松屋 (百貨店)
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| 種類 | 株式会社 | ||
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| 市場情報 |
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| 本社所在地 | 〒104-8130 東京都中央区銀座3丁目6番1号 |
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| 電話番号 | 03-3567-1211 | ||
| 設立 | 1919年3月1日 | ||
| 業種 | 小売業 | ||
| 事業内容 | 百貨店 | ||
| 代表者 | 代表取締役社長 秋田正紀 | ||
| 資本金 | 71億32百万円 | ||
| 売上高 | 単体757億円、連結901億円 (2009年2月期) |
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| 純資産 | 単体116億円、連結136億円 (2009年2月) |
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| 総資産 | 単体499億円、連結537億円 (2009年2月) |
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| 従業員数 | 単体765人、連結1,244人 (2009年2月) |
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| 決算期 | 2月末 | ||
| 主要子会社 | 株式会社アターブル松屋ホールディングス | ||
| 外部リンク | http://www.matsuya.com/ | ||
株式会社松屋(まつや、英文表記:Matsuya Co., Ltd.)とは、東京都中央区銀座、台東区浅草に店舗がある日本の百貨店。
銀座松屋本店は、銀座地区の百貨店では、地域一番店の座を銀座三越と競り合う売上と人気を誇る。
目次 |
[編集] 概要
1869年に横浜で創業された呉服店の流れを汲む百貨店。拡大路線をひた走ったが、1970年代のオイルショック以降に経営難になり、銀座店と浅草店の2極体制になる。経営再建には東武百貨店と伊勢丹が関わった。仕入れ関係は、松屋と伊勢丹主導で結成した全日本デパートメントストアーズ開発機構に加盟し現在に至る。
高級ブランド、ラグジュアリーファッションやアクセサリー、豪華絢爛な店舗の内・外装に定評があり、根強い女性ファンが多い。銀座を代表する百貨店である。
[編集] 伊勢丹との提携
伊勢丹とは1971年の「業務提携に関する覚書」、「商品券の相互利用に関する契約書」の締結や、1973年の全日本デパートメントストアーズ開発機構(A・D・O)の設立などで幅広い提携強化を図ってきた。2002年11月には更なる提携強化を目指して伊勢丹の株式を買い増し、副社長も同社から迎えた[1]。しかし、2007年に三越と伊勢丹の経営統合が発表されると、両社間にすきま風が吹き始める。伊勢丹が統合する三越の銀座店は、松屋銀座店の近隣にあり、地域1番店の座を巡り激しく競っているためでもある。2007年秋のADO会議には、同機構の総合幹事店でもある松屋は欠席している。共同のカード事業なども進んでおらず、「伊勢丹が自社のやり方を押し付けることを松屋側が嫌った」との見方が強い。現在、東武鉄道グループと伊勢丹グループは、第2位株主と第3位株主でもある。
[編集] 沿革
- 1869年12月5日(明治2年11月3日)- 初代古屋徳兵衛により横浜石川町にて「鶴屋呉服店」を創業したのが始まり。
- 1899年(明治32年) - 東京神田今川橋の松屋呉服店(1776年(安永5年)創業)を買収し、東京へ進出。当時は「松屋呉服店」「鶴屋呉服店」の屋号を並行して使用していた。1978年(昭和53年)まで使用されていた紋章は「松」と「鶴」を形取っていた。
- 1903年(明治36年) - 合名会社松屋呉服店となる。
- 1908年(明治41年) - 呉服以外に雑貨、洋品の販売を始め、化粧品、帽子の一部を海外より直接輸入して販売するようになり発展した。
- その後、銀座や浅草、横浜関内の吉田橋際や伊勢佐木町に店舗を構えるなど、事業を拡張。
- 1970年代 - 70年代前半のオイルショック後、経営が傾き、現行の東京銀座と浅草の2店舗体制となる。再建の過程で東武百貨店や伊勢丹との関係を強化。
[編集] 店舗
[編集] 日本国内店舗
銀座店
- 1925年(大正14年)5月1日に開店。翌年に本店となり、今に続く。地下1階、地上8階の豪華な建造物であったが、太平洋戦争後の一時期は、連合軍のPXとして接収されていた。昭和20年代後半に接収が解除された後は、豪華絢爛であった外装、内装が改装によって廃された。
- 開店当初は贅を尽くした内装で耳目を集め、圧巻は正面玄関入ってすぐの中央ホールであった。天井のステンドグラスはローザリーの華やかなもので、ホールの内側の柱はモザイク模様を取り付け、1階のホールの四方はサラセン風の漆喰模様で飾られていた。7階のホール周りはサラセン風の柱廊となっていた。現在でも残っているが、エスカレータ脇の鉄板が張られている吹き抜けは、当時、地上7階まで吹き抜けであった中央ホールの名残である。1964年(昭和39年)、東京オリンピックの開催に合わせて大改装を行い、現在の形となり、また、現在の外装は4代目となる。あまりに大幅な改装が行われているため、建築当時の面影は皆無に等しい。竣工当時のエレベーターはオーチス製。当初は客用正面に6台、ホール周りに2台、他に社員用、荷物用、料理用などがあった。それでもビルの裏へ回ると、いくつかの窓が見られる。
浅草店
- 当時の浅草店は久野節設計で、昭和初期を代表するアール・デコ調の建造物である。現在は、外壁は白い外装材で覆われているが、北面の壁は外装材で覆われておらず、建築当時そのままである。また、駅のホームや階段などにも建築当時の面影を見つけることができる。屋上にある松屋の広告塔は、建築当時の塔屋のなごりである。浅草店出店の経緯から東武鉄道は、松屋に出資している。
[編集] 日本国外店舗
[編集] 台湾
- (商標の貸与・業務提携)
[編集] 過去に存在した松屋の店舗
[編集] POSシステム
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年11月19日 (木) 23:55 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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