松平康長
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松平 康長(まつだいら やすなが、1562年(永禄5年)- 1633年1月21日(寛永9年12月12日))は、戦国時代から江戸時代前期にかけての徳川氏の家臣・譜代大名である。戸田宗家(仁連木戸田家嫡流、康長以降、戸田松平家とも)16代当主。松平の称号を賜り、戸田松平家の祖となる。(仁連木戸田家のうち嫡流を戸田宗家または戸田松平家という)15代戸田重貞の弟・戸田忠重の長男。母は戸田吉光の娘。伯父・重貞の嗣子となる。最後の二連木城主。松本藩7万石の藩主。松本神社の祭神の一柱である。
正室は徳川家康の異父妹に当たる松姫(久松俊勝と伝通院の娘)。子に松平永兼(長男)、松平忠光(次男)、松平庸直(三男)、娘(戸田氏鉄正室、徳川家康養女)、娘(大給松平乗寿正室)、娘(阿部忠秋継室)らがいる。
家紋は松平姓とともに下賜された三つ葉葵と戸田氏歴代の六曜紋である。なお、名前の表記について、書籍によっては戸田康長と載せるものもある。
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[編集] 生涯
旧姓は戸田。天正9年(1581年)に徳川方として遠江国の要衝・高天神城攻めに初陣として加わって以来、家康の下で主要な合戦に参加し武功を発揮した。三河国の朝倉川南岸から半島にかけての渥美郡一帯を支配した戸田氏の嫡流である。徳川家康の外祖父・戸田康光は曽祖父にあたる。家康の異父妹・松姫と婚姻し、それまでの功績から松平姓を許される。天承18年(1590年)、家康の関八州移封に従い、三河国渥美郡仁連木(愛知県豊橋市仁連木町)の二連木城を離れ(この時点で二連木城廃城)、武蔵国東方に1万石を領する。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは大垣城攻略に功を挙げた。戦後の慶長6年(1601年)に上野国白井藩へ移封。その後、慶長7年(1602年)に下総国古河藩、慶長17年(1612年)に常陸国笠間藩、元和2年(1616年)に上野国高崎藩とめまぐるしく移封した後、元和3年(1617年)に信濃国松本藩7万石の所領で落ち着く。(松本城参照。)
一族には曽祖父・康光の弟・戸田光忠の孫・戸田尊次が近江国膳所に封じられたのにはじまり、その子孫は主に宇都宮藩をはじめとして足利藩、曽我野藩の藩主として封じられている。別家にて縁戚でもある戸田一西の家系は主に大垣藩、大垣新田藩の藩主として封じられている。子孫には譜代大名や幕臣、主に旗本も輩出している。
[編集] 栄誉・武勲戦功
栄誉
武勲
- 天正3年(1575年) - 高天神城攻略に従軍。
- 天正12年(1584年) - 小牧・長久手の戦いにおいて酒井忠次に附属し、戦功あり。
- 天正18年(1590年) - 小田原征伐において上野国白井城を落とす。
- 慶長5年(1600年) - 関ヶ原の戦いにおいて水野勝成とともに美濃国大垣城を落とす。
- 慶長19年(1614年) - 大坂冬の陣において幕府軍に従軍。
- 慶長20年(1615年) - 大坂夏の陣において幕府軍に従軍。5月6日、康長、幕府軍の第三陣として天王寺口にて兵600にて参戦。
[編集] 系譜
戸田宗光―戸田憲光―戸田政光―戸田康光―戸田宜光―戸田重貞=松平康長(実父 重貞弟・戸田忠重)
- 松平康長と同系である戸田宜光流の支流
水戸藩士・戸田氏の家祖 戸田有信 戸田宜光の三男 重政の流れを引く。家祖 有信は有利の嫡男。徳川御三家のひとつ水戸藩の初代藩主 徳川頼房に仕官。水戸・戸田家の系図は戸田忠太夫・戸田銀次郎に詳しい。
戸田宜光―戸田重政―戸田有利―戸田有信------子孫には幕末の水戸藩家老戸田忠太夫・安島帯刀などがいる。
上記、戸田有利の次男にあたる。松平式部大輔忠次(榊原忠次)に仕官する。
戸田宜光―戸田重政―戸田有利―戸田有慶
戸田宜光の四男 戸田伝十郎は兄 戸田忠重の子(甥)にあたる松平康長の家老となる。
戸田宜光―戸田伝十郎
[編集] 備考
北海道雨竜神社には康長が祭神として祀られている。これは明治期、北海道雨竜郡に三条実美ら有志華族と華族組合農場の経営をしていた子孫の戸田康泰建立によるものといわれる。
[編集] 関連項目
- 戸田氏(家名)
- 江戸幕府
- 松本藩
- 戸田信義(戸田氏の祖)
- 戸田康光(曽祖父)
- 戸田宜光(祖父)
- 戸田忠重(父)
- 戸田尊次(一門)
- 戸田一西(縁戚)
- 戸田氏鉄(娘婿)
- 戸田有信(従弟有利の子、水戸藩に仕官)
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最終更新 2009年7月8日 (水) 16:19 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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