東海自動車

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東海自動車株式会社
TOKAI BUS CO., LTD.
種類 株式会社
略称 東海バス
本社所在地 日本
〒414-8511
静岡県伊東市渚町2番28号
電話番号 0557-36-1111(代表)
設立 1917年(大正6年)2月15日
(伊東自動車株式会社)
業種 陸運業
事業内容 旅客自動車運送事業
貨物自動車運送事業 他
代表者 石井 良雄(代表取締役社長)
資本金 3億5,000万円
売上高 連結:82億3,641万9千円
単独:26億3,702万1千円
(2008年3月期)
総資産 連結:93億3,366万5千円
単独:66億5,880万2千円
(2008年3月31日現在)
従業員数 連結:675人 単独:74人
(2008年3月31日現在)
決算期 3月31日
主要株主 小田急電鉄(株) 33.1%
神奈川中央交通(株) 10.0%
小田急箱根ホールディングス(株) 6.1%
(2008年3月31日現在)
主要子会社 (株)伊豆東海バス 100%
(株)中伊豆東海バス 100%
(株)西伊豆東海バス 100%
(株)南伊豆東海バス 100%
(株)沼津登山東海バス 100%[要検証]
(株)新東海バス 100%
東海輸送(株) 83.4%
外部リンク http://www.tokaibus.jp/
  

東海自動車株式会社(とうかいじどうしゃ、Tokai Jidosha Co., Ltd.)は、小田急グループバス専業会社。愛称は東海バス(とうかいばす)。本社は静岡県伊東市渚町。営業エリアは、路線バス(静岡県東部・伊豆一円・神奈川県箱根、湯河原)、貸切バス(静岡県東部・東京営業部)がある。

目次

[編集] 沿革

[編集] 創業期

1916年に下田自動車がチャンドラー4台を使用して、天城峠経由で下田と大仁を結んだ路線の運行を開始したのが、それまで乗合馬車が主力の交通手段だった伊豆半島におけるバス事業のはじまりである。翌1917年には下田から松崎・下賀茂へ、さらに1925年には下田から稲取への路線を開設した。

一方、1917年には伊東自動車が伊東から亀石峠を経由して大仁・修善寺を結ぶ路線と、伊東から宇佐美を結ぶ路線の運行をビュイック4台で開始、翌1918年には大仁から三島・沼津へ路線の延長を行なっている。1918年には伊東自動車は東海自動車に社名を変更している。

この当時、全国的な傾向として小規模なバス事業者が次々と開業していたが、伊豆半島も例外ではなかった。東海自動車では、これらの小規模事業者の買収を進め、自社の防衛を図るとともに伊豆半島北部に路線網を拡大していった。自社による路線展開も行い、1924年には沼津・三島から元箱根への路線を開設、1925年には省線熱海線が開業するのに合わせて伊東と熱海を結ぶ路線を開設した。

この間、1923年には関東大震災による津波、1929年には伊東町の大火により本社社屋や車両にも被害があり、1930年には北伊豆地震が発生するなど、経営状態が低迷している。その後、今日に至るまでにも、東海自動車は自然災害により業績に影響が出るケースが何度か発生している。

この頃、大倉財閥では伊豆の観光開発を手がけており、観光開発に伴う交通手段の確保を検討していた。折りしも路線展開を進めていた東海自動車との利害が一致し、1928年に東海自動車は大倉財閥の傘下に入ることになった。1931年には省線との連帯運輸を開始したが、これにより省線との通し乗車券が発行されることになり、知名度と対外的な信用は高まったという。

1931年、駿豆鉄道(当時)は沼津-三島-修善寺間を運行する東海自動車の路線に対して、自社の乗客を奪われたとして賠償請求を求めて訴訟した。1941年に東海自動車の勝訴で決着となったが、後に伊豆・箱根地区の観光開発をめぐり、西武と小田急の各企業グループが争うことになる前哨でもあった。

昭和に入ると、伊豆半島の道路網の整備は進み、1933年には伊豆半島を一周する道路網が構築された。ここで下田自動車と東海自動車は、将来を見据えてバス交通の一本化を検討することとなり、検討の結果、両社は対等合併することになった。1932年11月11日に両社は合併、新たに東海自動車として再出発することになった。この時期に現行の営業エリアを確保した例はほとんどなかったうえに、車両数169台・従業員数408名というのは当時としては最大級のバス事業者であった。合併とともにバスの車体色を統一し、「イエロー・カー」と呼ばれるようになった。

