松本市の歴史

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松本市の歴史(まつもとしのれきし)は、長野県松本市歴史および年表と、現在の松本市に至るまでの行政区画の変遷について述べる。

目次

[編集] 歴史

[編集] 略史

旧松本市は、もともと信濃国筑摩郡の一部であった。奈良時代終わりに、上田から信濃国国府が遷移し、鎌倉時代には信濃国守護館が置かれた。室町時代に入ると国府の機能は形骸化し廃止されるが、江戸時代に至って尚、この地は依然として「信府」(「信濃国府所在地」の意)と呼ばれ、小藩が乱立する信州に於いて最大の商業都市であった。明治時代のはじめには筑摩県(長野県の南半分が該当)と旧長野県(長野県の北半分が該当)が統合され旧信濃国が一つの県になった。これにより松本は一県の県庁所在地としての地位は失ったが、大正末期から昭和初期までは長野県の商業の中心地であった。

※「信濃国」や「長野県」の歴史の項目も参照のこと。

[編集] 有史以前

市内の台地、城山、岡田、山辺などには3000年以上前の遺跡があり、その当時から人が居住していたことが伺える。 弥生時代になると稲作が普及し、田川流域などの低地に集落が広がった。

古墳時代の松本は東日本でも早くから栄えていたことが伺え、中山にある弘法山古墳は4世紀のもので東日本最古級とされている。内部からは四獣鏡、鉄剣などが発見された。また、全国で数少ない黒曜石の産出場の1つである和田峠に近かったことも、その繁栄にとって有利に働いたものと思われる。

[編集] 奈良時代

奈良時代の終わりから平安時代の初期に国府上田から移転した。(諏訪の可能性を主張する学者もいるが有力ではない)。国衙の比定地については諸説あるが、いずれも市東部で、惣社説(そうざ)、大村説、山辺説などがあり、中でも惣社が最有力視されている。 なお、松本駅前に国分町という地名があるがこれは松本市に国府があったことを記念し明治時代に付けられた地名であるため、国衙比定地とは無関係である。

また奈良時代には朝廷と太いパイプを持つ人物により、束間の湯(現在の浅間温泉美ヶ原温泉のどちらかと考えられる)に天皇の別荘を作る計画が持ち上がったが、崩御によって頓挫した。

市東部の山辺にある兎川寺はこのころ聖徳太子によって創建されたとされる。

奈良時代には市南東部に埴原(はいばら)の牧という朝廷の牧場ができ、信濃国の官牧を全て取り仕切るための牧監庁(もくげんちょう)も併設された。

[編集] 平安時代

平安時代の松本は、捧の庄(ささげのしょう)と呼ばれていた。

このころに市内の新村、和田、島立が新田開発された。また、松本の2大寺院である放光寺牛伏寺はこのころの創建である。放光寺は坂上田村麻呂が建立したという伝説が残っている。牛伏寺は善光寺へ重要な経典を運ぶ途中現在の牛伏寺のところで牛が伏せ動かなくなり、僧侶がこれも何かの縁だということで建立した。

当時、特産の梓弓が朝廷へ献上されていた記録がある。

[編集] 鎌倉時代

井川城跡

鎌倉時代初期には埴原城が建設された。市南部の神林からは高僧「心地覚心」が誕生した。市北部の島内は犬甘氏が支配しており、犬甘島と呼ばれ盛んに開発された。犬甘氏は犬甘城を現在の城山に建てたが、後述する小笠原氏の家臣となったため犬甘城は小笠原氏の支城となった。現在の城山は松本城の城山ではなく当時建てられた犬甘城の城山である。

建武の新政を巡り、中先代の乱が勃発すると、戦乱によって国衙が焼失した。

[編集] 室町時代

南北朝期になると小笠原貞宗が国司兼守護職を拝命して松本に入った。

小笠原氏は井川に城を築き、後に井川城と呼ばれるようになった。当時は市東部の山々に山城が多く作られ広沢寺などの寺社も多く建立された。また、市のシンボルである松本城の前身「深志城」は小笠原氏の家臣である島立(しまだて)氏によって築城された。御伽草子のなかに出てくる話の1つ、ものぐさ太郎はこのころ和田で誕生したとされる。

[編集] 安土桃山時代

松本城

戦国時代には武田信玄が松本(林城)を攻め、小笠原氏を追放して武田氏が30年にわたりこの地方を治めた。有名な逸話にあるように当時、武田氏の敵の今川氏が信濃、甲斐への塩の供給を停止したが上杉謙信が信濃へ塩を送った。 その後、織田氏によって武田氏が滅ぶと、小笠原氏が再度領有することが許された。

