松本秀夫

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松本 秀夫(まつもと ひでお、1961年7月22日 - )は、ニッポン放送アナウンサー。スポーツ実況専門の部署であるスポーツ部に所属している。東京都出身。新聞表記はスポーツ中継では「松本秀夫」だが、パーソナリティとしては「松本ひでお」となる。

目次

[編集] 来歴

芝中学校・高等学校(生物部魚班所属)、早稲田大学政治経済学部卒業(1年留年)。1985年にニッポン放送入社。元々スポーツアナウンサー志望で、入社時にロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)の番アナウンサーとしてチームの取材を担当していたのが縁で、松本自身もロッテファンとなった。入社5年後に幼馴染の保母と結婚。


[編集] 実況アナウンサーとして

[編集] プロ野球実況

  • 伝説の号泣実況
    • 前述の通り、入社時にロッテ番を担当したのが縁で千葉ロッテファンとなった松本だが、その最たるハイライトは2005年のパ・リーグプレーオフ・第2ステージ(福岡ソフトバンクホークス対千葉ロッテマリーンズ)の第5戦(ヤフードーム)だった。2勝2敗で迎えたこの試合、千葉ロッテは3-2で福岡ソフトバンクを下し、1974年以来実に31年ぶりとなるリーグ優勝を決めた。最後の打者川崎宗則が左飛に倒れた瞬間、松本は「ロッテ優勝~!!」と感極まって号泣しながら声を張り上げた。松本は、若手時代から長らく低迷期に沈むロッテを見つめ続け、また当時から親交を深めている選手・スタッフが多かったこともあって、優勝の瞬間には様々な思いが去来して思わず涙してしまったのだという。この「号泣実況」は千葉ロッテファンはじめ多くのリスナーに感動を与え、多大な反響を呼んだ。しかし、ロッテが日本一にまで駆け上がった同年の日本シリーズは実況を担当しなかった[4]。ところで、この一件について本人は「プロとして恥ずかしいことをしてしまった」と後悔しているようで、事ある毎に当時の録音が流されると「いや、ホンット勘弁して下さい」と滅入ってしまうこともしばしば。また実況アナウンサーの先輩でもある元ニッポン放送の深澤弘は「こんなの実況じゃねえな」と苦笑交じりに一蹴した。この「号泣実況」、今となっては共演者やスタッフ、リスナーにとっては笑いのネタとなってしまっており、ニッポン放送の携帯サイトでも配信された。

[編集] 競馬実況

スポーツアナウンサーになってから10年ほど、競馬の実況も担当していた。競馬実況デビューは大井競馬場。ナイター競馬トゥインクルレースがスタートした当時、大井競馬場では場内ミニFM放送を行っており、ニッポン放送の関連会社がその制作を請け負っていた関係で、ニッポン放送のアナウンサーがレース実況を担当していた。その後、中央競馬の実況も担当したが、先輩の胡口和雄からは「お前の実況は馬が千鳥足みたいだなぁ」と苦言されたり、リスナーから何枚もの便箋に毛筆書きで実況に対するクレームが来るなど実況の方は安定していなかった。その後、ナイターのシーズンオフの番組を担当するようになってからは年間を通じて平日出勤のため、日曜日に放送がある競馬中継には参加できなくなってしまった。

[編集] サッカー実況

2008年の北京オリンピックに女子サッカーのー実況を行ったことでJリーグ RADIO他競技場のリポーターを務めることになり、2008年のJリーグ最終節・東京ヴェルディ(以下・東京V)×川崎フロンターレ(以下・川崎)のリポーターを担当[5]、東京Vは負ければJ2降格の可能性が、川崎は勝てば優勝の可能性を残した一戦で、他競技場の経過と照らし合わせ勝ち点を計算していた時に、中継メイン会場の札幌から呼びかけられた後、経過を伝えメモ用紙に目を移した瞬間に川崎がゴールを上げるというシーンに遭遇、誰がゴールしたか伝えられず後日の『やぎメール』に「私のサッカー実況はJ2降格です」と反省しきりだった。

[編集] ハンドボール実況

2008年1月30日に国立代々木競技場で行われる男子ハンドボールアジア予選をラジオ初となる中継の実況アナを担当することが、22日に発表された。ラジオでハンドボールの試合実況放送という前例がないため、29日の女子の試合を担当する洗川雄司アナとともに、資料ビデオなどをかき集めて猛特訓をしていた。また、その特訓している模様が2008年1月25日フジテレビスーパーニュースで報道された。実況特訓では、27日に毎年ハンドボールの試合実況を担当している、tvk吉井祥博アナ(訓練までの様子をつづった日記にはYアナと記載されていた)や熊本放送本田史郎アナウンサーが来て(本田はRKK内HP自身のページ内の写真に松本のサポート役のような形で写真に写っている)洗川アナとともに講義を受けるなど、ハンドボールの実況や実際にハンドボールをしたことがある人物を呼ぶなどの特訓も行っていたようだ。

