRを除いた私鉄電車では最多両数[1]で、本系列はこの記録を1970年代以来保持している。
製造メーカーは、ナニワ工機(現・アルナ車両)を中心に日本車輌製造東京支店・汽車製造東京製作所・富士重工業・東急車輛製造の計5社である。ただし、汽車製造は1963年製の初期車2編成[2]のみ製造に携わり、また日本車輌は1971年の豊川移転統合に伴う東京支店工場閉鎖のために製造から外れ[3]、代わって東急車輛が1973年より加わっている[4]。
2・3・4・6・8両の編成が存在する。当初は4両固定編成が登場し、2両の電動車を一括制御する1C8M方式がとられたが、ついで2両固定編成登場時には1両の電動車のみ制御する1C4M方式がとられ、以後、6両、8両固定編成が登場するにあたっても、MT比を1:1として両者が混在している。また後に改造で3両固定編成も登場した。組み合わせによってローカル線区の2両から伊勢崎線北千住口・東上線の10両まで、柔軟な運用が可能である。
2009年(平成21年)時点では600両以上が残存し、鬼怒川線を除く全線で使用されている。その中でも、野田線では2004年(平成16年)10月19日のダイヤ改正からすべての列車が本系列で運用されている。
[編集] 「私鉄の103系」
本系列は、その両数の多さと長期にわたる製造期間から、同時期にやはり20年間に3,000両超が製造された国鉄103系電車になぞらえて「私鉄の103系」と呼ぶ向きもある。実際両開き4ドアの20m車体、中空軸平行カルダン駆動など旧形車両を置き換える[5]新しい通勤形として重要な共通点が多いが、上記の通り端子電圧の異なる2種の主電動機を採用し1C4M方式と1C8M方式を混在させることで短編成から長大編成までMT比1:1を維持する点[6]、発電ブレーキを装備しない点[7]、103系ではコスト面で採用を見送った空気バネ台車を用いた点などは、大きな相違である。
私鉄の同一系列で2位である西武2000系が436両に過ぎない[8]ことからも、本系列の両数の多さがうかがえる。かつての東武の看板列車である1720系(DRC)が31年に渡り特急へ使用されたことと並んで、東武の保守的イメージの象徴でもあった。また、あまりの膨大な車両数から車両番号が本来の4桁では足りなくなり、通称「インフレナンバー」と呼ばれる5桁の車両番号を持つ車両が登場した。(詳細については#その他・エピソードを参照)
[編集] 諸元
- 定員:Tc1・2(制御車)=150名、他=170名
- 自重:Tc1・2=26t、T(付随車)=32t、M(電動車)=39t
- 制御装置:電動カム軸超多段式直並列バーニヤ抵抗制御器 VMC-HT-10A・20A(日立製作所製)
- 制動装置:電磁直通空気制動(HSCブレーキ)回生及び発電制動なし、空気制動のみ。
- 駆動装置:TD撓み板継手中空軸平行カルダン駆動
- 補助電源装置:電動発電機(CLG-350D,140kVA/CLG-355,75KVA)、ブラシレス電動発電機
- 設計最高速度:110km/h
- 営業最高速度:100km/h
- 起動加速度:2.23km/h/s(設計2.5km/h/s)
- 減速度:3.7km/h/s(常用)/4.5km/h/s(非常)
- 車両:長さ=20,000mm/横幅=2,850mm/高さ=4,200mm
- 冷房能力:42,000kcal/h/車両
- 台車:TRS-62M・TRS-62T(1963~1974年製)・TRS-75M・TRS-75T(1976~1983年製)(すべて住友金属工業製)
- 歯車比:5.31
- 主電動機:モハ8200・8300形のMMユニット=TM-63/モハ8500・8800形=TM-64形 直流直巻電動機
- 出力(kW×個数):130×4
[編集] 構造
[編集] 車体
[編集] 基本構造
全長20m・両開き4扉の普通鋼製で、経済性への重視により徹底的な軽量化が図られた。軽量化と車体強度を両立させるため、1963年頃の首都圏の電車としては比較的珍しく、戸袋窓が設けられていない。また、側窓上部の形状や、車体裾部の構造、側扉の窓ガラス支持方法など、製造年次によって細部に違いがある。
またインチネジ使用とミリネジ使用の違い、台枠と外板の溶接方法の違い、床構造の違いなどの差異も多い。
[編集] 運転台
ファイル:P6180135.JPG 前面はそれ以前の東武の通勤形電車と同じく貫通式であるものの、自動車との衝突事故に備えて高運転台構造とし、屋根も深くなっている。窓下の2灯式前照灯や額部の行先表示器は、8000系に先んじて製造され1961年~1993年の間運行された2000系の影響が強い。また、種別幕は当初3列の分割幕になっており、列車番号を表示していたが、後に種別表示用に改造された(3000系は廃車時まで列車番号用)。その後種別幕回転ハンドルは東上線用車のみ改造され、本線所属車では車体修繕で自動幕になるまで取り付けられなかった編成が多い。当時大手私鉄の幹線車両のほとんどに装備されていた通過標識灯は、尾灯のように車体に埋め込まれているのでなく、屋根上に飛び出して設置されるという非常に珍しい形態だった。しかし、その後伊勢崎・日光線の快速(種別名は当時のもの)以上を除いて通過標識灯点灯が廃止されたため、撤去して埋め込まれた。この場所から雨水が入って腐食することも廃止の理由の一つであったという。なお、通過標識灯は運転室の押しスイッチでは「上部灯」と標記されていた。通過標識灯撤去後は、その位置に「乗務員室灯」のスイッチが設置された。
冷房装置搭載改造以前の車両は、運転室前後長さが短く(狭く)、運転室の仕切り扉の構造も違っていた。また、車掌側キセには手ブレーキの円形ハンドルが埋め込まれており、ワイヤーで作動する構造であった。
マスコンハンドルは2000系と同様に跳ね上げ式のデッドマン付きだが、ノッチ数は並列全界磁段を省略したため3ノッチで、事情は異なるが同時期登場の西武701系と同様である。また、発電制動がないため主回路電流計は省略され、パネル上にある電気関係の計器は制御電圧計のみである。