この時に松本という地名が生まれ、町の名も深志から松本に深志城も松本城に変更された。だが、明治維新のころまでには松本とともに深志も多用される。

1591年松本藩の藩祖となる石川数正が領地の移封で松本にやって来、現在は国宝指定を受けている松本城天守閣の建設や現在の中心市街地にも繋がる城下町の整備に着手した。城下町の整備では親町3町(本町、中町、東町)を中心に整備され、現在の大門沢川付近を流れていたとされる女鳥羽川の流路が大幅に変更された。

[編集] 江戸時代

江戸時代の様子を今に伝える縄手通り(復元)
蔵の町並み(中町)

江戸時代の松本藩の藩政の特徴として前期には藩主の家が次々に変わり、後期には水野氏、戸田氏の長い支配があったことがあげられる。また小藩ながら松平家など徳川家に近い家が藩主になったり、全国に8ヵ所あった銭座のひとつがあったことから実力は石高を上回るとされる。

江戸後期の松本城下の人口は町人が12,000人だったが武家人口をあわせると2万弱で、当時は信州最大の商業都市であった。松本藩の歴代の藩主の家は石川家、小笠原家、戸田家(松平家)、松平家(越前)、堀田家、水野家、戸田家(松平家)となる。

8万石で入部した小笠原家の後、戸田家が7万石で入部すると、1万石の差分が高島藩と高遠藩に5000石ずつ分与され、松本領内に領内に飛び地が発生した。

1642年以降は水野氏による6代84年の長期政権となる。3代水野忠直の治世下で貞享騒動が発生し、刑死者28名をはじめ、藩民に多数の犠牲者が出た。6代水野忠恒が江戸城内で刃傷沙汰を起こし、改易となる。この出来事は松本町人の間でも関心が高く「水野様ご大変」などと呼ばれていた。水野家の家名は叔父の水野忠穀に7000石が与えられたため存続している。

水野氏に変わって、1726年に戸田家(松平家)が再度入部すると、前任者を越える9代144年間の長期政権となった。 石高は6万石だが、信濃国の天領の一部を預かり地として委任され、その実力は15万石相当であったとも言われる。翌年、松本城本丸が火事により焼失。以降、本丸は再建されることはなかった。

※藩史の詳細については「松本藩#概要を参照のこと。

[編集] 明治時代

旧開智学校

1869年版籍奉還により松本藩主は松本藩知事に就任。この藩知事戸田光則は、水戸学の影響を強く受けていたことと、新政府に好印象を与えようとしていた為、激しい廃仏毀釈を行った。この結果、藩内180ヶ寺の内140ヶ寺が破壊された。このうち天台宗真言宗寺院はほぼ全てであったのに対し、浄土真宗は23ヶ寺中僅か3ヶ寺が破壊されたのみであった。これは、正行寺住職を中心とした反対運動によるものである。

1871年8月29日廃藩置県により松本藩は松本県(松本が県庁所在地)になった。その後11月に伊那県、高遠県、高島県、飯田県、名古屋県の信濃国分、高山県(飛騨国)と合併して、筑摩県(松本が県庁所在地)が成立。鹿児島から権令(今の県知事)が入った。当時の筑摩県は大変な教育県で、学校の数が人口の割りに多かったとされる(これが1970年代ころまで、教育県として知られることにつながった)。しかし、1876年には、筑摩県庁の焼失により、長野県に編入された。

全国の城が維新の新時代到来により破却されていく中で、松本城でも競売の話が持ち上がったが、市川量造ら地元有力者により買い戻された。資金の調達のために松本城内で博覧会が開かれたこともあった。

このころ松本町女鳥羽川をはさんで北深志町と南深志町に分立した。また開智学校の開闢もこのころである。

1889年、(松本)北深志町、(松本)南深志町、桐村、蟻ヶ崎村、宮渕村、白坂村、渚村、筑摩村(=旧征矢野・鎌田村、小島村の田川西区を除く)が合併し松本町が発足。1887年内務省へ市制施行を申し出た。政府は許可する予定であったが県議会が否決。市制施行は10年後の1907年に持ち越された。

1902年には国鉄松本駅が開業した。

※明治期に起きた他地域とのいざこざについては「地域間関係」も参照のこと。

[編集] 大正時代

旧松本市庁舎(復元)

1913年、上土町に新市役所完成。現在、その地には市役所を復元した建物がある(写真)。

1914年長野市にないものを誘致した結果、日銀松本支店が開業。金融、証券関係の企業が集まるようになる。

1925年松本村と合併。庄内付近では市街地が連続していたため合併の話はスムーズに進んだ。

[編集] 昭和前期

1928年松本商業学校(現:松商学園野球部甲子園で優勝。

1940年ごろから、大手企業の工場が疎開し始める。南松本の宮田製作所は、その中でも大きなもので3000人以上の従業員を雇っていた。松本市は戦災を免れたため、貴重な文化財が今日も残っている。