[編集] エピソード

[編集] 番組関連

  • 『松本ひでおのショウアップナイターストライク!』内のコーナー「ひでおのフォークソング図鑑」では、早稲田大学在学時に組んでいたバンドを新保友映アナウンサーを加えて再結成して、「マイウエイスター〜もう一度輝こう」をレコーディングした。レコーディングを行った曲は、mf247でダウンロードすることができた。
  • 『松本ひでおのショウアップナイターネクスト』内のコーナー「ひでおのフォークソング図鑑」で石川みゆきと「ひでお&みゆき」を結成し、mf247「ウタヲウタウ」プロジェクトに参加、「ウタヲウタウ」昭和歌謡バージョンをレコーディングした。ちなみに、「ウタヲウタウ」プロジェクトには、吉田拓郎のバックバンドだったことでも知られるフォークグループのも参加している。また、松本、石川と神田のフォーク酒場・昭和の常連客で昭和バンド結成し、リスナーの作曲した曲に、リスナーからのさまざまなフレーズのアイデアをまとめてつくった「ネクスト」を松本、石川がボーカル、昭和の常連客をバックバンドをしてレコーディングした。ちなみに、「ネクスト」の編曲は昭和の常連客の1人が担当した。
  • テリーとうえちゃんのってけラジオ』の番組内で松本が音声を加工して演じていた情報屋ゲンさんというキャラクターが居て、同番組内で松本によるナイター直前情報のコーナーの後に、野球界の裏情報に詳しい謎の人物という設定で出演した。松本であると公表されていなかったが、リスナーにはバレていた。しだいに裏情報よりもテリー伊藤や、うえやなぎまさひこによるゲンさんを弄るトークのほうが盛り上がっていった。ゲンさん目撃情報が募集され、それにテリー伊藤の妄想が合わさり様々な後付けの設定が造られた。ついにはリスナーらの手によってゲンさんのイメージソング『愛しき人よ』がつくられ、さらに同番組にゲストとして出演していた冠二郎がこの歌を気に入り、シングルCDとして発売されるに至った。この曲はオリコンのシングルチャート63位に入った。2005年からの『松本ひでおのショウアップナイターストライク!』は、ゲンさんに似たコンセプトの「情報屋のヤマさん」なる人物が登場しているが、こちらの正体は松本ではなく誰であるかは不明。一説にはスポーツ新聞の記者であるといわれている。2008年3月25日には『テリー伊藤のってけラジオ』で1回限りの復活をしている。
  • 佐々木主浩とは取材を通じて公私共に仲良くなり、佐々木は松本の出演する番組へのお祝いのメッセージをよせたり、電話出演をすることも多い。1997年1998年オフには『佐々木主浩のスポーツキング』という番組を2人で担当。この番組内で、佐々木から「カツラ疑惑」が取り沙汰されたり、1998年シーズン開幕前、酒の席で「横浜が優勝する訳ねぇだろ」と発言し、この年横浜は優勝。シーズンオフに高所恐怖症の松本に対し、八景島シーパラダイスのブルーフォールに乗せる罰ゲームが行われた。その後、2001年4月より3ヶ月強の間、当時シアトル・マリナーズに所属していた佐々木を追いかけるためアメリカに出張。その年の『ラジオ・チャリティー・ミュージックソン』では佐々木がメインパーソナリティ、松本がアシスタントを務めた。
  • 鶴光と共演するときは必ずと言っていいほど、謎かけをやれと言われる。例として、2005年2月聴取率調査週間時に『松本ひでおと森永卓郎のショウアップナイターストライク!』を担当した際、森永と鶴光に「なんのひねりもない」と突っ込まれていた。
  • 2007年2月18日に行われた東京マラソンに挑戦し、完走。ゴール直後のインタビューで「母から小さいことをコツコツ積み重ねると、大きなことが出来るといわれて・・・」と涙ながらに語った。もとは、2006年11月に行われた笑福亭鶴光との特番での鶴光の罰ゲームだったが、松村邦洋の松本のものまねにより代わりに走ることになった。松本アナはこれ以降マラソンに目覚め、2008年2月17日の東京マラソン2008にも参加し、5時間31分15秒で完走。前年より成績が下がってしまい、松本アナは「練習不足です」と恐縮していた。