[編集] 客室
オールロングシートで、扉間は7人掛け、車端部は4人掛けで中間車の座席定員は58人。伊勢崎線・日光線・鬼怒川線での長距離運用も想定し、通勤車ではあるが座席奥行きを深くするとともにクッションを柔らかくし、長距離客にも配慮している。客用ドアは製造当初からステンレス製であったが、1974年製までは内側がベージュ色に塗装されていた。1976年製以降は内側の塗装が省略された。側面窓は天地寸法950mmと大きめの上段下降・下段上昇式で、上段の方がやや面積が大きい。
冷房装置搭載改造以前は扇風機を装備していたが、夏季以外は取り外していた。改造後は冷房装置のみとなり、装置の関係で天井がいくぶん低くなった。
また、電動車の車内に主電動機の点検ふたがないため、すっきりした見付けになっていると同時に、走行時の静粛性にも寄与している。
[編集] 走行機器
滑らかな加速が得られる超多段式のバーニア抵抗制御と、設計当時としては強力な130kW主電動機を組み合わせ、コストダウンと走行性能を両立させた。ブレーキは車輪を締め付ける空気制動のみの簡素な設計だが、新開発のレジンシューの採用で必要な制動力を確保している。発電ブレーキの省略措置は、高加速・高減速を必ずしも必要としなかった当時の東武鉄道の路線条件を考慮しての合理的発想である。抵抗器容量を減らし、制御装置も簡素化することで、軽量化による加速力向上や電力消費抑制、モーター負荷抑制、コストダウンを目指した。
また、4両編成と2両編成でモーターや制御装置の仕様を変えるという手の込んだ策を採り、編成長に関わらず、常に編成内の電動車と付随車の比率(MT比)が経済的な1:1構成になるように設計されている。6両固定編成は、4両編成1組と2両編成1組をセットにしたのと同じ機器配置となっている。
[編集] 制御装置
日立製作所製のVMC超多段型制御器(バーニア制御器)。電動カム軸式である。
力行のみ55段(弱め界磁起動1段、直列24段、並列21段、弱界磁9段)。発電ブレーキを省略して極力簡素な構成とし、なおかつ超多段制御で加速をスムーズにした。
- モハ8200・8300:VMC-HT20形 1C8M(制御器1基で電動車2両分8個のモーターを制御)
- モハ8500・8800:VMC-HT10形 1C4M(制御器1基で電動車1両分4個のモーターを制御)
[編集] モーター
中空軸平行カルダン駆動方式・補償巻線付の130kWモーターで、1963年時点では日本の狭軌鉄道用として最強クラスのカルダンモーターであった。制御回路の都合上ユニット車用と1M車用で端子電圧などの仕様を違えているが、130kWの定格出力や、1,750rpm(82%界磁)の定格回転数などの特性は極力揃えてある。
同じモーターが6000系や1800系では最弱め界磁率20%で使用された(歯車比も同じ)が、本系列は30%にとどめてある。それでも、高速性は国鉄近郊形電車に匹敵する。
メーカーは日立製作所(記号はHS)と東洋電機製造(記号はTDK)の2社で、共通設計とした。「TM」とは東武独自のモーター符号である。
- モハ8200形、モハ8300形(8個制御対応):TM-63(端子電圧375V) 日立HS-836-Srb、東洋TDK-845-A系
- モハ8500形、モハ8800形(4個制御対応):TM-64(端子電圧750V) 日立HS-836-Trb、東洋TDK-845-B系
[編集] 台車
住友金属工業の空気バネ台車を一貫して用いているが、前期(1974年製以前)と後期(1976年製以降)で差異がある。
[編集] 前期形(ミンデンドイツ台車)
初期形の台車は、揺れ枕吊り式ミンデンドイツ台車であるFS356・056[9]で、メーカー形式とは別に「TRS-62」という東武での社内呼称が与えられている。枕バネは3段ベローズ式空気ばね、台車枠は鋳鋼製、軸距2,300mmである。
ミンデンドイツ式台車はドイツ国鉄(現・ドイツ鉄道)のミンデン研究所で1930年代に考案されたもので、車軸の位置決めを軸受け前後に固定された板ばねで行い、車軸の緩衝自体は別のコイルばねで行うという手法である。
日本には西ドイツのクロックナー・フンボルト・ドイツ(Klöckner-Humboldt Deutz AG:KHD)社と住友金属工業の技術提携により、1961年の阪急電鉄2000系用FS344より住友と取引のある私鉄各社へ順次導入された。線路方向に剛性の高い板ばねを軸箱の支持・案内に用いるため直進安定性が高く高速走行時の特性が良好で、後に新幹線の台車にもIS式台車[10]として一部改良の上で採用された実績がある。だが、この方式には長い板ばねのために台車枠の全長が延びて大型化してしまうこと[11]や、組み立てや部品加工、特に板ばねの固定に高い工作精度が要求されるという難点が存在する。このため、保守に際しても専用治具の設置が求められることなどから私鉄での導入は阪急・京阪・南海・営団・東武・小田急・京成と大手7社に限られた。
この高価な台車を東武が導入した理由は「保守の省力化」であった。ミンデンドイツ式は軸箱と台車枠との間に摺動部分がないため一般的なペデスタル式台車で必要となる頻繁な部品交換や摺動面の遊間調整といった作業が不要で、メンテナンスコストが減少する。こうした長期的なランニングコストの低減を考慮すれば、イニシャルコストが高価な軸箱支持機構を採用しても減価償却の観点からは十分採算がとれ、また乗り心地が改善されることから、収益の増進と乗客サービスの改善に資するという発想であった。
また、空気バネの採用も1963年当時は高価であり、通勤電車用としては贅沢なものであった。これは乗り心地の改善よりもむしろ、車体の軽量化によってより大きくなってしまった満車時と空車時との積空差の吸収が金属ばねでは困難で、乗降時に問題となる危険性がある、という問題の解決策という性格が強く、この点において自動車高調整機能を備える空気ばねには大きなメリットが存在していることになる。
[編集] 後期形(S形ミンデン台車)
