杵屋勘五郎
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杵屋 勘五郎(きねや かんごろう)は、長唄三味線方の名跡。近世初期以来のもので6代を数える。
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[編集] 初代
(天正2年(1574年)? - 寛永20年9月11日(1643年10月23日))
歌舞伎の初代中村(猿若)勘三郎の弟といわれており、17世紀前半に上方から江戸に下り兄の脇師を勤める傍ら『猿若舞』の振付けをするなど『猿若』狂言で活躍した。
[編集] 2代目
(元和5年(1619年)? - 元禄12年10月21日(1699年12月11日))
2代目杵屋六左衛門の実子。別名、初代杵屋喜三郎。狂言師から転身。
数曲の作曲を残す。
[編集] 3代目
10代目杵屋六左衛門の子。初代杵屋栄蔵、5代目杵屋三郎助を経て、文久元年(1861年)11代目六左衛門、慶応4年(1868年)義弟に六左衛門を譲り3代目勘五郎となる。根津の勘五郎と呼ばれ、また稀音家照海、大薩摩節から正式に名が譲られた大薩摩絃太夫の名を兼名。音曲の故事研究家でもあり、『大薩摩杵屋系図』『大倭三絃甲乙図』などを著した。作曲に「紀州道成寺」「土蜘」「綱館」「橋弁慶」などがある。
住いから「根岸の勘五郎」と称された。
[編集] 4代目
初代稀音家浄観の前名。
[編集] 5代目
12代目杵屋六左衛門の次男。最初は商人にさせようとしたがあまりにも技量がすばらしくこの世界に入れた。初名を2代目杵屋栄蔵。1902年杵屋喜三郎から1902年に5代目勘五郎となる。兄に13代目六左衛門があり、ともに歌舞伎長唄で活躍。作曲に「里廼四季」「新曲浦島」「島の千歳」「多摩川」がある。技量は兄を勝るものがあったが病魔に冒されて程なく没した。
[編集] 6代目
父は14代目杵屋六左衛門、兄に15代目杵屋喜三郎がいる。1942年に6代目勘五郎を襲名。三味線音楽の普及活動を行う杵屋会を結成した。
作曲には「恋といふ」「二人静」「白子屋駒子」がある。
最終更新 2009年11月4日 (水) 15:44 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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