[編集] 実況関連

  • 過去に大阪ドームの巨人主催の試合にて、他局の中継リポーターが松本が実況するニッポン放送の中継のマイクへ、誤って呼びかけられるという珍事を経験した。
  • ある試合で実況をしていた際、他球場で西武ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)が勝利した旨の速報が入り、先発の松坂大輔(現ボストン・レッドソックス)がヒーローインタビューで語った内容も併せて伝えられた。ところが、本社からの松坂のコメント原稿は本来「(投球内容が)要所要所で良かった」とすべきところを、どういうわけか「よいしょよいしょで良かった」と誤植した状態で送信されてしまった。これに眼を通した松本は「『よいしょよいしょ』ってこれ、おかしくないですか?」と言ったまま笑いが止まらなくなってしまい、解説の田尾安志にフォローを仰いだことがある。

[編集] その他


[編集] 人物

  • ヨイショ癖がある。ニッポン放送ショウアップナイターではシーズン中に何度か、読売ジャイアンツオーナーの滝鼻卓雄を特別ゲストに迎えることがあるが、某日、滝鼻を前に「背番号『1242』、『TAKUO』のネーム刺繍が入ったジャイアンツのユニフォーム(24000円)を買いました」と発言したことがある。ただしヨイショであるらしく、真偽の程は不明である。
  • ニックネームは「ヤギ」。入社当時、ニッポン放送でプロ野球関連のコメンテーターを務めていた当時のパシフィック・リーグ広報部長・伊東一雄(のちのパンチョ伊東)に「君はリチャード・ギアに似ている」と言われ、パンチョからは「リチャード」と呼ばれていた。ところが『鶴光の噂のゴールデンアワー』に出演し、番組内で『ニッポン放送ショウアップナイター』の告知をした際笑福亭鶴光に「自分では誰に似ていると思っている?」と聞かれたのに対し、松本が「リチャード・ギアに似ているといわれます」と答えた途端に鶴光らに爆笑され、「リチャード・ギアに失礼や!お前はヤギや!!」と命名され、さらにアシスタントの田中美和子からも「メエメエ」と呼ばれ、この影響から挙げ句にはリスナーからも「ヤギ」と呼ばれるようになってしまった。しかし松本本人はまんざらでもないようで、『ショウアップナイターニュース』(→『ショウアップナイターストライク!』→『ショウアップナイターネクスト』)の番組用メールアドレスを「yagi@1242.com」としたり、ニッポン放送のWebサイトで著している自身のコラムにも「やぎメール」とタイトルを付けるなどしている。
  • 祖父が魚河岸で仕事をしていたことがあり、本人自身も中学・高校生時代は生物部の「魚班」に所属[6]。そのためか釣りが趣味で、『ショウアップナイターストライク!』の番組内に、自分の釣りのコーナーを持っている。これを仕事にも生かし、釣りの話をきっかけにして釣り好きのプロ野球選手を中心に顔を憶えてもらい、親交を深めてプロ野球の取材に役立てていった。そのほか、魚がらみのエピソードでは、『高嶋ひでたけのお早よう!中年探偵団』のレポーターを務めていた当時、ブラジルアマゾンの大ナマズが放し飼いになったプールで泳いだことがあった[6]
  • ショウアップナイターニュースで共演した森永卓郎と松本の二人だけが知っている意味での「ちびっこバッター」という言葉があるらしく、松本曰く、「おお、同志って感じですよね」と森永に語っていた。
  • 松村邦洋ものまねされており、高田文夫のラジオビバリー昼ズで公表されている。佐々木主浩に「世界の大魔神!」とヨイショしながらバイトのスタッフに「FAX取って来い!」と怒鳴りつける「裏表のある松本秀夫」という内容。
  • 普段はものすごく腰が低いが酒癖が悪く、酔うと上司・部下を問わず説教をする。佐々木主浩ら共演者を相手に管を巻いたこともある。時には大喧嘩にまで発展することもあり、酔いが冷めた後で平謝りすることが多々ある。
  • しいたけが大嫌いであり、毎年ナイターオフ番組中の半年に一度は各時期の共演者の石川みゆき森永卓郎田尾安志新保友映アナウンサー、飯田浩司アナウンサーに必ずネタにされる。