[編集] 戦前から戦時統合まで

1934年丹那トンネルが開通したことで東海道本線が熱海・三島経由に変更され、さらに1935年には伊東線が開業し、1938年に全通するなど、鉄道網の発達とともに伊豆半島は観光地としての発展が進むことになる。1936年には近隣の箱根が富士箱根国立公園が指定され、観光客も増加したことを受け、東海自動車では伊東から下田までの直通バスの運行を始め、伊豆半島全域に展開した路線網を活用して観光客輸送に努めた。なお、一時期伊豆大島にも路線を開設していたが、戦時体制に入るとともに撤退している。

1937年第二次世界大戦が始まると、燃料統制によってガソリン供給が30%近く減少することになったため、代用燃料を使用した車両の使用を開始した。また、観光主体の路線は不要不急の路線として扱われ、運行を休止することになった。しかし、1941年以降に戦時統合の通牒が出た際、日本の各地で大幅な営業エリアの変革を余儀なくされた中、東海自動車はほとんど影響を受けなかった。既にほぼ伊豆半島全域が東海自動車の営業エリアとなっており、統合エリアが確定された際にも伊豆半島で1ブロックとなったため、大規模な統合を行なう必要がなかったのである。

[編集] 戦後の観光輸送の発展

終戦後の復興は、大倉財閥の傘下に入っていたために制限会社に指定され、少し立ち遅れることになった。しかし、従業員による株式買取などにより、1947年4月に制限会社の指定が解除されると、車両の更新や購入などが行なわれるようになった。1948年にはディーゼルバス市販1号車となるいすゞBX91型が2台導入され、以後1952年までに100台が導入された。

1949年10月に国鉄が東京から伊東までの準急列車の運行を週末に開始したことを受け、東海自動車では1950年から準急バスを伊東-下田間に運行開始した。1952年には本格的な急行バスの運行を開始、伊東-下田間では普通便と比較して40分もの時間短縮を図った。その後、中伊豆・西伊豆方面にも急行バスの運行が開始されることになった。1952年以降は日野・BH10型の導入も開始されるなど、観光輸送の発展は著しいものがあった。

1952年には伊東を起点に1泊2日コースとなる定期観光バスの運行を開始した。その後、1955年になって国立公園に伊豆半島が追加されて富士箱根伊豆国立公園となったことを受け、定期観光バス運行を充実される方策に出ている。

この頃、東京急行電鉄(東急)が東海自動車の株式取得に動いているが、失敗に終わっている。

その一方、1947年に道路運送法が制定されると、既に東海自動車が運行していた区間へ他社が路線の申請を行なうことが目立ってきた。特に駿豆鉄道は自社鉄道の防衛のために次々と伊豆の主要路線への路線乗り入れを申請し、何度となく公聴会が開催されることになった。駿豆鉄道との営業エリア争奪は1950年代後半には終結、東海自動車では東伊豆・南伊豆への進出こそ食い止めたものの、駿豆鉄道も西伊豆北部にエリアを確保することとなった。また、沼津地区では駿豆鉄道だけでなく箱根登山鉄道(当時)富士山麓電気鉄道も交えた免許争奪が行なわれた。

[編集] 伊豆急の開業と小田急グループ入り

1956年1月、東京急行電鉄は伊東下田電気鉄道を設立した上で伊東と下田を結ぶ鉄道免許の申請を行なった。1957年5月には駿豆鉄道も同区間に鉄道免許を申請し、競願となった。東海自動車にとって、伊豆急と駿豆はともに競合相手であった。駿豆は長年の競合相手であるが、鉄道もバスの乗客を奪う相手に相違なかった。また安易に伊豆急に加担すると、背後には「強盗慶太」こと五島慶太が控えていることもあり、場合によっては会社乗っ取りをされかねない危険性があった。このため、大野伴睦河野一郎といった大物政治家を介して、「東海自動車が伊豆急に協力することで、東急は東海自動車の買収を行わない。」と言った趣旨の協定を東急側と取り交わした上で、東急の鉄道免許への支持に回った。結果として、1959年1月に東急側に免許が与えられた。

こうして独立は守り、一応は伊豆急の開業に協力する姿勢は示しても、実態は開業後も非協力的な態度を貫いていた。その後、伊豆箱根鉄道では修善寺と下田を結ぶバス路線の免許申請を再び行なうが、東海自動車が4年にわたって攻防した後、却下されている。