[編集] 昭和後期

県庁の分割案が1948年に、長野県議会で可決されそうになった。しかし、議場の傍聴席から突如として「信濃の国」の大合唱がわき起こり、議員たちの意思を削いで、県の分割を阻止することになったと言われる。しかしこの逸話はフィクションという説もあり、真相は不明である。

昭和の大合併で13か村と合併。一時は人口で長野市にかなりのところまで迫った。

高度経済成長期にまたも分県案が長野県議会で可決されそうになったが、松本・諏訪地区を新産業都市に指定するというところで落ち着いた。新産業都市指定は今日の松本市の工業の原点となった(このときに大久保、木工などの各工業団地が計画された)。

1966年松本バイパス(現在の国道19号のうち平田交差点から新橋交差点まで)完成。渋滞は解消されるかに思われたが、数年で道は車の海となってしまった。このバイパス完成が今日の南松本など市南部の発展へつながる。

このころ住宅難により、寿台に大規模な住宅団地が開設されるなど市南部を中心に団地が整備された。また、健康ブームの影響を受け第1回薄川元日マラソンが行われた。

長野県は1978年やまびこ国体まで一度も国体を開催したことがなかったため、県は国体を誘致することとなった。しかし、やはり開催地をめぐって長野市と争うこととなった。今回は長野市が折れ松本市での開催となった。国体に合わせ松本駅の新築ややまびこ道路(国体道路)の新設、駅前の区画整理(これに合わせ松電バスターミナルビルがオープン)などのインフラ整備が行われた。

このころから総合社会福祉センター開設など、南松本への公共施設の開設が多くなった。これが現在の南松本の副都心化の原点である。

[編集] 平成時代

1988年長野自動車道の開通以降、市内に郊外型大型店が出店し始める。特に市南部で顕著だ。

1994年松本サリン事件(テロ)が発生。連日、新聞の一面を飾り松本市で起きた出来事の中でもっとも重大なものである。

このころから中央西地区再開発事業が始まる。花時計公園や伊勢町通りの拡張、松本パルコの延床などが行われた。同じ頃に中町の整備も始まり、元はポイ捨ての絶えなかった街が、今では観光地・ロケ地となっている。

[編集] 年表

[編集] 有史以前

[編集] 奈良時代

[編集] 平安時代

[編集] 鎌倉時代

[編集] 室町時代

[編集] 戦国時代

[編集] 江戸時代

[編集] 明治時代

[編集] 大正から第二次大戦まで

[編集] 第二次大戦後

[編集] 平成時代

[編集] 行政区画の変遷

[編集] 松本市全体

平成の大合併以前のデータ
面積 265.87 km²
人口 208,513
(2005年3月1日)

市町村の掲載順は松本市の公式文書に用いられるものと同じにした。

  • 1907年(明治40年)5月1日 - 東筑摩郡松本町(地図:1)が単独で市制施行。松本市発足。(12.17km²)
  • 1925年(大正14年)2月1日 - 東筑摩郡松本村(地図:2)を編入。(18.80km²)
  • 1943年(昭和18年)4月1日 - 東筑摩郡中山村の神田区(地図:3)を編入。(19.87km²)
  • 1954年(昭和29年)4月1日 - 東筑摩郡島内村(地図:4)、中山村(同:5)、島立村(同6)を編入。(61.71km²)
  • 1954年(昭和29年)8月1日 - 東筑摩郡新村(地図:7)、和田村(同:8)、神林村(同:9)、笹賀村(同:10)、芳川村(同:11)、寿村(同:12)、岡田村(同:13)、入山辺村(同:14)、里山辺村(同:15)、今井村(同:16)を編入。(214.85km²)
  • 1960年(昭和35年)4月1日 - 塩尻市に編入された東筑摩郡片丘村の北内田区(地図:17)を編入。(226.14km²)
  • 1961年(昭和36年)4月1日 - 塩尻市に編入された東筑摩郡片丘村の南内田区のうち欠の湯地籍(地図:18)を編入。(226.20km²)
  • 1974年(昭和49年)5月1日 - 東筑摩郡本郷村(地図:19)を編入。(264.30km²)
  • 1982年(昭和58年)4月1日 - 塩尻市洗馬の一部(空港東 地図:20)を編入。(265.87km²)
  • 2005年(平成17年)4月1日 - 東筑摩郡四賀村(同:赤)、南安曇郡安曇村(地図:青)、奈川村(同:緑)、梓川村(同:茶)を編入。(919.35km²)