[編集] 失敗談

自他共に認める「おっちょこちょい」「酒癖の悪さ」が災いして、失敗談には事欠かない。

[編集] 実況編

  • プロ野球公式戦の実況デビューとなった1987年8月9日の広島市民球場・広島対大洋戦で、前の打席まで右打席に入っていた選手が左打席に入ったのを疑問に感じ(松本はこの選手がスイッチヒッターだというのが分からず)、解説の森中千香良に「どうしたんですかね?」と尋ねたところ、森中に後頭部を引っ叩かれた。森中はその直後「ええ、彼はスイッチヒッターですからね。」と冷静に解説。そして松本は「しまった!」と思うと同時に気が動転して試合終了まで実況はボロボロだった。
  • 大井競馬場のミニFMで競馬実況をしていた頃、レース実況でゴールした直後、2着馬の名前をど忘れしてしまい、「2着は…2着は…」と思い出そうとして数秒間経った後、思わず「2着は…アレだ!」と言ってしまい、「“あれ”って馬がいるのかよ!!」とスタッフから大目玉をくらった。
  • 2007年の大リーグオールスターゲーム実況のためサンフランシスコへ向かっていた飛行機の中で爆睡したところ、空気の乾燥した機内でマスクを着けずに眠ってしまったため声が出なくなってしった。アメリカでは薬を購入するのに処方箋が必要なため医者に行くも、英語がうまく伝わらず、なぜかレントゲンを撮られて250ドルの診察料を支払わされた。しかもドラッグストアで買ったスプレーがせき止めではなくいびき止めだったりとトラブル続きで、結局、現地到着から3日間、喉の回復率50%の状態で実況しなくてはならなかった。皮肉な事に、この日はイチローがオールスター史上初のランニングホームランを達成するという世紀の試合で、この歴史的な瞬間にガラガラ声で実況しなくてはならなかった事を非常に悔やんでいた。
  • 2008年春にも、風邪をひいて広島市民球場での実況担当ができなくなり、胡口和雄が2試合連続で実況した(野球の実況はのどに負担がかかるため、ベテランアナウンサーの2試合連続実況は極めて異例)。このことはニッポン放送ショウアップナイタープロ野球珍プレー大賞でクイズになったが、江本孟紀が答えを言ってしまったため、新たな説を募集し、「手こぎ船で沖へ釣りに出たが、波が高くなり戻れず、その日広島へ向かう予定が間に合わなかった」「広島のブラウン監督の抗議によって差し替えられた」「マラソンで広島に向かったため間に合わなかった」が採用された。ちなみに、松本は過去にも喉の不調で実況に穴をあけており、この時は福永一茂が代理実況を務めた。
  • 2008年の北京オリンピックに、ジャパンコンソーシアムラジオアナウンススタッフの1人として参加。女子サッカー、女子バドミントン、ソフトボール、野球などの種目を実況。野球では日本戦のほか、決勝のキューバ韓国戦の実況を担当。また、競技実況の他にディレクター業務も行ったが、女子サッカーでは2ゴール挙げた選手にハットトリックと間違って実況者に伝えてしまったり、野球の決勝では球審の判定に憤慨してしまい感情を込めた実況をして聴取者から放送していたNHKにクレームが入っていたことや隣の放送ブースから注意を受けたことを告白している。

[編集] 大魔神編

  • メジャー時代の大魔神こと佐々木主浩を追ってアメリカへ出張していた2001年シーズンの前半、佐々木とは様々なエピソードが繰り広げられた。
    • 防御率に触れられる事を嫌う佐々木(これは防御率などの数字に関する話をした直後の佐々木は必ず打たれるというジンクスがあるため)に対し、思い切り防御率の話題を振ってしまった。その話をした次の試合で佐々木は大乱調であり、佐々木より「その話はしないでって言ったでしょ!!」と怒られた。
    • 佐々木が大好物であり、佐々木の大切な人がわざわざシアトルに持ってきてくれた日本酒久保田の碧寿」を、佐々木に「これだけは飲まないでくれ」と言われたのを忘れて勝手に全部飲んでしまい、翌日こっ酷く叱られた。
    • 局の生ワイド番組でアメリカから電話レポートをするはずが、出番の前にを飲み過ぎ泥酔し、放送に出られない状態となり、佐々木が代わりにレポートに出る羽目になった。しかも1回限りではなく、滞在中数回この出来事が繰り返された。

