松山空港
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| 松山空港 Matsuyama Airport |
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|---|---|---|---|
| IATA:MYJ-ICAO:RJOM | |||
| 概要 | |||
| 国・地域 | |||
| 設置場所 | 愛媛県松山市 | ||
| 空港種別 | 商業 | ||
| 運営者 | 国土交通大臣 | ||
| 標高 | 8m・25ft | ||
| 位置 | 北緯33度49分38秒 東経132度41分59秒 / 北緯33.82722度 東経132.69972度 | ||
| ウェブサイト | |||
| 滑走路 | |||
| 方向 | ILS | 全長×全幅(m) | 表面 |
| 14/32 | ? | 2,500×45 | 舗装 |
| リスト | |||
| 国際空港の一覧・日本の空港 | |||
松山空港(まつやまくうこう、Matsuyama Airport)は、愛媛県松山市にある国管理空港。
目次 |
[編集] 概要
松山空港は、広島湾要塞の防空を担うため日本海軍が設営した吉田浜飛行場が前身である。戦時中は勇名を馳せた戦闘機零戦、紫電改、高速偵察機彩雲が展開し、1945年豊後水道、伊予灘上空でアメリカ軍艦載機との激闘を演じた。第343海軍航空隊の活躍はよく知られており、広島市への原爆投下後は、全搭乗員がB-29に特攻しても次の原爆投下を阻止する覚悟を決めていたといわれる。
戦後は、旧飛行場を拡張して民間空港として利用されている。松山空港周辺には今も戦闘機用の掩体壕が見られるが、その数は年々少なくなっている。伊予灘に面した海岸線に位置し、海側からが優先進入路となっている。松山空港から半径10km以内の管制圏は、松山空港が管制しているが、その上空の空域はアメリカ海兵隊岩国基地が管制をしている。
周囲は帝人ほかの工場群。四国最大かつ最多の利用客数を誇る空港であり、次点の高松空港のほぼ倍の利用客数がある。松山市中心部からのアクセスもよいほか、四国唯一の国際定期路線を複数有する空港として、高知方面からの連絡バスもある。
[編集] 沿革
- 1941年 - 海軍呉建築部の下、土木工事を内務省神戸土木出張所、建築工事を錢高組が担当して工事開始。
- 1943年10月 - 第一期工事終了、松山海軍航空基地として使用を開始。
- 1944年 4月 - 第二期工事として、掩体、隧道、誘導路の工事を開始する。
- 1943年-1945年 - 第263空(戦闘機隊・豹部隊)、第341空(戦闘機隊・獅子部隊)、第653空(母艦部隊)、第541空(艦爆隊・響部隊)、第601空(母艦部隊)、二代目第343空(戦闘機隊・剣部隊)、171空(偵察機隊、翔部隊)、721空(神雷部隊)、大和空第二千早隊(中練特攻隊)、基地部隊として内海空本隊が展開。
- 1945年 - 連合国軍に接収される。朝鮮戦争時には米英軍が使用。
- 1952年 7月 - 連合国軍による接収が解除される。旧基地のエプロン部分を滑走路として民間空港を整備。
- 1956年 3月 - 大阪国際空港間で民間旅客輸送を不定期便にて開始。
- 1958年 2月 - 空港整備法に基づく第二種空港として指定。
- 1959年10月 - 初代松山空港ターミナルビルが完成。1,200m滑走路供用開始。
- 1961年
- 4月 - 大阪国際空港線の就航(松山空港初の民間定期便)。
- 9月 - 広島空港線の就航(~1999年3月)。
- 1965年11月 - 東京国際空港直行便就航。
- 1966年 1月 - 福岡空港線就航。
- 1966年 - 全日本空輸のYS-11が着陸に失敗して伊予灘に墜落、乗員乗客全員死亡(全日空松山沖墜落事故)。この事故を機に滑走路延長、ILS等の航行保安施設等の拡充が決定した。
- 1967年 4月 - 第1次空港整備5ヵ年計画(1967年~1971年度)で、滑走路の延長計画等に着手。
- 1968年 - 2代目松山空港ターミナルビルが完成。
- 1971年 5月 - 名古屋空港線就航。
- 1972年
- 3月 - 岡山線の就航(~1981年10月)。宮崎線の就航(~2005年2月)。
- 4月 - 2,000m滑走路の供用開始、中・四国初(全国で6番目)のジェット化空港。
- 1973年 6月 - 海側からの離着陸を基本とする航空機騒音軽減運航(優先滑走路方式)規制開始。
- 1978年
- 11月 - 松山空港ビル(株)の設立。
- 12月 - 鹿児島空港線就航。
- 1979年 4月 - 国際チャーター便の第一便が香港へ。
- 1981年10月 - 第4次空港整備5ヵ年計画(1981~1985年度)で、2,500m滑走路の整備を決定。
- 1985年10月 - 滑走路延長工事開始。海側に500m延長のため埋立護岸工事に着手。ターミナルビル地域拡張工事に着手。
- 1986年11月 - 那覇空港線就航。
- 1989年 7月 - 運用時間を13時間に延長(8:00~19:30 → 7:30~20:30)。
- 1991年10月 - 新千歳空港線就航(~2007年10月)。
- 1991年12月 - 2,500m滑走路、新旅客ターミナルビル(3代目)の供用開始。ジャンボジェット機の就航が可能となる。
- 1992年
- 1月 - 松山空港利用促進協議会の設立(愛媛県、松山市、経済団体、関係企業で構成)。
- 9月 - 新貨物ターミナルビルの供用開始。
- 1994年
- 9月 - 関西国際空港線の就航(~2009年10月)。
- 12月 - 国際線ターミナルビルの供用開始。
- 1995年 4月 - ソウル線の就航。
