松村邦洋

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 松村 邦洋
本名 松村 邦洋
(まつむら くにひろ)
ニックネーム まっちゃん
バウバウ
生年月日 1967年8月11日(42歳)
出身地 日本山口県熊毛郡田布施町
血液型 A型
最終学歴 九州産業大学
事務所 太田プロダクション
活動時期 1990年 -
配偶者 未婚(離婚歴あり)
公式サイト 太田プロダクション公式ホームページ 内
松村邦洋の公式プロフィール
受賞歴
1992年:第30回ゴールデン・アロー賞芸能新人賞
1994年:第32回ゴールデン・アロー賞芸能賞
  

松村 邦洋(まつむら くにひろ、1967年8月11日 - )は、日本お笑いタレント。所属事務所太田プロダクション。愛称は「まっちゃん」、「バウバウ」。山口県熊毛郡田布施町出身。血液型A型、離婚歴がある。

目次

[編集] 経歴・人物

身長は164cmと小柄であり、上京した頃の体重は75kgだったが、2006年5月当時は100kg台になっており(一時140kgを超えたこともあった)、また、同年8月17日スーパーニュース内での放送で体重は99.2kgまで痩せた(体重測定は8月11日)。これには掛布雅之との男の約束もあった。2009年リタイヤした東京マラソンの出走直前のコメントでは現体重が101.4kgであると述べている。伊集院光石塚英彦ホンジャマカ)と共にデブタレント(デブタレ)の「御三家」、さらにパパイヤ鈴木(もしくは内山信二)を加えて「四天王」と呼ばれている。また、デブタレント界の間で松村は「キング」と呼ばれているが、高木ブーは神と崇められている[要出典]

生家は農家だが、もともとは江戸時代から商取引をしており、一方で戦前までは質屋をしていた。そのため、渡辺秀詮(絵師)の絵が借金のカタとして実家にあり、『開運!なんでも鑑定団』で本物と鑑定された。

3人兄弟の長男で、父親が野球好きということもあり、次男は阪神タイガース往年の大投手・村山実から取った“みのる”、三男はその村山が関西大学時代にバッテリーを組んでいた上田利治(元阪急・オリックス日本ハム監督)から取った“としはる”と命名されたが、“邦洋”の名前は本人曰く「父親が勤めていた会社の上司に無理矢理命名させられた」とのこと。

山口県立田布施農業高等学校時代から地元山口や広島のラジオに出演。元・参議院議員柏村武昭がやっていたRCCラジオサテライトNo.1』では、アルバイトADをしていたが、得意のものまねを披露し人気者となり番組レギュラーとなった。有名人となり地元の暴走族にも引き摺りまわされ、ものまねをやらされた挙句「次は4分にまとめて来い」と言われた。高校を4年かけて卒業後、九州産業大学に進学。この時に住んでいたアパートの隣には大神いずみの実家があった。

テレビ西日本でアルバイトをしていた際、その特異なキャラクターとものまね能力(特にビートたけし)を、『FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島』の中継で同局に訪れていた片岡鶴太郎に見出され、大学を中退し上京。後に売れてからのものまねについてはあまり尖ったデフォルメもなく、いわば「本人の前でできる」独特の優しさが出た芸であるが、この時代の『スーパージョッキー』初登場時にたけしのものまねを本人の前でした際には、力みすぎて「目が死んでるじゃねえかよ」とたけしにツッコミを入れられている。しかし近年、たけしのものまねはますます洗練され、たけしのネタの真似ではなく、何気ない日常の会話も完全に模写している。たけし本人ですら、驚き喜ぶほど。

フジテレビの『オールスター・ものまね王座決定戦』の常連(1990年初出場)として、ビートたけしや掛布雅之を真似た絶妙の演技で茶の間を沸かせる。それまで誰もやった事のないものまね芸は、当時大きな驚きをもって迎えられた。(但し彼のものまねが審査に評価される事は意外に少なく、王座時代は通算でも僅かに2勝しかしていない)

