松本知子
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| 松本知子 | ||
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| 出生 | 1958年8月17日(51歳) {{{生地}}} |
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| ホーリーネーム | マハーマーヤ ヤソーダラー |
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| ステージ | 正大師 | |
| 教団での役職 | 郵政省大臣 | |
| 関係した事件 | 薬剤師リンチ殺人事件 | |
| 判決 | 懲役6年 | |
松本 知子(まつもと ともこ、1958年8月17日 - )は、オウム真理教元幹部(出版事業を行っていた株式会社オウム社長)にして、麻原彰晃こと松本智津夫の妻。ホーリーネームはマハーマーヤ、のちにヤソーダラーへ変更となる。旧姓は石井(石井久子とは血縁関係はない)。
[編集] 来歴
千葉県立木更津高等学校卒業後、浪人し、代々木ゼミナールに通う。予備校時代に麻原彰晃と知り合い、大学進学を断念し結婚。その後、麻原がオウム真理教を立ち上げる中で、妻として献身的にサポート。麻原との間に男2人、女4人の子を作る。石井久子、三女アーチャリーに続き3番目に正大師となり、教団内でも重きを成していった。教団が省庁制を採用した後は、郵政省大臣となった。
一連のオウム事件の発覚に伴い、薬剤師リンチ殺人事件で逮捕、起訴される。1998年5月14日の第一審で懲役6年の判決を受け、1999年9月9日の控訴審、2001年6月26日の上告審では懲役6年の判決を受けた。和歌山刑務所にて服役し、2002年10月15日に刑期を満了して出所した。
出所後は教団に戻っておらず、2006年半ばまでは教団との関わりは薄いと見られていた。ところが、2006年7月20日、アーレフ信者の容疑にかかわる家宅捜索の報道[1]を通じて、松本知子と三女を中心として松本家が信者からの資金援助を受けていたことが明らかとなり、加えて、8月に四女が教団との関係を断つためとして松本家を離れて江川紹子に未成年後見人になることを依頼し江川が承諾したことが報じられ[2]、こうしたなか、教団が2002年12月以来松本家に「松本知子作の絵画の使用料」を名目として継続的に資金提供してきたことまで報じられた。
こうした経緯を経て、2006年9月20日、教団が契約に基づいて2002年12月以来松本家に月40万円を絵画の使用料として支払ってきたことを、分裂状態の反代表派に属するアーレフ広報部、上祐派広報部の双方がともに認める見解を発表した[3]。以後の支払いを打ち切るか継続するかについては両派で意見が対立し合意に達しなかったため契約は継続されているという。
なお、上祐史浩は2007年3月発表のインタビュー[4]において、絵画の使用料契約が当初から実質的に生活援助であったことや、その後信者から松本家への資金提供の流れがあったことを認め、また反代表派の信者が松本知子を含む松本家の人々と個人的接触をしてその意向が教団に反映される、といった形で松本家が実質的に教団に影響を与えていると述べ、四女の告発を事実として認めている。
2007年3月20日の報道[5]によると、教団元信者の男性から松本家の子ども4人が住居提供を受け、海外旅行や私立学校への入学などの大きな出費をする一方で収入の裏付けとなる勤労実態がないことから、公安当局は男性が1000万円以上になる生活費を丸抱えしており、男性が隠れ信者の可能性があるとみているという。また、アーレフ広報部が生活支援については否定する一方、以前から報じられている松本知子への絵画使用料については認め、見直しを含めた検討をおこなっているとしていると報じている。
[編集] 脚注
- ^ 『読売新聞』2006年7月20日。
- ^ 『朝日新聞』2006年8月28日など各紙報道。
- ^ 『朝日新聞』2006年9月21日など各紙報道。
- ^ 「アーレフ(旧オウム)分裂!上祐史浩代表独占直撃!」『創』2007年4月号、創編集部。
- ^ 「麻原妻子に年間1500万円 オウムや元信者、生活費など支援」『産経新聞』2007年3月20日。
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最終更新 2009年9月13日 (日) 15:22 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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