[編集] パーソナル編

  • 『松本ひでおと石川みゆきのヨッ!お疲れさん』の番組開始間もない頃、週末に行われたスタッフとの飲み会の席での酒癖が原因で、翌週月曜日にスタッフから総すかんをくらい、放送中しきりにスタッフに謝っていたことがあった[7]
  • 忘れ癖が激しく、財布を何度も落としている。北京オリンピックの実況要員として派遣された際も、現地北京で財布を落としたという。また最近では、老眼が始まったためにかけはじめたメガネや携帯電話をどこかに置き忘れたりと、財布の他にもいろいろと忘れ物が絶えない。
  • 趣味の釣りに行った時に急に便意を催し、海に飛び込んで処理しようとしたが、携帯電話を持ったまま飛び込んでしまったために携帯が水没したということがあった[8]
  • ショウアップナイターの解説者だった森中千香良には新人時代から非常に世話になっており、松本がまだマイカーを持っていない頃、森中が所有していた外国車「ジャガー」(実際には森中名義の車ではなく森中も借りている車だった)を『モリチュウレンタカー』と称して乗り回していた。この車は基本的に森中本人が使わなければいつ使ってもOKで、ガソリンを満タンにして返す事がルールだった。松本はレギュラーガソリンを満タンにして返したのだが、後にこの車はハイオク仕様車だった事を知り、青ざめる。
  • 土橋正幸と会う約束を忘れて取材に行ってしまった。土橋は気にせず別の日を設定するが、それをまた忘れて土橋と会う約束を二度に渡ってすっぽかし、とうとう土橋を大激怒させてしまった。電話をしても出てくれない土橋に、松本は毎朝散歩をする土橋を待ち受けて連日謝りに行ったが取り合ってもらえず、4日目にして土橋の妻からの「もう許してあげたら…」という説得があってようやく許してもらえた。

[編集] 現在の担当番組

[編集] 野球シーズンオフ時

[編集] 野球シーズン時

[編集] 過去の担当番組

[編集] 関連人物

ニッポン放送・フジテレビ関西テレビ野球解説者東北楽天ゴールデンイーグルス前監督。松本と釣り仲間
千葉ロッテマリーンズ内野手。松本と釣り仲間
TBS野球解説者。元横浜ベイスターズ、元シアトル・マリナーズ投手
東京ヤクルトスワローズ、現埼玉西武ライオンズ投手。番組で何度も共演し、仲もいい
経済アナリスト。かつてショウアップナイターニュースで半年間レギュラー共演し名コンビと言われたが、2005年2月以来共演がない
ニッポン放送元野球解説者。デビュー実況日の野球解説者で、野球について松本アナウンサー本人にさまざまことを教えてくれた恩人

以下はニッポン放送アナウンサー


[編集] 著書

  • 『プロ野球 実況できなかったスゴイ話』(ぜんにち出版)

[編集] 外部リンク


[編集] 脚注

  1. ^ ちなみに、この日実況を担当した彼以外の若手アナウンサーは、ABCからは松原宏樹アナ、東海ラジオからは北山靖アナ、RCCからは橋本(裕之か雅明かは不明)アナの3人だった。
  2. ^ この日の松本は第2予備カードの中継班としてスタンバイしていたため、本来の実況担当ではなかった。しかし、この日の「ショウアップナイター」のメインカードだったナゴヤ球場での中日対巨人戦で、プロ初先発だったルーキーの近藤真一ノーヒットノーランを達成して試合が2時間足らずで終了。余った時間は予備カードを中継する事になったのだが、下関で行われていた第1予備カードのヤクルト対阪神戦が雨のためノーゲームとなってしまい、急遽、第2予備カードである広島市民球場での広島対大洋戦を中継する事になり、試合途中からの実況デビューとなった。
  3. ^ 実は2007年のシーズンだけ、その日の中継の実況担当者がショウアップナイタープレイボールの進行役を兼ねるシーズンがあった(ニッポン放送制作日のみ)。
  4. ^ この号泣が「冷静さを欠いた」と査定されために、ロッテが日本一を決める可能性がある第4戦以降の実況担当から外されてしまったとも言われるが、松本は後日「リーグ優勝決定後福岡の街で騒ぎすぎて喉を潰し、第1戦の実況を胡口和雄アナに交代してもらった」と釈明している。
  5. ^ 松本が本格的なサッカー実況を担当するのはJリーグ発足前以来のこと(Jリーグ草創期も資料用録音を担当)。
  6. ^ 別冊ラジオパラダイス「DJ名鑑」(1987年刊)より
  7. ^ 番組が始まっても、松本は総すかんの原因が分からず、CMに入ってから理由を教えられ、以後恐縮しながら放送中にもかかわらずしきりにスタッフに謝っていた。この事件は、ニッポン放送の各ワイド番組の中でも、しばらくの間笑い話として話題にのぼっていた。
  8. ^ オールナイトニッポン40周年記念! 笑福亭鶴光と松本ひでおの深夜放送ヒット電話リクエストより

最終更新 2009年11月27日 (金) 11:50 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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