1961年伊豆急行が開業したことにより、伊豆の交通体系は大きく変わった。東海自動車においては、ドル箱路線であった伊東-下田間は大打撃を受けたものの、鉄道利用の観光客が増加したことにより貸切バスも含めたバス利用者も大幅に増加した。この頃、レストハウスやガソリンスタンドなどの新規事業展開も開始した。1965年には伊豆スカイラインが開通し、伊東と箱根を結ぶ路線が運行され、伊豆箱根鉄道との相互乗り入れとなった。

しかし、1965年を境に、利用者の減少が始まった。モータリゼーションの進展に伴い、マイカー利用の観光客が増加したことや、地域社会にもマイカーが普及したためである。週末の道路混雑により、バスの走行環境も悪化の一途をたどることになる。1966年からはワンマン化に着手、1974年までにはほぼ全路線でのワンマン化を終了するなど、合理化にも積極的に取り組んだ。

一方、非協力的な東海自動車の態度に業を煮やした東急側は、遂に東海自動車に対し協定破棄を示唆[1][2]する事態となり、また東海自動車自身も、経営状態の悪化から再建するにあたって資本的な裏づけを確保する必要もあったことから、1971年4月に株式の過半数を小田急電鉄に譲り、小田急グループに入ることで落ち着いた。その後の伊豆半島の交通は伊豆急・伊豆箱根・東海自動車の三者鼎立が続いたが、近年は三者の関係が融和し、2008年現在はJR東日本も含めた各社間で協力・協調関係にある。また、伊豆急行とは、この他タクシー子会社の統合を行い、合弁で伊豆急東海タクシーを運営している。

[編集] 伊豆を襲う災害と「楽しいバス」の登場

ボンネットバス「伊豆の踊り子号」 ファンタスティックバス「リンガーベル」
ボンネットバス「伊豆の踊り子号」
ファンタスティックバス「リンガーベル」

小田急傘下で再建を進めようとした矢先の1974年5月に伊豆半島沖地震が発生、その後も1976年7月の大水害、1978年1月の伊豆大島近海地震など、伊豆半島は次々と災害に見舞われた。これは伊豆を訪れる観光客の減少を招き、再建に取り組んだばかりの東海自動車にとっても打撃となった。

こうした中で、観光地を走るバスとして新たな魅力を付加するべく、1976年6月からボンネットバス「伊豆の踊子号」の運行を開始、旅行雑誌にも多く取り上げられた。また、河津ループ橋などの完成とともに、西伊豆特急バスや貸切バスに車内テレビを設置するなど、グレードアップに努めた。また、1989年6月からは、レトロ調バス「リンガーベル」の運行を開始した。また、1991年3月の特急「あさぎり」運行開始に合わせて座席指定制の特急バス「スーパーロマンス」の運行を、同年11月には下田地区で南国調バス「トロピカーナ」の運行を開始した。1997年には、高速カーフェリー「希望」に接続する連絡バスとしてレトロ調バス「くろしおくん」の運行を開始している。

バスそのものに魅力を与えるという施策は、全てがうまくいったわけではなく、1990年から運行開始した高速バス伊豆スパー号」は数年で撤退を余儀なくされ、「スーパーロマンス」も西伊豆特急バスとして再編されているほか、「くろしおくん」では高速カーフェリー自体が廃止された。しかし、ボンネットバスやレトロ調バスの運行をはじめとした「楽しいバス」という考え方は、その後の日本のバス業界にも影響を与え、以後同種のバスが日本各地で運行されるきっかけとなった。

[編集] 地域分社化と再編

経営環境が厳しくなる状況下において、運営の効率化を果たすため、タクシー事業を1999年3月に第一交通産業に譲渡、同年4月には路線バス事業を5つの運行会社に分割し、貸切バス事業も分社化、東海自動車は統括管理会社となった。その後、2002年にも小田急グループ全体の効率化の一環として、箱根登山鉄道熱海営業所の事業を引き継いだほか、沼津東海バスは沼津箱根登山自動車の事業を引き継いで沼津登山東海バスとなった。この時の再編にあわせ、伊東・熱海の各事業所の移転も行なわれている。また、地域路線については自治体との連携により維持される路線が多くなった。