後期形の台車は、台車枠が鋼板プレス材溶接組み立て構造に変更され[12]、さらに軸箱支持機構がミンデンドイツ式を基本としつつ住友金属工業が独自に改良したS形ミンデン式に変更された、FS396・096(東武での社内呼称はTRS-75)となった。
このS形ミンデン式はオリジナルのミンデンドイツ式の短所である「台車枠の全長が長くなり床下スペースを大きくとる」点を解消した構造で、枕ばねの両脇から突き出した上下2枚の板ばねで軸箱の位置決めをするカンチレバー(片持ち)式の軸ばね支持機構を備える。コイルばねを2本並列配置で軸ばねとして用いるミンデンドイツ式とは異なり、軸ばねはシングルとなり、非常に簡潔な構成となった。阪急3300系を皮切りに主に私鉄の通勤電車用として1970年代以降盛んに用いられた形式である。
また、枕ばねについても揺れ枕吊り構造をやめ、背の高いベローズ式空気ばねに代えて横方向にも剛性(復元力)のあるダイアフラム形空気ばねで荷重を直接負担する「ダイレクトマウント構造」を採用し、台車枠の側枠中央部を引き下げてその直上に大径かつ薄型の空気ばねを置くように変更された。
軸距は後述する揺れ枕部の改良もあって2,200mmに100mm短縮され、軸箱支持機構の変更に伴う側枠寸法の大幅縮小や各部の簡素化も相まって、大幅な省スペースと軽量化を実現した。
[編集] ブレーキ
当時日本の各私鉄において一般に使用されていたHSC電磁直通ブレーキが採用された。ただし在来車との混用は考慮せず、自動空気ブレーキ部の三動弁を非常弁で置き換えた、実質的にSMEEブレーキと同等の仕様のものが採用されている。
発電ブレーキは装備せず、車輪を空気圧作動の制輪子(ブレーキシュー)で締め付ける「踏面ブレーキ」のみとして、機器類を簡素化している。
踏面ブレーキ単独だと発電ブレーキ併用車に比して制動能力が劣ることになるが、ブレーキシューを従来の鋳鉄製から制動能力に優れたレジン(樹脂)製に変更することでブレーキ力不足を補った。このため、停止時には独特の匂いが発生する。
しかし、レジンシュー使用の踏面ブレーキのみに頼った制動は滑走が多発して車輪の偏摩耗によるフラット現象を起こしやすく、これによってしばしば乗り心地が悪くなることは本系列の恒常的弱点の一つである。
[編集] 冷房装置
当初は非冷房だったが、1972年の製造車[13]から集約分散式の冷房装置が新製時より標準装備となり、それまでに製造された非冷房車も順次冷房改造工事が実施された。他社の20m級通勤車がようやく8,000~8,500kcal/hの分散式クーラー4~5基(もしくは集中式1基)を搭載し始めた時代に、東武は阪急電鉄や小田急電鉄とほぼ同時期により強力な10,500kcal/hの集約分散式を採用し、各車4基搭載としている。これに伴い、屋根上室外機のスペースを稼ぐためにパンタグラフは従来より小型の下枠交差式(PT-4801-A)に変更された。室内は当時の冷房車では珍しく最初から平天井構造となっている。
改造工事は当初、西新井工場内の津覇車輌で行う計画だったが、同社は旧型車の3000系への更新工事で手一杯だったため、一部の工事はアルナ工機で行われた[14]。同系列の更新が一段落すると津覇車輌で冷房改造が行われるようになり、1984年までに冷房化を完了している。
なお、冷房化で取り外されたPT-42J形菱形パンタグラフや押し込み式ベンチレーターの一部は5000系に流用された。
[編集] 編成およびその概要
※以下の節では、編成の組成両数について、2両編成は「2R車」、4両編成は「4R車」、6両編成は「6R車」、8両編成は「8R車」、3両編成は「3R車」と表記し、個々の編成を表す場合は浅草・池袋方先頭車の車両番号の末尾に「F」(「編成」を意味する英語Formationの頭文字)を付して表記する。
[編集] 4R車
1963年の製造当初からの2M2Tの基本的な編成で、1970年製の8155Fまですべて4Rで新造された。電動空気圧縮機(コンプレッサー)は当時の標準型のC-2000Mを装着する。後期はHB-2000CAとなった。このうち、8101F~8114Fの14編成は1971年~1972年にサハ8700形-モハ8800形を組み込んで6R車グループに移った。
このほかに、修繕工事の際に中間車化改造された2R車を組み込んで6R車グループに移った編成が10編成やクハ8400形の運転台を撤去(乗務員室は存置)して事実上6R車化された編成(後述の#野田線の8000系を参照)も存在する。一方では8R車が分割改造されて新たに4R車グループに編入されるケースも生じている。
東上線系統には小川町~寄居間のワンマン運転に対応した編成が6本(81107F・81109F・81111F・81112F・81119F・81120F)あり、本線系統でも宇都宮線のワンマン運転に対応した編成8本(8189F・8190F・81105F・81106F・81108F・81115F・81116F・81118F)がある。またさらに2008年6月14日から越生線にワンマン運転に対応した編成が6本(8183F・8184F・8197F・8198F・8199F・81100F)がある。越生線用と東上線小川町~寄居間で使用するワンマン運転に対応した編成は両線で共用されている。
- 編成(上り浅草・池袋側から):Tc(制御車)8100-M(電動車)8200-M8300-Tc8400
[編集] 2R車
8000系は当初上記4R車が製造されたが、通勤需要の増大で6両編成が必要になった際に4両ユニットの間に中間車を入れずに1M1Tの増結用として、また支線区用として1964年から製造された[15]。形式は上記4R車の8100-8400に続き、8500・8600が付けられた。
コンプレッサーはクハ8600形に7800系と同様の旧型機であるD3-FRを搭載するが、修繕工事などで新型のHS-20Cへ換装したものもある。1974年製の8564F以降はHB-2000CAを搭載している。