「バウバウ」と言って手を叩くギャグでブレイクする。
このギャグはもともと構成作家高田文夫のものまね。初登場は第8回ビートたけしのお笑いウルトラクイズの「冷凍室ダジャレ→ものまね合戦」。松村が「北野ファンクラブ」のものまねをした際、18番のたけしのものまねに続けて間髪いれずに「バッバッ!高田文夫です!バッバッ!バアッバッバッ」と演じた。続けて「片岡鶴太郎の」「ジミー大西の」「中松義郎の」と披露していずれも高田文夫で締めくくり、とうとうゲームはそのまま終了してしまった。シンプルな割に強烈なインパクトが根付き会場は大ウケ、以来持ちネタとなった。(総集編で「番組(お笑いウルトラクイズ)から生まれたギャグ」と明言している)

また、ビートたけしのお笑いウルトラクイズの常連となり、ダチョウ倶楽部出川哲郎らとともに「リアクション芸人」の代表挌となる。

1992年より、松本明子(当時フジものまね王座常連)とともに、日本テレビ系の『進め!電波少年』で司会を務め、「アポ無し取材」で人気を博したが、同時に物議を醸すことになった。この番組の企画で一度結婚してすぐに離婚させられたことにより「バツイチ」である(『マジカル頭脳パワー!!』でクイズのネタにもなった)。

1992年に第30回ゴールデン・アロー賞芸能新人賞を、1994年には第32回ゴールデン・アロー賞芸能賞を受賞。

1993年から1999年パーソナリティをつとめていた『松村邦洋のオールナイトニッポン』(ニッポン放送系)では、テレビとは違う松村の一面が見られた。一旦はパーソナリティを降板したものの、3ヶ月後に復帰。トータルで約6年に渡る長寿番組であったが、1999年4月より「LF+R」発足により、同年3月オールナイトニッポン』終了とともに番組が終了した。松村曰く、当時のニッポン放送の編成局に「新レーベルに松村はふさわしくない」と言われたらしいが、『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』には引き続き出演している。

露出が増えてしばらくの間は、毎年のように「来年消えそうなタレント」の上位に挙げられていたが、現在も活躍中である。最近は東海地区の仕事も多い。またファッション雑誌『アンアン』の「抱かれたくない男性タレント」でも、一時期は出川哲朗と1位を競っていたが、若手芸人の進出により順位は下降している。

ゲストとしても多数のバラエティー番組に出演し、関根勤勝俣州和、出川哲朗同様、共演者を選ばない名バイプレイヤーとして活躍しており、和田アキ子ビートたけしタモリ明石家さんま所ジョージウッチャンナンチャンダウンタウンとんねるず島田紳助などの数多くの芸能人の人脈を持っている。

現在も物真似のレパートリーは増え続けている。2006年は貴乃花親方小泉純一郎のモノマネに力を入れており、特に前者はあまりの面白さに「反則ネタ」といわれることもしばしばである。努力を怠らないその芸に対する真摯、謙虚な姿勢は現在も同業者、視聴者から尊敬される一面である。

2006年8月11日『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』で体重が97.7kgになったと公表。

2007年1月21日には『笑点』に初めて出演し、自身のデビュー後の芸能生活を中島みゆきの『地上の星』に乗せ『プロジェクトX』風にコントにした。

結婚願望が強くなり、テレビ番組で結婚を前提にした交際ができる女性を募集し、数名の応募があった。周囲も今回結婚相手が決まるかもしれないと応援ムード一色だったが、結局松村は芸能人のプライドからか誰一人として自分から選ばずに、チャンスを逃してしまった。