2006年10月には、伊豆下田バスの撤退により事業を引き継ぎ、これによって南伊豆地区は東海自動車のバスに統一された。

[編集] 年表

  • 1916年大正5年) 下田自動車株式会社設立、大仁~下田間を運行開始
  • 1917年(大正6年)2月15日 伊東自動車株式会社設立
  • 1917年(大正6年)4月 伊東自動車、大仁~伊東・大仁~修善寺・伊東~宇佐美間を運行開始
  • 1918年(大正7年)11月24日 東海自動車株式会社に社名変更
  • 1926年(大正15年)3月30日 ハイヤーの営業開始(沼津・三島地区)
  • 1927年昭和2年) ガイドの車掌により、観光ルートの案内を始める。(日本で最初のバスガイド)
  • 1932年(昭和7年)11月11日 東海自動車と下田自動車は対等合併、存続会社は東海自動車
  • 1933年(昭和8年)7月18日 伊東~下田間の運行開始
  • 1938年(昭和13年)4月20日 伊豆だより創刊(戦争により一時休刊)
  • 1948年(昭和23年)4月18日 国産ディーゼルバス第1号車(いすゞBX91型)が2台納入される
  • 1952年(昭和27年)10月1日 伊豆半島周遊定期観光バス運行開始
  • 1962年(昭和37年)10月1日 小室山観光リフト開業
  • 1965年(昭和40年)7月 伊豆スカイライン開通による伊東~箱根間路線運行開始、伊豆箱根鉄道バス(現:伊豆箱根バス)と相互乗り入れ
  • 1966年(昭和41年)4月11日 沼津三島大社にワンマンバス運行
  • 1966年(昭和41年)10月1日 小室山レストハウス開業
  • 1967年(昭和42年)3月28日 この日の定期観光バスは1400組という記録的な新婚さんで賑わった
  • 1971年(昭和46年)4月16日 小田急電鉄の傘下に入る
  • 1974年(昭和49年) 特急バスを除きワンマン化完了
  • 1975年(昭和50年)7月28日 東海輸送株式会社設立、一般区域貨物業・逓送業を移管
  • 1975年(昭和50年)8月1日 東海輸送株式会社営業開始
  • 1975年(昭和50年)10月13日 修善寺東海交通株式会社設立
  • 1975年(昭和50年)10月16日 修善寺東海交通株式会社営業開始
  • 1975年(昭和50年)12月1日 東海警備保障株式会社設立
  • 1976年(昭和51年)6月12日 「伊豆の踊り子号」の運行が開始され、全国のレトロバス・ボンネットバスの人気のさきがけとなる。かつては天城峠を越えていたが、現在は修善寺駅~昭和の森会館を1日2往復(運転日限定)運行。
  • 1976年(昭和51年)7月1日 綜合警備保障株式会社と業務を提携し、東海警備保障株式会社を東海綜合警備保障株式会社と商号変更)
  • 1981年(昭和56年)2月18日 株式会社東海バストラベル設立
  • 1981年(昭和56年)4月1日 株式会社東海バストラベル営業開始
  • 1983年(昭和58年)5月20日 株式会社東海車両サービス設立
  • 1983年(昭和58年)7月1日 株式会社東海車輌サービス営業開始
  • 1985年(昭和60年)4月5日 貸切バスのデザインを変更(伝統のオレンジ色から白地に赤とグレーのライン)
  • 1989年平成元年)8月1日 レトロ調バス「リンガーベル号」の運行を開始。
  • 1990年(平成2年) 初の高速バスとして、名古屋~伊東間「伊豆スパー号」の運行を開始。
  • 1994年(平成5年) 「伊豆スパー号」運行休止。
  • 1996年(平成7年)6月19日 東海自動車株式会社、本社社屋落成(伊東市渚町へと移転)
  • 1996年(平成8年)12月6日 株式会社新東海バス設立
  • 1997年(平成9年)1月17日 株式会社新東海バス営業開始
  • 1999年(平成11年)4月1日 分社化。路線事業を株式会社伊豆東海バス・株式会社西伊豆東海バス・株式会社南伊豆東海バス・株式会社中伊豆東海バス・株式会社沼津東海バスに全面移管。
  • 2002年(平成14年)3月1日 大手町ワイドパーキングオープン
  • 2002年(平成14年)4月1日 伊豆東海バス伊東事業所 荻へ移転(伊東駅前より)
  • 2002年(平成14年)10月1日 箱根登山グループから熱海及び沼津・三島地区の乗合バス事業を移管。株式会社沼津東海バスを株式会社沼津登山東海バスに商号変更。
  • 2002年(平成14年)12月16日 新東海バス伊東貸切営業所新設
  • 2003年(平成15年)3月31日 東海自動車 東海バストラベルを吸収合併
  • 2003年(平成15年)10月1日 伊豆東海バス熱海事業所 紅葉ヶ丘へ移転(熱海駅前より)
  • 2004年(平成16年)9月17日 「グリーン経営」認証取得 (乗合バス事業として全国初)
  • 2005年(平成17年)6月6日 株式会社ハートリーフを設立
  • 2006年(平成18年)7月1日 修善寺東海交通の学校給食事業を東海輸送へ、運行受託業を中伊豆東海バスへ移管
  • 2006年(平成18年)10月1日 株式会社南伊豆東海バス伊豆箱根鉄道系の伊豆下田バス株式会社から事業を引き継ぐ
  • 2006年(平成18年)11月1日 ツアーバス「伊豆=新宿ライナー」運行開始(小田急箱根高速バス共同運行
  • 2009年(平成21年)3月1日 「伊豆=新宿ライナー」を路線バス
  • 2009年(平成21年)4月1日 沼津登山東海バス沼津営業所を駿東郡清水町から沼津市大平へ移転。