8501F~8580Fの80本が製造されたが、修繕工事の際に中間車化改造された上で4R車に組み込まれた編成が10本、またモハ8500形の運転台を撤去(乗務員室は存置)して4R車と共に事実上6両固定編成を組む編成(後述の#野田線の8000系を参照)も存在している。
東上線系統所属車のうち8505F・8506F・8510Fには、検査時や本線系統との車両転属時に該当車を牽引して秩父鉄道線を走行できるように秩父鉄道のATSを搭載している。これらの編成はマスコンハンドルを10000系と類似のものに変更した。
ワンマン運転を行っている大師線(2003年3月19日~)、小泉線(東小泉~太田間・2003年3月19日~、館林~西小泉間・2006年9月28日~)、亀戸線(2004年10月19日~)、佐野線・桐生線((2006年3月18日~)では、対応機器が備えられている。
- 編成(上り側から):Mc8500-Tc8600
- ワンマン運転対応編成
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- 大師線・亀戸線 - 8565F・8568F・8570F・8575F・8577F
- 館林地区 - 8561F~8564F・8572・8574・8576・8579F
本線の2R車は、他の編成と連結されて運用される場合がほとんどだが、それらの編成の組みあわせは頻繁に変わる。2R+2R+2Rの6両編成(通称:ブツ6)や編成組み替えの結果未修繕車・初期修繕車・後期修繕車がさまざまに組み合わされた編成を見ることができる。また、朝ラッシュ時には2R×5本の10両(ブツ10)が組まれることもある。東上線では4両編成で2R車×2本の編成がかつては見られたが、2008年現在はすべて4R・6R・8R車と組み合わされて使用される。
なお、2R車を8500系として4R・6R・8R車と区別する場合もある。
[編集] 6R車
3M3Tの編成。1972年製の8156Fが初の新造6R車となる。制御系統は既存のシステムを利用し、4R用1セット+2R用1セットという変則的な形態になっている。同編成は東武初の通勤形電車新製冷房車でもあり、利用者から好評を得た。1974年製の8164FからはコンプレッサーがHB-2000CAへ変更され、塗装色がセイジクリームへ変更となった[16]。形式は上記4R車の8100-8400に、8700・8800が中間に入る形になる。
8101F~8114Fは、1971年~1972年にサハ8700形-モハ8800形を組み込んで6R車グループとなった。その際に、非冷房で製造されたモハ8814は、パンタグラフが下枠交差型(PT-4801-A)を載せた異端車であった。(後述の#その他・エピソードを参照)その他に、修繕工事の際に4R車に中間車化改造した2R車を組み込んで6R車化した編成が10編成、また、4R車のクハ8400形と2R車のモハ8500形の運転台を撤去(乗務員室は存置)して事実上6R車化された編成(後述の#野田線の8000系を参照)も存在する。
- 編成(上り側から):Tc8100-M8200-M8300-T(付随車)8700-M8800-Tc8400(T8700は類義上M'扱い)
- 6R車はほとんどが野田線に配属されている。2009年4月時点で東上線に配属されている6R車は以下の通りである。
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- 伊勢崎線・日光線 - 配属車両なし[17]。
- 東上線 - 8111F・8112F・8156F・8161F~8163F・8171F・8192F
[編集] 8R車
4M4Tの編成。当時既に8両編成列車が主体であった東上線向けとして1977年(昭和52年)に登場したグループである。制御系統は4R用を2組配置とした。形式は4R車同様の8100-8400の他、中間付随車は新形式のサハ8900形となった。これで本系列は9形式に達している。
導入当初は大山駅のホーム両端に踏切があり、有効長が6両分に限られていたため、サハ2両を外した6両編成(4M2T)で使用されていた。その後、ホームが延長できないまま本来の8両編成での使用を開始し、同駅に停車する際には2両分のドアを締め切るドアカット扱いで対応した(通称:大山対策車)が、後に一方の踏切を除去してホーム有効長を10両分に延長したことで解消している。この間、ドアカット非対応車については運転台上のマーカーライトを常時点灯させることにより大山停車の運用に入らないよう運用区別を行っていた。
登場時点で東上線には一部列車が10両編成で運転されていたが、検査時の秩父鉄道経由の移動の都合もあり、10R車は登場しなかった。営団地下鉄(現・東京地下鉄)有楽町線との相互乗り入れ開始後に、東上線は10両編成列車が標準になったため、2R車を増結して10連で使用されることが多かった。2008年6月以降、東上線池袋~小川町間は全列車10両編成となったため、原則として8R+2Rで運用されている。
17編成が製造されたが、うち5編成(8187F・8193F・8195F・81101F・81103F)は伊勢崎線太田~伊勢崎間と佐野線のワンマン化のために3両編成の800・850系(後述)へ改造され、余剰となったサハ8900形10両は廃車・解体された。また、3編成(8189F・81105F・81115F)は宇都宮線用に4連(サハ8900形に運転台を取り付け、クハ8100・8400形に改番)となった。またさらに3編成(8183F・8197F・8199F)は越生線用に4連(サハ8900形に運転台を取り付け、クハ8100・8400形に改番)となった。なお越生線用の編成は越生線だけでなく、東上線小川町~寄居間でも使用されている。残りの6編成は8連のまま全て東上線に配属されている。
- 編成(上り側から):Tc8100-M8200-M8300-T8900-T8900(※)-M8200(※)-M8300(※)-Tc8400(※)
- ※印は番号が1つ増える(8199Fの場合は82100など)。この付番体系のため、クハ8100・8400に初めて欠番が生じた。[18]