[編集] 旧・松本町(市制施行前)

市制施行前のデータ
面積 12.17 km²
人口 31,866
(1907年4月30日)
  • 1871年(明治4年)8月29日 - 廃藩置県により松本藩は松本県となる。11月には伊那県、高遠県、高島県、飯田県、名古屋県の信濃国分、高山県(飛騨国)と合併して筑摩県となりこれにより筑摩県筑摩郡松本深志町となる。
  • 1875年(明治8年)2月18日 - 筑摩郡松本深志町、北深志町(1番丁~5番丁が主に武家町、6番丁~11番丁が主に寺院町・町人町 地図:黄)と南深志町(主に町人町 地図:橙)に分立。
    • 北深志37町:地蔵清水町、大名町、葵馬場町、土井尻町、大柳町、小柳町(以上が1番丁)、新町、片端町、出居番町、上土(揚土)町、袋町、捨堀町(以上が2番丁)、西堀町、六九(六供)町、北馬場町、田町、新田町、鷹匠町(以上が3番丁)、旗(御旗)町、徒士(御徒士)町、西町、堂(御堂)町、同心町、口張(紅梅)町(以上が4番丁)、天白町、中ノ丁、萩町、東ノ丁、上下町、下下町(以上が5番町)、安原町(6番丁)、和泉町(7番丁)、東町(8番丁)、鍛冶町(9番丁)、餌差町、下横田町(以上が10番丁)、上横田町(11番丁)
    • 南深志7町:本町(1番丁)、博労町(2番丁)、伊勢町(3番丁)、中町(4番丁)、飯田町(5番丁)、小池町(6番丁)、宮村町(7番丁)
  • 1876年(明治9年) - 筑摩県が信濃国分が長野県に、飛騨国分が岐阜県に編入される。信濃国分に属していた北深志町・南深志町は長野県に属することとなり長野県筑摩郡北深志町・南深志町となる。
  • 1879年(明治12年 - 東筑摩郡制施行により東筑摩郡北深志町・南深志町となる。
  • 1884年(明治14年)7月5日 - 東筑摩郡北深志町が松本北深志町に、同郡南深志町が松本南深志町に、それぞれ町名変更。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 市町村制施行。東筑摩郡松本北深志町(地図:黄)、松本南深志町(同:オレンジ)、桐村(同:茶)、蟻ヶ崎村(同:緑)、宮渕村(同:紫)、白坂村(同:青)、渚村(同:水色)、筑摩村(旧三才・庄内・中林・埋橋村地区、旧小島村の田川東区 同:赤)が合併し松本町が発足。
  • 1907年(明治40年)5月1日 - 東筑摩郡松本町が単独で市制施行。松本市発足。(長野県では2番目)

[編集] 旧・深志村(桐村、蟻ヶ崎村、宮渕村、白板村、渚村)

  • 1872年(明治5年)3月 - 筑摩郡桐原分、桐村と改称。9月には松本分を編入。
  • 1875年(明治8年)1月28日 - 筑摩郡桐村、蟻ヶ崎村、宮渕村、白板村、渚村が合併して深志村となる。
  • 1876年(明治9年) - 筑摩県の信濃国分が長野県に編入されたことにより長野県筑摩郡深志村となる。
  • 1879年(明治12年) - 東筑摩郡制施行により東筑摩郡深志村発足。
  • 1881年(明治14年)6月24日 - 東筑摩郡深志村、桐村、蟻ヶ崎村、宮渕村、白板村、渚村に分立。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 市町村制施行。桐村、蟻ヶ崎村、宮渕村、白坂村、渚村は筑摩村(旧三才・庄内・中林・埋橋村地区、旧小島村の田川東区)とともに松本町に編入される。

[編集] 旧・筑摩村

  • 1875年(明治8年)1月23日 - 筑摩郡筑摩村が三才村、庄内村、中林村、埋橋村、征矢野村、鎌田村、小島村を編入。
  • 1876年(明治9年) - 筑摩県の信濃国分が長野県に編入されたことにより長野県筑摩郡筑摩村となる。
  • 1879年(明治12年) - 東筑摩郡制施行により東筑摩郡筑摩村発足。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 市町村制施行。同郡桐村、蟻ヶ崎村、宮渕村、白板村、渚村とともに筑摩村(旧三才・庄内・中林・埋橋村地区、旧小島村の田川東区)が松本町に編入される。

(※小島村田川東地区=現在の中条の一部、庄内の一部 小島村田川西地区=現在の井川城)