[編集] 傘下の地区・業態別バス会社

  • 伊豆東海バス(熱海営業所・伊東営業所を分社化)
    主な営業エリア:熱海市、伊東市、湯河原町の一部
  • 南伊豆東海バス(稲取営業所・下田営業所を統合の上分社化)
    主な営業エリア:東伊豆町、河津町、下田市、南伊豆町
  • 西伊豆東海バス(松崎営業所を分社化)
    主な営業エリア:松崎町、西伊豆町
  • 中伊豆東海バス(修善寺営業所を分社化)
    主な営業エリア:伊豆市、沼津市の一部、伊豆の国市の一部、伊東市の一部
  • 沼津登山東海バス(沼津営業所を分社化の上、沼津箱根登山自動車の事業を引き継ぎ)
    主な営業エリア:沼津市、三島市、清水町、函南町、伊豆の国市、箱根町の一部
  • 新東海バス(貸切バス部門を分社化)
    修善寺貸切営業所・下田貸切営業所

[編集] 車両

東海自動車グループの車両は、全て管理会社である東海自動車が購入し、各子会社が賃借するという方式をとっている。このため、子会社による仕様の変化は少なく、塗装などに一部変化がある程度である。このため、本節ではグループ全体の車両概説について記述する。

かつては後乗り前降りの車両もあったが、2008年現在では全ての車両が前乗り前降りであり、自社発注車両はエルガミオなどを含めてもバスのドアが一つだけ(トップドア車)であった。しかし、近年は交通バリアフリー法の関係により、自社発注車両は中型ノンステップの前・中ドアの車両が増えている。特急バスも運行されているため、観光バス仕様の路線車両も存在する。

左側面は小田急RSE車と、右側面はJR371系と同じカラーリングにした「スーパーロマンス号」 左側面は小田急RSE車と、右側面はJR371系と同じカラーリングにした「スーパーロマンス号」
左側面は小田急RSE車と、右側面はJR371系と同じカラーリングにした「スーパーロマンス号」

1970年代以降、バスそのものに魅力を持たせる施策をいくつか行なっている。1976年から開始されたボンネットバスの運行、1989年以降に登場した「リンガーベル」「トロピカーナ」などがその代表例である。 また、かつて特急「あさぎり」接続のバスでは、特急車両の塗装を2社折衷デザインとしたものをバスの塗装としていたことがある。

近年では、箱根登山バスからの移籍の車両が、各営業所に配置されている。塗装は箱根登山カラーのままのものと、正面だけ東海自動車カラーにしたものが存在する。また、沼津登山東海バスは箱根登山バスと東海自動車の折衷デザインとなっている。観光路線に使用される車両には小田急グループ共通貸切色となっている車両もある。

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ 『東急外史 顔に歴史あり』(1982年 東急沿線新聞社)321ページ~323ページに詳細が既述されている。
  2. ^ 伊豆急行社長の田中勇が社員に東海自動車側の非協力的な実態を調査させて証拠を掴んだ上で、「東海自動車側が約束を反故にしているのだから、こちらも買収に動くまでだ」と買収工作を準備していた。

[編集] 参考資料

マルチメディア
東海自動車に関連するマルチメディアがあります。
ウィキメディア・コモンズ
  • バスジャパン・ハンドブックシリーズ「16 東海自動車」
  • バスジャパン・ハンドブックシリーズR「58 東海自動車・箱根登山バス」

[編集] 外部リンク

[編集] 東海自動車直営事業(施設)


最終更新 2009年9月15日 (火) 06:22 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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