[編集] 3R車(ローカル線区用)
修繕工事の際、支線向けに8R車からサハ8900形2両を抜いた残りの車両を3両編成2本に改造し、ワンマン運転対応機器を装備したもので、2005年(平成17年)に登場した。この際に形式が8000系から変更され、元の車両の連結位置によって800系と850系に分けて系列・形式が付与された。編成のMT比は2:1構成で、電動車比率が高くなったことで加速性能も向上している。
改造された編成は、2005年7月5日から暫定的に800系+850系の6両編成を組み、本線系統で運用された。そして、翌2006年3月18日のダイヤ改正から伊勢崎線の太田~伊勢崎間と佐野線での運用を開始し、老朽化していた1800系通勤転用車や吊り掛け駆動車の5050系を置き換えた。このほか、南栗橋車両管理区館林出張所への出・入庫を兼ねて、ワンマン化されていない館林~太田間の一部列車にも使用される。
- 編成(上り側から) 800系:Tc800-1+M800-2+M800-3/850系:M850-1+M850-2+Tc850-3
- (注)800-2と850-1は元モハ8200形で、パンタグラフを2基搭載する。
[編集] 編成配置図
左側が浅草・池袋寄り。形式の変遷が分かりやすいよう登場順に配列。下段は制御単位。8Rの※印は、クハ8100(奇数)に対し番号が1つ増える。
| 4R | クハ8100 | モハ8200 | モハ8300 | クハ8400 | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1C8M | ||||||||
| 2R | モハ8500 | クハ8600 | ||||||
| 1C4M | ||||||||
| 6R | クハ8100 | モハ8200 | モハ8300 | サハ8700 | モハ8800 | クハ8400 | ||
| 1C8M | 1C4M | |||||||
| 8R | クハ8100 | モハ8200 | モハ8300 | サハ8900 | サハ8900※ | モハ8200※ | モハ8300※ | クハ8400※ |
| 1C8M | 1C8M | |||||||
| 800系 | クハ800-1 | モハ800-2 | モハ800-3 | |||||
| 1C8M | ||||||||
| 850系 | モハ850-1 | モハ850-2 | クハ850-3 | |||||
| 1C8M | ||||||||
[編集] 路線による仕様の違い
本系列は、本線系統所属車と東上線系統所属車で仕様に細かな違いが見られる。
本線系統所属車には、運転台左上に「次駅停車」と書かれた小さな表示器が設置されている。これは停車駅の誤通過防止のために設けた装置で、複々線区間で急行線走行中に駅が近付くと光と音で注意喚起する。
東上線系統所属車は、未修繕車でも前面貫通扉の行先票(サボ)受けが撤去されている。かつては同線で種別を行先票で表示していたが、種別が表示幕で表示されるようになってから撤去され、本線系統所属車とやや異なるスタイルになった。ただし、1996年頃に10000系・10030系などの増備途上から本線系と東上線系での相互転属が頻繁に行われ、一部編成では行先票が残ったまま東上線に転じた編成や、逆に行先票がないまま本線に転じた編成も存在していた。
また、東上線用は客室貫通路上に広告枠が取り付けられている。この広告枠は10000系・10030系でも同様だが、1990年代後半頃から広告代理店が東武本線系統と同一になったため、現在は使用されていない。
東上線所属車(2Rと4Rのごく一部を除く)は、同線沿線にある川越工場だけでなく、本線系統の南栗橋車両管理区でも検査を行っている。このため、秩父鉄道線の羽生駅~寄居駅間では頻繁に本系列が走る光景が見られる。また、出場車の試運転を日光線新栃木~南栗橋~東武動物公園間で行うため、本線系統でも東上線所属車両を見る機会がある。
[編集] 車体塗装の変化
- 登場当時は、ベージュ(「ロイヤルベージュ」)とオレンジ(「インターナショナルオレンジ」)のツートンカラーだった。
- 1974年5月の8164F・8564Fから塗装の簡略化のためセイジクリーム1色となった。1985年より現在のジャスミンホワイトにブルーの濃淡のラインを施した塗装に順次塗り変えられた。後に妻面をブルーのラインの塗装を省略しジャスミンホワイト1色としている。
- 2004年10月30日から2005年6月27日まで、東上線開業90周年を記念して、8108Fがツートンカラー塗装のリバイバル編成として運用された。この際にダミーながら通過標識灯や窓曇り防止用のヒーターも再現された。終了後は南栗橋車両管理区で現行の塗装に戻され、通過標識灯なども同時に撤去されている。
[編集] 車体修繕
1986年(昭和61年)より経年による陳腐化解消のため車両の修繕工事[19]が進められている。
2007年10月時点での車体修繕未施工編成は、2R車の8571F・8578F・8580F(南栗橋車両管理区春日部支所所属車)である。これらの編成も2007年度中に修繕工事を施工される予定であったが、同年度に工事は施工されず、2008年6月に廃車が確定し、8000系の修繕工事は事実上終了した。
[編集] 修繕年度別修繕タイプの概要
工事は現在に至るまで20年以上の長期に亘って行われているため、修繕時期別に大きく5種類に分類されている。工事は津覇車輛(西新井→館林)で行われており、それに加えて2005年度分からアルナ車両も担当している。
- 1986年度施工分
- 腐食外板の張り替えや塗膜を総剥離しての再塗装などの老朽化対策の他、側面行先表示器の新設、シートモケット色の変更、車内化粧板のデザイン変更などが行われた。車内は当時の新製車である10000系と同様の明るいカラースキームとなった。前面形状はオリジナルのままで、車内に「津覇車輛」の銘板がない[20]。