[編集] 旧・松本村

  • 1874年(明治7年)10月23日 - 筑摩郡平田村、野溝村、出川町村、笹部村、高宮新田村、両島村、並柳村が合併して信楽村となる。
  • 1876年(明治9年) - 筑摩県の信濃国分が長野県に編入されたことにより長野県筑摩郡信楽村となる。
  • 1879年(明治12年) - 東筑摩郡制施行により長野県東筑摩郡信楽村が発足。
  • 1880年(明治13年)8月25日 - 東筑摩郡信楽村が平田村、野溝村、出川町村、笹部村、高宮村、両島村、並柳村に分立。

(※=平田村と野溝村は小屋村と村井町村と1889年(明治22年)4月1日に合併し芳川村となる。)

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 市町村制施行により東筑摩郡出川町村、笹部村、高宮村、両島村、並柳村と筑摩村(旧征矢野・鎌田村地区、旧小島村の田川西地区)が合併し松本村が発足。

[編集] 旧・中山村島立村島内村地区

  • 17世紀後半 - 筑摩郡犬飼村、小宮村、上平瀬村、下平瀬村が安曇郡に移る。また犬飼村が8ヶ村に分立する。
  • 1874年(明治7年)10月23日 - 筑摩郡埴原村、和泉村、神田村が合併し中山村となる。10月25日には安曇郡小宮村、高松村、青島村、北中村、南中村、北方村、東方村、犬飼町村、犬飼新田村、上平瀬村、下平瀬村が合併し島之内村となる。(翌年、島内村と改称。)
  • 1875年(明治8年)7月29日 - 筑摩郡島立町村、三ノ宮村、北栗林村、南栗林村、永田村、中村、小柴村、大庭村、堀米村、荒井村が合併し島立村となる。
  • 1876年(明治9年) - 筑摩郡中山村、島立村と安曇郡島内村が筑摩県の信濃国分が長野県に編入されたことにより長野県に属する。
  • 1879年(明治12年)1月14日 - 東筑摩郡・南安曇郡制施行により筑摩郡中山村、島立村は東筑摩郡に、安曇郡島内村は南安曇郡に属する。7月1日には島内村が南安曇郡から東筑摩郡に郡籍変更。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 東筑摩郡中山村、島立村、島内村。市町村制施行も合併を伴わずに発足。
  • 1943年(昭和18年)4月1日 - 東筑摩郡中山村の旧神田村地区が分村し松本市へ。

[編集] 旧・笹賀村今井村神林村和田村新村芳川村寿村里山辺村入山辺村地区

  • 1872年(明治5年)3月 - 筑摩郡荒井村、蘇我村と村名変更。
  • 1874年(明治7年)10月23日 - 筑摩郡平田村、野溝村、出川町村、笹部村、高宮新田村、両島村、並柳村が合併して信楽村となる。
  • 1874年(明治7年)10月23日 - 筑摩郡村井町村、小屋村、高出村、郷原町村、堅石町村、野村、原新田村、吉田村が合併して広丘村となる。
  • 1874年(明治7年)10月23日 - 筑摩郡赤木村、小池村、白川村、百瀬村、南百瀬村、白姫村、上瀬黒村、下瀬黒村、竹渕村が合併して豊丘村となる。
  • 1874年(明治7年)10月25日 - 筑摩郡今村、小俣村、神戸村、神戸新田村、二子村が合併して笹下村となる。
  • 1874年(明治7年)10月25日 - 筑摩郡上今井村、下今井村、野口新田村、古池原新田村が合併して今井村となる。
  • 1874年(明治7年)10月25日 - 筑摩郡上神林村、下神林村、梶海渡村、水代村が合併して神林村となる。
  • 1874年(明治7年)10月25日 - 筑摩郡蘇我村、殿村、衣外村、境村、和田町村、和田中村、下和田村、南和田村が合併して和田村となる。
  • 1874年(明治7年)10月25日 - 筑摩郡上新村、下新村、北新村、南新村、東新村が合併して新村となる。
  • 1875年(明治8年)1月23日 - 筑摩郡大嵩崎新田村、林村、北小松村、南小松村、薄町村、上金井村、下金井村、荒町村、新井村、兎川寺村、湯原村、藤井村が合併して里山辺村となる。
  • 1875年(明治8年)1月23日 - 筑摩郡北入村、中入村、桐原村、橋倉村、南方村が合併し入山辺村となる。
  • 1876年(明治9年) - 筑摩県の信濃国分が長野県に編入される。これにより筑摩郡信楽村、広丘村、豊丘村、笹下村、今井村、神林村、和田村、新村、里山辺村、入山辺村は長野県に属する。
  • 1879年(明治12年) - 東筑摩郡制施行。筑摩郡信楽村、広丘村、豊丘村、笹下村、今井村、神林村、和田村、新村、里山辺村、入山辺村は東筑摩郡に属する。
  • 1879年(明治12年)7月1日 - 東筑摩郡笹下村が今村、小俣村、神戸村、神戸新田村、二子村に分立。
  • 1880年(明治13年)8月25日 - 東筑摩郡信楽村が平田村、野溝村、出川町村、笹部村、高宮村、両島村、並柳村に分立。