- 1996年 9月 - 仙台空港線就航(~1998年12月)。
- 1997年12月 - 小松空港線就航(~1999年6月)。
- 1998年 6月 - 松本空港線就航(~2001年7月)。
- 2004年
- 7月 - 上海線就航。
- 10月 - 熊本空港線就航。(~2008年8月)。
- 2005年
- 2月 - 中部国際空港線の就航。
- 7月 - 運用時間を14時間に延長(7:30~20:30 → 7:30~21:30)。
- 2007年
- 4月 - エプロンルーフの運用始まる(日本国内の空港では初めて)。
- 9月 - 全日空搭乗口では完全に磁気券改札システムを廃止し、バーコードまたはANAマイレージクラブカードなどのICカードをタッチして読み取る新方式を全国に先駆けて導入。
- 2008年
- 1月 - 帰省ラッシュ時に出発ロビー内にポンジュースの蛇口を設置。
[編集] 航空管制
| TWR | 118.35MHz | 126.2MHz |
| ATIS | 126.65MHz |
- 飛行場管制は、国土交通省大阪航空局松山空港事務所航空管制官が担当
- ターミナル管制は、米海兵隊岩国飛行場岩国管制隊が担当
[編集] 航空保安無線施設
| 局名 | 種類 | 周波数 | 識別信号 |
| 松山 | VOR | 116.3MHz | MPE |
| 松山 | DME | 1197MHz | MPE |
| 松山 | ILS | 109.3MHz | IMP |
- 保守は、国土交通省大阪航空局 松山空港事務所 航空管制技術官が担当
- VORDMEの運用時間は、24時間(日本時間)
- ILSの運用時間は、7:30~21:30(日本時間)
[編集] 就航路線
[編集] 国内線
- 日本航空 (JAL) - ジェイエアの機材・乗務員で運航する便あり
- 日本トランスオーシャン航空 (JTA)
- 日本エアコミューター (JAC)
- 全日本空輸 (ANA) - エアーニッポン、エアーニッポンネットワーク、エアーセントラルの機材・乗務員で運航する便あり
- 東京国際空港、中部国際空港、大阪国際空港
かつては新千歳空港、仙台空港、松本空港、小松空港、関西国際空港、岡山空港、広島西飛行場(旧広島空港)、熊本空港、大分空港、宮崎空港へも就航していた。
[編集] 国際線
航空会社名が2社以上の場合、最前の航空会社の機材・乗務員で運航する共同運航便
[編集] 利用状況
年間利用者数【2006年度】275万0402人(国内線/268万9958人・国際線/6万0444人)
四国地方では最多、中四国地方でも広島空港に次いで2番目の利用者数を誇る。
| 行き先 | 旅客数 | 国内線順位 |
|---|---|---|
| 東京国際空港 | 約144万人 | 上位11位 |
| 大阪国際空港 | 約62万人 | 上位42位 |
国土交通省 平成19年度航空運輸統計速報(平成20年6月26日)、上位50位までを記載。
[編集] アクセス
[編集] リムジンバス
[編集] 一般路線バス
松山都心までは約8~10分間隔でバスが運行されており、利便性は高い。運行本数・所要時間・料金等の詳細は、該当項目や公式サイトにて最新情報を確認されたい。
[編集] 自動車
新空港通の整備により、松山市内中心部とのアクセスはよくなっており、空港リムジンバスも新空港通を通る。駐車場は、旅客ターミナルビル前と貨物ターミナル前に公営の駐車場がある(第一駐車場は立体駐車場となっている)。このほか、旅客ターミナルビルまで送迎付きの民間駐車場も近傍に存在する。
[編集] 周辺
- 2007年現在、空港周辺のうち、南と北は帝人をはじめとした工場群や下水処理場、東には住宅と工場・倉庫等が混在しており一部に水田等が残っており、大型の集客スポット・観光施設などはない。(西は瀬戸内海に面している)
- 空港近くの南吉田地区には松山海軍航空隊基地の遺構である掩体壕が3ヶ所に現存している。
また、ターミナルから滑走路をはさんで西側には公園が整備されている。
[編集] 事故・インシデント
- 2009年1月30日、同空港18時10分発大阪行の日本エアコミューター2318便(ボンバルディアDHC8-Q400)が、飛行計画の承認を管制官から受けないまま離陸。その2分後に同機側が確認を求め、管制官は事後承認。国土交通省は、同社と松山空港事務所に対し、再発防止を要求した[1]。
- 2009年6月20日、午後6時25分頃、同空港を離陸直後の大阪空港行日本エアコミューター2318便(ボンバルディアDHC-8-402型)で、主翼右側の車輪を収納する格納扉が閉まらなくなった。同機は約1時間後に大阪空港に無事着陸したが、大阪空港では、地元消防署から化学消防車など計5台が出動し待機する騒ぎに[2]。
- 2009年10月10日、午後3時半頃、同空港に着陸予定だった自家用プロペラ機「パイパーPA-28」型機が胴体着陸を行い着陸。乗員にけがはなかった。操縦者は「車輪を一度出したものの、空港まで遠かったので収納したが、そのまま着陸前に出すのを忘れてしまった」と供述している[3]。
[編集] 脚注
- ^ 飛行計画確認なく離陸=国交省、JACと空港事務所に注意-松山 時事通信 2009年1月31日
- ^ 航空トラブル:JAC機、車輪格納扉閉まらず 伊丹に着陸 毎日新聞 2009年6月21日
- ^ 松山空港で小型機が胴体着陸 けが人なし - 47NEWS 2009年10月10日
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年11月13日 (金) 09:42 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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