- 前面形状を6050系と同様のデザインに変更し、運転台も10030系タイプに交換した。この時から「津覇車輛」の銘板を設置するようになった。このタイプの工事は長期間で続けられたため、途中から運転席側の客室との仕切り窓の廃止、蛍光灯の増設、1995年度途中には客室通風器(冷房装置横にあるサイドベンチレーター)の撤去[21]などのマイナーチェンジが実施された。また、2R車のクハ8600形の空気圧縮機換装工事も併せて行われた。
- 車椅子スペースの新設、行先表示器の字幕式からLED式への変更、当時の新製車である30000系と同様のHID式前照灯への変更などが行われた。施工対象は新製冷房車が多く、1972年製の8158Fが最初に施工された。東上線用8R車もこのグループで施工された。
- 修繕内容は1997年度~2000年施工分と同じで後期台車装備車が主に対象となった。また、自動放送設備、車外スピーカーを装備したワンマン運転改造編成もこのグループである。このうち81108Fが2001年度に81109F・81111F・81112Fは2002年度に一旦修繕を実施したが、後者の3編成は2003年にバリアフリー仕様+ワンマン運転対応設備を追加したため、寄居寄りのクハ8400形の貫通幌を撤去したが、他編成と連結できるように貫通幌の着脱が可能な構造としている。前者の1編成は、2007年にバリアフリー+ワンマン化の追加改造を施工されている。
- 2003年度~2007年度施工分
- LEDスクロール式案内装置(客室内1両辺り4箇所の扉上に設置)・ドアチャイム・車外スピーカー・自動放送装置・デッドマン装置の設置、7名掛け座席にスタンションポール追設、側窓一部固定化したバリアフリー仕様編成が登場した。2003年度に6R車×3編成、4R車×2編成が施工され、4R車(及び後年施工の2R車)は同時にワンマン化改造もされている。なお、前述の8R車の3R車化(800・850系化)改造もこの間に行われ、2004年度に2編成[22]が、2005年度に3編成が改造されている。また、この間に修繕を受けた8R車で2006年度施工分の81105F及び2007年度施工分の8189F・81115Fは、修繕工事完了後に4R車となり、それぞれ8189F・8190F・81105F・81106F・81115F・81116Fとなっている。
[編集] 未修繕車の方向幕LED化改造
1998年(平成10年)度から、未修繕車を対象に前面行先表示器が手動の幕式からLED式へ改造された。この改造は行先表示器の機械化が目的で、車体側面には行先表示器は設置されておらず、また前面貫通路扉と側面の行先票(サボ)受けは残っている。この改造によって種別・行先表示部分がやや大きくなった。東上線所属の後期車より改造が始まり、後に本線や野田線でも同様の改造が行われたが、前述の修繕工事によって数を減らしている。
2008年4月現在、原形タイプの前面を持つ車両で行先表示器が幕式の車両は1986年度修繕車(8104F・8111F・8112F〈以上6R車〉8127F・8130F〈以上4R車〉・8509F・8516F〈以上2R車〉)のみであり、修繕の際に方向幕の自動化・運転席窓下の通風器撤去などの改造を受けたため、前面が若干変わった。従って、新造当時のオリジナルの前面を有する車両は消滅したことになる。
[編集] 運用
本系列は、非電化の熊谷線や貨物支線以外全線で使われたと言っても過言ではない。
2008年現在でも、伊勢崎線押上~曳舟間を除くほぼ全線で使用されている。特に、伊勢崎線太田~伊勢崎・野田線・亀戸線・大師線・小泉線・佐野線・桐生線・宇都宮線・越生線・東上線小川町~寄居間では、特急を除く定期全列車が8000系で運転されている。一方、日光線新栃木~東武日光・鬼怒川線では、日光線内に連続勾配がある関係で、電制のない8000系は原則として定期列車に入らない[23]。
[編集] 野田線の8000系
大宮~船橋間を結ぶ野田線は、1977年(昭和52年)まで18m級車体の旧型更新車両が使用されていたが、同年に本系列の前期製造車が転入した。これが同線初の20m級車・カルダン駆動車となった。しかし、7800系を更新した釣り掛け駆動車5050系・5070系の配置と引き換えに1983年に同線から一旦転出された。
その後5年間は釣り掛け駆動車のみの運用だったが、1988年から10030系の本線・東上線系統への新製投入により捻出された本系列(修繕工事施工[24]済み)が再び配置されるようになった。配置数は年々増加し、1992年12月には2080系と3000系列を置き換えて20m級車に統一、2004年10月には5000系列を置き換え、野田線はすべて本系列で運用されることとなった。
野田線の変電所は回生ブレーキに対する電力負荷変動に未対応のため、2007年時点では10000系列以降の回生ブレーキ車は入線できないとされている。
また、同線の4+2編成の6編成分の中間運転台部分については、運転台機器の一部が撤去されている。これは、前述の8R車を3R車(800・850系)への改造時の(モハ8200・8300形の一部の)先頭車化改造に伴うもので、外観では表示器類、ライト類、ジャンパー栓受け、ワイパー、前面スカートの撤去、内部については貫通扉の鍵と遮光幕を撤去したり、貫通扉に警告文を貼付している[25]。なお、外された機器類やスカートなどは、それらに転用されている。また、その対象車及び組み合わせは以下の通りである。(2007年10月現在)
- クハ8431+モハ8501
- クハ8432+モハ8533
- クハ8433+モハ8532
- クハ8434+モハ8523(故障により廃車)
- クハ8453+モハ8542
- クハ8455+モハ8521
[編集] 臨時列車運転実績
本系列は、これまで日光線快速「たびじ」や修学旅行列車に相当する「林間学校号」、東上線の越生線直通「越生梅林」号などの臨時列車で使用されてきた。