(※=出川町村、笹部村、高宮村、両島村、並柳村は1889年(明治22年)4月1日に筑摩村(旧征矢野・鎌田村地区、旧小島村の田川西地区)と合併し松本村となる。)

  • 1881年(明治14年)6月24日 - 東筑摩郡広丘村が村井町村、小屋村、高出村、郷原町村、堅石町村、野村、原新田村、吉田村に分立。

(※=高出村、郷原町村、堅石町村、野村、原新田村、吉田村は1889年(明治22年)4月1日に合併し新しい広丘村となる。(現・塩尻市))

  • 1883年(明治16年)3月31日 - 東筑摩郡豊丘村から小赤村と白瀬渕村が独立。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 市町村制施行。
    • 東筑摩郡今村、小俣村、神戸村、神戸新田村、二子村が合併して笹賀村が発足。
    • 東筑摩郡平田村、野溝村、村井町村、小屋村が合併して芳川村が発足。
    • 東筑摩郡豊丘村、小赤村、白瀬渕村が合併して寿村が発足。
    • 東筑摩郡今井村、神林村、和田村、新村、里山辺村、入山辺村は合併を伴わずに発足。

[編集] 旧・岡田村本郷村地区

  • 1875年(明治8年)1月23日 - 筑摩郡松岡村、岡田町村、下岡田村、伊深村、三才山村、稲倉村、洞村、原村、浅間村、水汲村、大村、横田村、惣社村が合併し岡本村となる。
  • 1876年(明治9年) - 筑摩県の信濃国分が長野県に編入されたことにより長野県筑摩郡岡本村となる。
  • 1879年(明治12年) - 東筑摩郡制施行により東筑摩郡岡本村発足。
  • 1882年(明治15年)2月24日 - 東筑摩郡岡本村、合併前の13ヶ村に分立。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 市町村制施行。
    • 東筑摩郡岡田町村、下岡田村、松岡村、伊深村が合併して岡田村が発足。
    • 東筑摩郡三才山村、稲倉村、洞村、原村、浅間村、水汲村、大村、横田村、惣社村が合併し本郷村が発足。

[編集] 旧・四賀村地区

  • 1875年(明治8年)1月23日 - 筑摩郡刈谷原町村、保福寺町村、金山町村、反町村、殿野入村、赤怒田村、七嵐村、穴沢村、取入村、板場村が合併し刈谷原村となる。同日には同郡矢久村、召田村、長越村、藤池村、会吉新田村、横川村、原山村、金井村、両瀬村、小岩井村が合併し中川村となり、同郡会田町村、北山新田村、宮本村、西宮村、落水村、執田光村、井刈村が合併し会田村となる。
  • 1876年(明治9年) - 筑摩県の信濃国分が長野県に編入される。これにより筑摩郡刈谷原村、中川村、会田村は長野県に属する。
  • 1879年(明治12年) - 東筑摩郡制施行。これにより筑摩郡刈谷原村、中川村、会田村は東筑摩郡に属する。
  • 1881年(明治14年)5月18日 - 東筑摩郡刈谷原村。刈谷原町村、保福寺町村、金山町村、反町村、殿野入村、赤怒田村、七嵐村、穴沢村、取入村、板場村に分立。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 市町村制施行。
    • 東筑摩郡刈谷原町村、保福寺町村、金山町村、反町村、殿野入村、赤怒田村、七嵐村が合併し錦部村が発足。
    • 東筑摩郡中川村、合併を伴わずに発足。
    • 東筑摩郡会田村から旧北山新田村、西宮村、落水村、執田光村、井刈村地区が独立し合併。五常村が発足。
    • 上記の旧五ヶ村を除いた東筑摩郡会田村と穴沢村、取入村、板場村が合併。(新)会田村が発足。
  • 1952年(昭和27年)4月1日 - 東筑摩郡中川村の会吉新田地籍河鹿沢区が分村し本城村へ。
  • 1955年(昭和30年)4月1日 - 東筑摩郡錦部村、中川村、五常村、会田村が合併。四賀村が発足するが9月25日には旧五常村の執田光地籍高萩区が分村し豊科町へ。