心筋梗塞で入院中にも芸に対する意欲は衰えず、退院後の記者会見で、松村は入院中に考えた新ネタとして麻生太郎のモノマネを披露した。

進め!電波少年』の海外ロケで、鬼ディレクターと共に「砂漠で立ち往生して死にかけた…。」というエピソードは 当人の中でも“鉄板ネタ”扱いらしく、2009年に放送されたバラエティー番組だけでも 『ナンボDEなんぼ』、『草野キッド』、『やりすぎコージー』、そしてインターネットTVの『電波少年的懸賞生活2009』 と何度も披露されている。 中でも『やりすぎコージー』の「20周年芸人大集合」の回ではVTRが流され、 その時の状況がより詳しく伝えられ、『電波少年的懸賞生活2009』では、 それまで伏せていた鬼ディレクターの名前も、当時の土屋プロデューサーも同席しているという勢いからか公表されていた。

[編集] 松村と野球

大変な野球好きである。

  • 子供の頃、最初は読売ジャイアンツのファンだったが、父親の影響により阪神タイガースファンに転向し今に至る。
  • 中学時代、元プロ野球投手の河本育之と同級生で、バッテリーを組んでいたこともある。
  • 高校時代は軟式野球部でキャッチャーを務めるが、1試合で27盗塁を許した経験を持つ弱肩。その事については、「デブ=キャッチャーという固定観念で決められた」「始めは唯一座って、楽できるポジションだと思っていた。それは大きな間違いだった」と語っている。
  • 3年間で放ったヒットは3本で、うち2本は内野安打だった。
  • 阪神タイガースについては球団広報誌の月刊タイガースを年間購読するほどで、現役選手は勿論、古いOB選手や2軍選手の動向に至るまで大変詳しく、川藤幸三達川光男ら本職の野球評論家からの評価も高い。
    ただし、達川光男とラジオの野球中継で共演すると、達川が「自分の物まねをする松村の物まね」を始めるため、リスナーは2人の区別がつかなくなる。
  • 芸能界では、ダンカンと並ぶ熱烈なタイガースファンで、ダンカン率いるタイガース応援集団「中野猛虎会」の副会長でもある。
  • デイリースポーツ』(同紙の特命応援団長に任命されている)で連載を持っている。
    また、過去に『週刊ベースボール』誌でもカラーグラビア見開きの連載を持っており、そこでは自ら選手の絵も描いていた。(「エピソード」の項も参照)
  • 毎年、阪神タイガースに入団した選手全員に、お祝いとして花束を贈っている。
  • 阪神以外の球団の試合にも駆けつけることが多くあり、北海道日本ハムファイターズの二軍本拠地・ファイターズスタジアム千葉県鎌ケ谷市)には特に足を運んで、若い選手との交流を深めている。
  • 地元・山口に里帰りすると広島の二軍本拠地・由宇球場にも足を運んでいる。
  • 津田恒実を大変に尊敬しており、正月に帰省した際には墓参を欠かさない。
    また、津田の息子が高校野球でプレーしていることを知った際には、「もし彼がドラフトで広島に入ったら、僕はカープファンになります」とも話していた。
  • 高校時代、毎週週末に通った広島のローカル番組に、近年出演する時は「阪神の次はカープ(ファン)なんです」と強調している。
  • 現在、中山秀征率いる草野球チームに所属している。また、ダチョウ倶楽部上島竜兵が率いる「竜兵会」の草野球にも参加している。
  • 阪神以外の球団、また高校野球に関する知識も相当のものである。
  • 福井テレビ(フジテレビ系)のふくい浪漫 い〜ざぁええDay という番組の企画にて、川藤幸三のお兄さん川藤龍之輔に初対面している。また同番組にて、中学硬式野球チームの若狭ボーイズの練習に参加して、上手いバッティングを披露した。そして、若狭ボーイズの監督で元プロ野球選手の乗替寿好にも初対面した。
  • 掛布雅之の影響も大きく、ダイエットを決意したのも「松っちゃん、いいかげん痩せようよ。」という掛布の一言だった。