他には、1986年10月9日の野岩鉄道会津鬼怒川線開業直後より臨時列車に投入されたことが良く知られている。同線の開業直後の利用者は予想以上で、列車は激しく混雑した。当時、快速用の6050系は22編成44両(他に野岩鉄道所属の2編成〈61101F・61102F〉4両)しかなく、混雑緩和のために本系列を使用した臨時快速列車が会津高原(現・会津高原尾瀬口)まで運転された。運用されたのは4両編成で、2R車×2と4R車×1が交互で使用されていた。だが、一部編成に会津高原の表示がないので、種別表示器に快速または臨時を表示の上、行先表示器を白幕表示で運転されていた。また一部では行先票(サボ)が使用された。この頃は新塗装化が進んでおり、現行色編成とセイジクリーム色編成の混結もあった。訓練などの手間を省くため、修繕工事による前面変更編成については入線実績はない。
この臨時列車は長期間運転されたが、ロングシートでトイレもない通勤用車両は、浅草から175km、3時間以上の長距離運用には不向きで、乗客などからの評判は悪かった。加えて、空気ブレーキのみでは山岳路線での降坂運転が難しいことから、乗務員からも敬遠された。
そして、1988年に6050系完全新造車7編成14両[26](および野岩鉄道所属の1編成〈61103F〉2両)が増備され、本系列の野岩鉄道乗り入れは終了した。以来一度も入線していない。
[編集] ワンマン運転改造修繕車の運用
前述の修繕工事の中で2R車と4R車及び3R車(8R車を2つに分割して改造した800・850系)がワンマン運転改造されている。2007年12月現在のワンマン運転改造修繕車の運用は以下の通りである。
- 2R修繕車
- ワンマン運転対応設備を追加した編成は、2003年3月19日のダイヤ改正から大師線と小泉線太田~東小泉間で、2004年10月19日からは亀戸線でワンマン運転を開始した。2006年3月18日からは桐生線へのワンマン運転拡大に伴い同線と小泉線太田~東小泉間の直通運転を開始し、さらに同年9月28日からは小泉線館林~西小泉間にも拡大した。
- 3R修繕車(800・850系)
- 2006年3月18日のダイヤ改正より伊勢崎線太田~伊勢崎間と佐野線でワンマン運転を開始した。ワンマン化されていない館林~太田間の一部の運用も行なっている。
- 4R修繕車
- 東上線用・越生線用・宇都宮線用が存在する。東上線用ワンマン運転対応車は、2005年3月17日のダイヤ改正より小川町~寄居間のワンマン運転を開始した。対応編成は81107F・81109F・81111F・81112F・81119F・81120Fである。種別表示器には、「ワンマン」の他「特急」「快速急行」「急行」「通勤急行」「準急」「普通」を用意している。宇都宮線用ワンマン運転対応車は、2007年10月31日より全線でワンマン運転を開始した。対応編成は、8189F・8190F・81105F・81106F・81108F・81115F・81116F・81118Fである。そのうち8189F・8190F・81105F・81106F・81115F・81116Fは、東上線用の8R車を2つに分割し、サハ8900形2両をそれぞれ先頭車化改造して、4R車化したものである。また、2008年6月14日のダイヤ改正によって越生線でもワンマン運転を開始した。対応編成は8183F・8184F・8197F・8198F・8199F・81100Fで6編成共東上線用の8R車を2つに分割し、サハ8900形2両をそれぞれ先頭車化改造して、4R車化したものである。なお東上線用と越生線用は両線で共用されている。
[編集] 事故による車体新製
車籍上の本系列は事故廃車がなかったとされているが、実際には踏切事故により大破した先頭車両について、台車とその他機器類は再利用して車体のみ新製した例がある。クハ8139がそれである。
- 1969年(昭和44年)12月9日、伊勢崎線館林~多々良間の踏切で上り列車として走行中だった8139Fと大型クレーン車が衝突、先頭車両が大破した(館林事故)。そのため、使用不能となったクハ8139は翌1970年4月に車体を新製した。従って、事故による除籍とはしていない。
[編集] 廃車および改造
本系列は、登場から40年以上の長きに亘って廃車が1両も出なかったことで有名だったが、2004年12月に前述の3R車800・850系を8R車から組成した関係で、サハ2両が余剰となり登場から41年目にして初の廃車が発生した。サハはその後も3R車化に伴い合計10両が廃車された。また、3R車化により30両が800・850系に改造されたため、2007年10月時点の在籍数は800・850系を含め702両、8000系単独でも672両在籍していた。その後は50000系列の増備、それに伴う30000系の地上転用などから編成単位での廃車が進んでおり、2009年3月時点では592両が在籍する。
[編集] その他・エピソード
1972年6月に製造されたモハ8814(4R車8114Fを6R車化する為の中間増備車で、サハ8714とユニットを組む)は、非冷房車なのにパンタグラフが下枠交差型(PT-4801-A)を載せた姿で登場した。これは、同じ日付で東武初の通勤形電車新製冷房車となった8156F(6R車)が登場しており、組み込み先編成考慮して非冷房車として登場した車両。一部の機器は新製冷房車と共通のものを装備している[27]。この車両は、パンタグラフの位置が前年に製造された13ユニット(サハ8701~13+モハ8801~13)と違い車端部に寄っており、その関係で車端部の箱型ベンチレーターが廃され、代わりに冷房車同様のサイドベンチレーターが左右に1個ずつ設置されている。その後この車両は1976年に冷房化改造されている[28]。
インフレナンバー
