松村文雄

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松村 文雄(まつむら ふみお、1948年1月18日 - )は、特撮テレビドラマ作品の撮影技師東京都出身。

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[編集] 経歴

東京都立羽田工業高等学校在学中から映画界入りを志し、カメラマンの仕事に興味を持つ。

卒業後、当初はPR映画会社が出した新聞の三行広告を読んだ事がきっかけで、業界入り。その後ニッサンプロを経てフリーカメラマンとなり、国際放映が制作していた『ワイルド7』で初のテレビドラマの撮影助手を務める。その後も『宇宙鉄人キョーダイン』、『透明ドリちゃん』、『Gメン'75』などで撮影助手を歴任。『仮面ライダー (スカイライダー) 』で撮影監督としてデビューした。

その後は宇宙刑事シリーズなどを経て『星雲仮面マシンマン』で初のメインカメラマンに就任する。特撮作品を仕事の中心としながらも、『あぶない刑事』、『ホテル』シリーズ、2時間ドラマやVシネマ作品など一般作品も多く手がけるようになる。制作会社では東映近藤照男プロダクションとの繋がりが深い。

現在はスーパー戦隊シリーズをメインで担当しつつも、仮面ライダーシリーズの『仮面ライダー電王』劇場版や『仮面ライダーディケイド』『仮面ライダーW』テレビシリーズを手掛けるなどシリーズを問わず幅広く活躍している。

[編集] エピソード

  • 特撮には全く興味がないとはっきり断言している。
  • 仮面ライダー (スカイライダー) 』で本格的に撮影監督を任されるようになり次回作の『仮面ライダースーパー1』にも引き続き参加するが、同時期に東映東京撮影所で制作していたドラマが打ち切りになったため、そちらのスタッフが大挙してやってきたためフリーの契約カメラマンであった松村は外されることになったという。
  • その後吉川進プロデューサーより『宇宙刑事ギャバン』の撮影チーフ助手の誘いを受けるが、当初は依頼を固辞したという。「ちゃんと後半に撮影監督スタッフとして働けるなら」と条件を出し番組に参加した。実際後半には撮影監督として番組を支えている。
  • 『宇宙刑事ギャバン』で初めて出会った小林義明監督にはよく可愛がってもらったという。もともとは小林に佐伯孚治監督が「よく頑張るカメラマンがいる」と言ったのがきっかけであったといい、「本当に人の縁というものは大事」と感謝したとの事。
  • 吉川プロデューサーから『仮面ライダーBLACK』の担当依頼を受けた際、ちょうど松村は『あぶない刑事』を担当しており、そちらの現場が思いのほか楽しかったため丁重に断りを入れた。が、「お前がやらないなら一体誰がやるんだ!」と吉川に怒鳴られたとのこと。結果的に松村は、ライダーシリーズ初参加の小林義明が監督すると聞かされ新しいものが作れると予感したこともあり、『あぶない刑事』を途中降板して『BLACK』のチーフ撮影監督に就任している。
  • アクション演出では第一人者だった金田治が『特捜ロボジャンパーソン』で本編演出デビューを果たしたとき、金田より直々に撮影監督として指名を受けている。金田とは、宇宙刑事シリーズなどで親交が深かった。その後『劇場版 さらば仮面ライダー電王 ファイナル・カウントダウン』で、およそ15年ぶりに監督とカメラマンとしてコンビを組んだ。
  • アクション撮影の迫力は松村独特の味があり、多くのファンを獲得している。現東映プロデューサー・白倉伸一郎は、東映入社以前より松村の個人的なファンであったという。
  • 白倉は『超光戦士シャンゼリオン』のメイン撮影技師を松村に依頼し、松村も了承したが同時期に2時間ドラマの仕事が重なり、ドラマ制作会社の近藤照男プロダクションも許可しなかったため、松村の参加は第5話からになった。これについて白倉を裏切ってしまったと松村は長年悔いることになったため、後年白倉から『仮面ライダーアギト』の依頼があったとき「戦隊を続けるほうがラクだと思うが、何が何でも『アギト』に参加する」と決意したという。当時松村は戦隊シリーズに参加していたがそちらを途中降板してまで『アギト』に関わった。結果的には2年間近く仕事が暇になり生活が苦しくなったそうだが「やっと(白倉に対する)義理を果たした」とその結果には納得したという。
  • 役者陣、スタッフが皆口を揃えて、松村はとても厳格なカメラマンと評している。ある役者は、とても早口な松村のべらんめえ口調を、「マシンガンボイス」と喩えた。
  • 獣拳戦隊ゲキレンジャー』に主演した鈴木裕樹によると、松村と一年間いっしょに仕事をしたが、結局ただの一度も褒められることなく撮影を終了したという。
  • 同じく『ゲキレンジャー』に出演した荒木宏文は、クランクイン直後、松村に「お前はカメラを通すと綺麗に見えるよな」と一応「褒め言葉」らしきものを貰ったが、結果的にそれが最初で最後の「褒め言葉」であったとのこと。
  • 厳しい面ばかりがクローズアップされがちだが、『美少女戦士セーラームーン』は出演者に女性が多かったせいか、かなりソフトな態度でキャストに接していたという。しかし松村にとってはかなり苦痛の伴う現場であったようで後年そのときの苦労を吐露している。東映・丸山真哉プロデューサーいわく、「この現場の松村さんは、僕らが普段知っている松村さんじゃなかった」。
  • 役者に対して深い愛を持って臨んでいるという役者からの声もある。『救急戦隊ゴーゴーファイブ』に出演していた西岡竜一朗は日々の撮影で松村に怒鳴られていたが、ある日雨でびしょ濡れになる、というシーンを撮っていたとき、監督のカットの声が掛かったあと松村がスタッフに「オイ、何やってんだ、早くタオルを持って来いよ!」と言ってくれたという想い出をかつてインタビューにて語っていた。
  • 近年インタビューにて「自分が大学とか出て会社に所属のカメラマンとかなら、何か守るものとか、立場とかを考えるんだろうけど、俺は高卒でフリーだし、何も守るものもないし、ココまで来たら怖いものなんて何もない」と心境を吐露しており、60歳を過ぎてからは日々の仕事を「これが最後」と思いこなしているとのこと。監督やプロデューサーからもし引退を勧告されたら、潔く現場を去る決意も出来ているという。