[編集] 旧・梓川村地区

  • 1874年(明治7年)9月5日 - 安曇郡北条村、大久保村、丸田村、立田村、小室村、上角影村、下角影村、杏村が合併し梓村となる。同日には同郡焼山村、花見村、寺家村、田屋村、中村が合併し上野村となり、同郡北大妻村、南大妻村、横沢村、氷室村、岩岡村が合併し倭(やまと)村となる。
  • 1876年(明治9年) - 筑摩県の信濃国分が長野県に編入される。これにより安曇郡梓村、上野村、倭村は長野県に属する。
  • 1879年(明治12年) - 南安曇郡制施行。安曇郡梓村、上野村、倭村は南安曇郡に属する。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 市町村制施行。
    • 南安曇郡梓村、上野村を編入し発足。
    • 南安曇郡倭村、合併を伴わずに発足。
  • 1955年(昭和30年)4月1日 - 南安曇郡梓村と倭村が合併。梓川村が発足。

[編集] 旧・奈川村地区

  • 1871年(明治4年)11月 - 信濃国筑摩郡奈川村、廃藩置県により筑摩県に属する。
  • 1876年(明治9年) - 筑摩県の信濃国分が長野県に編入される。これにより長野県筑摩郡奈川村となる。
  • 1879年(明治12年) - 西筑摩郡制施行により西筑摩郡奈川村が発足。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 市町村制施行も合併を伴わずに発足。
  • 1948年(昭和23年)6月1日 - 西筑摩郡から南安曇郡に郡籍が移り、南安曇郡奈川村となる。

[編集] 旧・安曇村地区

  • 17世紀後半 - 筑摩郡稲核(いねこき)村、大野川村が安曇郡に移る。
  • 1874年(明治7年)9月5日 - 安曇郡島々村、大野田村、稲核村、大野川村が合併し安曇村となる。
  • 1876年(明治9年) - 筑摩県の信濃国分が長野県に編入されたことにより長野県安曇郡安曇村となる。
  • 1879年(明治12年) - 南安曇郡制施行により南安曇郡安曇村が発足。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 市町村制施行も合併を伴わずに発足