- 1979年製造の8R車の8199Fの4両(寄居・伊勢崎寄りのサハ8900~クハ8400まで)から製造番号が100桁台へ突入し、前述の通り5桁の車両番号を持つ車両が登場した。このインフレ番号車は8R車×5編成(8199Fの4両・81101F・81103F・81105F・81115F)36両、6R車×4編成(81110F・81113F・81114F・81117F)24両、4R車×8編成(81107F~81109F・81111F・81112F・81118F~81120F)32両である。なお、8Rのうち81101F・81103Fは、前述の3R車(800・850系)への改造及び改番とサハの廃車により消滅している。2007年12月現在での各形式別の最大車両番号は以下の通りである[29]。下記のうちサハ8900形は81115Fのサハ89116が最大だったが、2007年10月31日の宇都宮線ワンマン化に伴い、同編成他2編成(8189Fと81105F)が修繕工事を受ける際に、同編成のサハ89115と共に先頭車化改造され形式が改称されてしまった。他の車両も前述の通り、3R車の改造に伴う廃車と越生線ワンマン化改造により、サハ8900形のインフレ番号は消滅した。
- クハ81120(読み方は「くははっせんひゃくのひゃくにじゅうごう」)
- モハ82120(読み方は「もははっせんにひゃくのひゃくにじゅうごう」)
- モハ83120(読み方は「もははっせんさんびゃくのひゃくにじゅうごう」)
- クハ84120(読み方は「くははっせんよんひゃくのひゃくにじゅうごう」)
- サハ87117(読み方は「さははっせんななひゃくのひゃくじゅうななごう」)
- モハ88117(読み方は「もははっせんはっぴゃくのひゃくじゅうななごう」)
2003年に登場から40周年を迎えたのを記念して、同年11月1日から14日まで一部の編成に「Anniversary 40th 就役記念」と表記されたヘッドマークを取り付けて運転された。
[編集] 参考文献
- 東武電車研究会『私鉄電車ビジュアルガイド 東武鉄道』、中央書院
- 「東武鉄道 車両カタログ2006」『鉄道ダイヤ情報』2006年3月号、交通新聞社
- 稲葉克彦「東武鉄道 現有車両プロフィール2008」『鉄道ピクトリアル』2008年1月臨時増刊号(通巻799号)p229~234、電気車研究会
- 目沼弥十郎著「東武鉄道8000系列ディテールUPガイド」 モデル ワム
[編集] 脚注
- ^ ただし、単一形式での私鉄最多両数は京浜急行電鉄旧1000形の「デハ1000形」の356両である。
- ^ 8104・8105Fの2編成。
- ^ 取引は1969年で中止。
- ^ 1973年製の8163Fから。
- ^ 双方とも、主たる置き換え対象は国鉄モハ63形に由来し、20m級片開き4扉車体を備える140kW級モーター搭載車であった。
- ^ ただしこの方針は後年の3R車改造により一部で崩れた。
- ^ 103系では、発電ブレーキの際に定格の約2倍の電圧が電動機にかかることも、各電動機の定格電圧を架線電圧の約1/4と低く設定できる1C8M方式を採用した理由の一つであった。
- ^ ほぼ同一の仕様で設計を適宜変更しながら新形式を与えていった東急8000系列(8000系、8500系、8090系、8590系)がその総数で677両に達し、こちらが第2位であるとする意見も多い。一般にファンの間で国鉄103系、東武8000系と並び称されるのはこちらであり西武2000系であることは少ない。なお、西武2000系も製造期間途中で外観を大幅に変更している。
- ^ 住友金属工業ではFS形式の台車各種について、型番の100の位で駆動方式等を分類しており、それぞれ3は平行軸カルダン駆動台車、0は主電動機を装架しない付随台車に対して付与されている。
- ^ 国鉄形式DT200 - 202・TR7000の各形式。0・200・100の新幹線電車各系列に採用された。
- ^ もっとも、このFS356・056の場合は両抱き式のブレーキワークを構成した結果、ディスクブレーキや片押し式のブレーキワークを構成する台車と比較してさらに長くなってしまっているという側面もある。両抱き式ブレーキを採用した場合、台車は一般に4m級の全長となるが、本形式の場合もその例に漏れない。なお、FS356の自重は1基あたり8,220kgで、鋳鋼製台車枠であることもあって溶接構造を採用するS形のFS396と比較して約1t重い。
- ^ これにより軽量化が実現した。もっともこの変更には住友金属工業社内での熟練鋳造技術者の定年退職で高度技術の伝承が絶え、1960年代後半以降は大型鋳物による一体鋳鋼台車枠を製造したくとも出来なくなった、という背景事情が存在する。
- ^ 富士重工業製の8156F~8158Fの3編成。
- ^ なお、回送の際は編成単位ではなく往復とも2両ずつでの輸送だった。
- ^ 『鉄道ピクトリアル』184号、62-64頁。
- ^ 最終落成車は1983年の81117F。
- ^ 81110F・81113F・81114Fの3編成が配置されていたが、全車七光台区へ転属となった。野田線初のバリアフリー編成として運用中。
- ^ クハ8100形は偶数、クハ8400形は奇数が欠番となる。
- ^ 東武では、「更新」とは旧型車の部品を流用し車体新製を行うことを指すため、車体は元のままであるこの工事は単に「修繕工事」としている。
- ^ 2008年現在、一部編成は運用を離脱している。
- ^ 8547Fから。
- ^ 同年度は他に4R車1編成と2R車2編成がバリアフリー+ワンマン化されている。
- ^ 2006年3月18日のダイヤ改正までは、夕方の浅草発の準急列車(新栃木で東武宇都宮行きを分割)が東武日光まで乗り入れていた。
- ^ 修繕施工直後転属車もあった。
- ^ この部分で立ち止まったり喫煙されるのを防ぐ為。
- ^ 6173F~6179F
- ^ 後に冷房化改造することを見越してコストダウンを図ったものと思われる。
- ^ 参考:モデル ワム「東武鉄道8000系列ディテールUPガイド」P40
- ^ 2R車のモハ8500形・クハ8600形は最終製造番号が「80」の為、インフレ番号はない。
[編集] 関連項目
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最終更新 2009年11月8日 (日) 10:09 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【東武8000系電車】変更履歴