[編集] エピソード

  • ものまねに関しては「似てる似てないは関係なく、その人の事を好きになる事が大事」という哲学を持っている。

ものまねをする相手にはお中元お歳暮を贈っている。

  • 学生時代、原付免許の試験に8回も落ちたことがある。(クイズ番組でも取り上げられている)
  • 高校でも赤点を8回も取ってしまい1年留年しているが、留年した生徒は学校創立以来初めてだったと言う。
  • 高田文夫の勧めで、阪神の歴代選手を題材にした絵画製作にも力を注いでいる。デイリースポーツや週刊ベースボールではコラムとともに紹介され、2000年には1冊の本にまとめた画集を、2004年にはカレンダーを発表している。どの絵も躍動感溢れるタッチが特徴。
  • 野球界に限らず、相撲界にも人脈を持つ。特に貴闘力(現・大嶽親方)とはお互いデビューした時期が同じであり、その当時からの親友である。また彼の物まねもしている。
    若貴ブームに前後して、松村には独自の相撲ルートがあり、何か事件があるとすぐに力士の携帯に連絡が取れる状態にあった。当時マスコミはノーマークだったが、二子山部屋の力士との間の結びつきは強く、松村が頼んでもいないのにどんどん力士から電話がかかり、まず松村に情報が第一に入ってきていたことから、松村は「二子山ホットライン」と自称していた。
  • 1970〜80年代のアイドルについても詳しい。
  • 日本史の知識も豊富であり、身近な人をマイナーな人物に例えて困惑させることもしばしばである。また日本史好きが興じて、NHKの「大河ドラマ」も子供の頃から欠かさず見ている。最も好きなのは2000年に放送された『葵徳川三代』で、この番組での津川雅彦と西田敏行とのやり取りを自身のものまねネタにしている。なお、日刊ゲンダイ(2004年11月)でのインタビューによれば、松村はファンである西田を見るのが目的で『葵徳川三代』を見ていたら、自然とやり取りを覚えてしまったとのこと。後日、『探偵!ナイトスクープ』では西田とやり取りを演じている。また、津川ともNHKの番組で共演している。2008年5月に放送されたNHK『BS熱中夜話』の「戦国武将ナイト」でもこの一人二役を披露し、会場にいた番組参加者から好評を博した。
  • 松村が新人で全く無名の頃、当時放送作家だったドリアン助川と一緒に電車に乗り合わせた。すると突然松村が立ち上がり、ノートを取り出し、発声練習と叫び声をあげはじめた。「頭のおかしい人がいる」と周囲がざわつき、ドリアンも内心で「恥ずかしいからやめてくれ」と思った。しかし、松村の声が、ビートたけし、石橋貴明の声そのままに変化していき、乗客の顔色が変わり、驚愕と尊敬の眼差しで注目され、車内の空気が一変した。この雰囲気の変化に、ドリアンは言葉を失った。その後、自身の著書やラジオ等で松村邦洋の技術がいかにすごいものであるかを語っている。また、かつて聖書に記された、モーセが掲げた杖によって、目の前の海が真っ二つに割れ、海底が道となって出現した奇跡になぞらえて、一般的にはモーゼ事件と呼ばれている。
  • テレビ番組のロケで、落語家春風亭柳昇から「春風亭でぶ昇」の芸名をもらったことがある。芸名を書いた師匠直筆の色紙は現在も自宅に保管している。
  • 一時期、渋谷のチーマーたちに出川哲朗とともに「松村狩り」「出川狩り」と称して狙われていた。東京の自宅アパートには、若者たちが押し掛けてきたり、いたずら電話がかかってきたり等の行為が後を絶たない。家に押し掛けてくる若者に対しては、時に出川哲朗の家までの地図を渡して追い返すこともあったようだ(このことがばれるとすぐ出川から苦情の電話が掛かってきたらしい)。この事で何度も引っ越しを考えていたようだが、大家さんの説得でやめたという(大家の女性は松村の借りている部屋の掃除や洗濯までもするという母親的存在である)。また掛布のものまねが浸透し始めた時に、松村のアパートに不意に掛布本人が電話をかけて来たことがあり、仰天したらしい。
  • 自宅が狭いため、テレビ番組に関する雑誌やビデオなどの保管のためにアパートをもう一件借りている。保管用の方が家賃が高い(『アッコにおまかせ!』でも紹介された)。ただしビデオは番組の企画で松居一代が掃除に来たときにほとんど処分している。
  • 前述のとおり暴走族の経験もあり、当時の写真がテレビ番組の企画で流出した。暴走族のリーダーが松村のものまね芸を大変気に入り、ある日「自分の地の声をちゃんと作っておけ。そうすればものまねした時とのギャップが生まれて、もっとウケるぞ」と、玄人並のアドバイスをもらった事もあったらしい。糸井重里からものまねの能力・技術を高く評価されている。
  • プロレスのことをよく知らないのにアントニオ猪木のものまねを持ち芸にしようとし、猪木のものまねで「長州先生にはずいぶんお世話になりました」と猪木が言うはずのないものまねを披露した(長州は猪木の弟子である)。
  • 島崎和歌子のことを「僕に唯一、携帯の番号を教えてくれたアイドルタレント」と発言した(殆どのアイドルタレントから携帯の番号を断られまくっているため)。
  • デビュー当初、武田久美子主演のにっかつビデオ、「テクニカル・ヴァージン」の劇中で、ねるとん紅鯨団のパロディで石橋貴明の物真似を出演者の竹内力に向かって披露している。
  • キャイーン天野ひろゆきと並ぶ金八先生の大ファン(特に加藤優)で贈る言葉を唄った際、途中で「オレは腐ったミカンじゃねぇ」とモノマネを始めてしまう。第4シリーズの北先生に「廊下を走らない」と注意される生徒役でエキストラ出演していた。
  • 関口宏の東京フレンドパークII近藤真彦と出演した時、ウォールクラッシュの1回目のジャンプで張り付いた際にジャンプスーツが少し破れてしまい、2回目のジャンプの際は張り付いた直後に完全に破れてしまい、得点ボードにはジャンプスーツの上半身が抜け殻の様に残ってしまう。これには関口も大爆笑。クリアとして認められる。
  • 2008年5月糖尿病を患っていたウガンダ・トラが死去した際に葬儀へ参列したが、その時に自身も糖尿病を患っていることをワイドショーで公表した。