[編集] 主な撮影作品

[編集] テレビ

[編集] 映画

[編集] オリジナルビデオ

  • ブラックプリンセス 地獄の天使(1990年、東映ビデオ)
  • 悪人専用(1990年、東映ビデオ)
  • プリズナーオブ 追跡の48時間(1991年、東映ビデオ)
  • BATTLE & BATTLE クローンカプセル -CLONE CAPSULE-(1992年、まじかるふぇいす)※監督は國米修市。仕事仲間である國米の依頼を受けて松村はノーギャラでカメラを担当したという。
  • 大予言 復活の巨神(1992年、バンダイビジュアル)
  • 一発逆転!爆走トラッカー軍団(1992年、ケイエスエス)
    • 爆走トラッカー軍団II 暴走族死闘篇(1992年、ケイエスエス)
    • 爆走トラッカー軍団III 紅薔薇軍団参上!(1993年、ケイエスエス)
  • ザ・格闘王(1994年、東映ビデオ)
    • ザ・格闘王II(1994年、東映ビデオ)
  • ビーロボカブタック クリスマス大決戦!!(1997年、東映ビデオ)
  • テツワン探偵ロボタック&カブタック 不思議の国の大冒険(1998年、東映ビデオ)
  • 未来戦隊タイムレンジャー VS ゴーゴーファイブ(2000年、東映・東映AG・東映ビデオ)
  • 百獣戦隊ガオレンジャー VS スーパー戦隊(2001年、東映・東映AG・東映ビデオ)
  • 魔法戦隊マジレンジャー VS デカレンジャー(2006年、東映・東映AG・東映ビデオ)
  • 轟轟戦隊ボウケンジャー VS スーパー戦隊(2007年、東映・東映AG・東映ビデオ)
  • 超忍者隊イナズマ!(2006年)
  • 超忍者隊イナズマ!SPARK(2007年)

[編集] 関連項目

最終更新 2009年11月19日 (木) 12:41 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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