[編集] 人口の推移

松本市の人口の推移
[単位:人] 5年おきの人口は太字になっている(近代の人口のはじめである1898年についても同様)。

人口
江戸時代 ファイル:b10.pngファイル:b10.png 2万弱(町人:12,000、武家人:7,000超)
1898年 ファイル:b30.pngファイル:b01.png 30,743
1900年 ファイル:b30.pngファイル:b05.pngファイル:b01.pngファイル:b01.png 37,593
1905年 ファイル:b30.pngファイル:b03.pngファイル:b01.png 34,121
1907年 ファイル:b30.pngファイル:b01.png 31,866(市制施行)
1910年 ファイル:b30.pngファイル:b05.png 35,225
1915年 ファイル:b30.pngファイル:b10.pngファイル:b01.png 41,233
1920年 ファイル:b50.png 49,607
1925年 ファイル:b50.pngファイル:b10.pngファイル:b03.png 63,427(松本村を編入)
1930年 ファイル:b50.pngファイル:b10.pngファイル:b10.pngファイル:b01.pngファイル:b01.png 72,165
1935年 ファイル:b50.pngファイル:b10.pngファイル:b10.pngファイル:b03.png 73,353
1940年 ファイル:b50.pngファイル:b10.pngファイル:b10.pngファイル:b03.png 72,793
1943年 ファイル:b50.pngファイル:b10.pngファイル:b10.pngファイル:b03.pngファイル:b01.png 74,010(中山村神田区を編入)
1945年 ファイル:b50.pngファイル:b10.pngファイル:b10.pngファイル:b05.pngファイル:b01.pngファイル:b01.png 76,532
1950年 ファイル:b50.pngファイル:b30.pngファイル:b05.pngファイル:b01.png 86,005
1954年 ファイル:b01.pngファイル:b50.pngファイル:b30.pngファイル:b10.pngファイル:b05.pngファイル:b03.pngファイル:b01.pngファイル:b30.pngファイル:b10.pngファイル:b01.png 141,734(島内村他12か村を編入)
1955年 ファイル:b01.pngファイル:b50.pngファイル:b30.pngファイル:b10.pngファイル:b05.pngファイル:b03.pngファイル:b01.pngファイル:b30.pngファイル:b10.pngファイル:b05.png 145,228
1960年 ファイル:b01.pngファイル:b50.pngファイル:b30.pngファイル:b10.pngファイル:b05.pngファイル:b03.pngファイル:b01.pngファイル:b30.pngファイル:b10.pngファイル:b05.pngファイル:b03.pngファイル:b01.png 148,709(塩尻市内田、同市崖の湯を編入)
1965年 ファイル:b01.pngファイル:b50.pngファイル:b30.pngファイル:b10.pngファイル:b05.pngファイル:b03.pngファイル:b01.pngファイル:b50.pngファイル:b03.pngファイル:b01.png 154,131
1970年 ファイル:b01.pngファイル:b50.pngファイル:b30.pngファイル:b10.pngファイル:b05.pngファイル:b03.pngファイル:b01.pngファイル:b50.pngファイル:b10.pngファイル:b03.png 162,931
1974年 ファイル:b01.pngファイル:b50.pngファイル:b30.pngファイル:b10.pngファイル:b05.pngファイル:b03.pngファイル:b01.pngファイル:b50.pngファイル:b30.pngファイル:b03.pngファイル:b01.png 183,761(本郷村を編入)
1975年 ファイル:b01.pngファイル:b50.pngファイル:b30.pngファイル:b10.pngファイル:b05.pngファイル:b03.pngファイル:b01.pngファイル:b50.pngファイル:b30.pngファイル:b05.pngファイル:b01.png 185,577
1980年 ファイル:b01.pngファイル:b50.pngファイル:b30.pngファイル:b10.pngファイル:b05.pngファイル:b03.pngファイル:b01.pngファイル:b50.pngファイル:b30.pngファイル:b10.png 190,056
1982年 ファイル:b01.pngファイル:b50.pngファイル:b30.pngファイル:b10.pngファイル:b05.pngファイル:b03.pngファイル:b01.pngファイル:b50.pngファイル:b30.pngファイル:b10.pngファイル:b03.pngファイル:b01.png 194,204(塩尻市洗馬の一部を編入)
1985年 ファイル:b01.pngファイル:b50.pngファイル:b30.pngファイル:b10.pngファイル:b05.pngファイル:b03.pngファイル:b01.pngファイル:b50.pngファイル:b30.pngファイル:b10.pngファイル:b03.pngファイル:b01.png 194,204
1990年 ファイル:b01.pngファイル:b50.pngファイル:b30.pngファイル:b10.pngファイル:b05.pngファイル:b03.pngファイル:b01.pngファイル:b50.pngファイル:b30.pngファイル:b10.pngファイル:b05.pngファイル:b03.pngファイル:b01.png 199,453
1995年 ファイル:b01.pngファイル:b50.pngファイル:b30.pngファイル:b10.pngファイル:b05.pngファイル:b03.pngファイル:b01.pngファイル:b50.pngファイル:b30.pngファイル:b10.pngファイル:b05.pngファイル:b03.pngファイル:b01.pngファイル:b05.pngファイル:b01.pngファイル:b01.png 205,523
2000年 ファイル:b01.pngファイル:b50.pngファイル:b30.pngファイル:b10.pngファイル:b05.pngファイル:b03.pngファイル:b01.pngファイル:b50.pngファイル:b30.pngファイル:b10.pngファイル:b05.pngファイル:b03.pngファイル:b01.pngファイル:b10.png 208,970
2005年 ファイル:b01.pngファイル:b50.pngファイル:b30.pngファイル:b10.pngファイル:b05.pngファイル:b03.pngファイル:b01.pngファイル:b50.pngファイル:b30.pngファイル:b10.pngファイル:b05.pngファイル:b03.pngファイル:b01.pngファイル:b30.png 228,805(梓川村他3か村を編入)


[編集] 歴代首長

代(通算) 氏名 就任年月 退任年月 備考
東筑摩郡松本町長
初代 菅谷(すがのや)司馬 1889年6月 1898年5月 旧・松本藩
2 牧野岸治 1898年6月 1902年7月
3 小里(おり)頼永 1902年7月 1907年4月 旧・松本藩士
松本市長
初代 小里頼永 1907年7月 1937年8月
2 百瀬興政 1937年8月 1939年4月
3 百瀬渡 1940年8月 1944年4月
4 平林盛人 1944年7月 1945年3月
5 平山泰 1945年7月 1946年3月
6 赤羽幾一 1946年6月 1946年12月 GHQにより公職追放
7 筒井直久 1947年4月 1951年4月 初の公選市長
8 松岡文七郎 1951年4月 1957年1月
9 降旗徳弥 1957年3月 1969年3月
10 深沢松美 1969年3月 1976年3月
11 和合正治 1976年3月 1992年3月
12 有賀正 1992年3月 2004年3月
13 菅谷(すげのや)昭 2004年3月 現職

最終更新 2009年11月29日 (日) 10:40 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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