[編集] ダイエットとマラソン

  • 2006年初頭から、ピーク時で141kgあった体重をダイエットにより大幅に落としている。理由は、あるテレビ番組で、このままでは長生きできないと宣告されたためで、現在も続けており体重は100kg台まで落ちている。しかし、「アッコにおまかせ!」(TBS)でその事を和田アキ子に報告したところ、見た目の変化に気付いてもらえず「何も変わっとらんやないか!」と言われた。また、『ラジオビバリー昼ズ』で増田みのりアナに「20kg(当時)も痩せて太めの芸人さんとしてはどうなんですか?」と問われた時には「大して『でぶや』に呼ばれてる訳でもないし、デブでどうこうやるよりもやっぱり命(が大事)だね。」とデブタレント脱却を窺わせる発言をしている。
  • 今回のダイエットを「CanCamダイエット」と命名している。これは、雑誌の『CanCam』を読みながら夜道を歩くというものだが、歩いている途中で辛くなった時に『CanCam』(特に蛯原友里押切もえ山田優が写っているページ)を見ると、モデルが「がんばって松ちゃん」「もう少しがんばろうよ」「先輩がんばって九産大後輩の蛯原の場合)」などと言っているのが聞こえてくる感じがして、よりダイエットがはかどるらしい。
  • ダイエットの事を知った和田アキ子に「仕事がなくなるぞ」と叱られたという逸話もあるとおり、当初は痩せる事によってデブタレントとしてのタレント生命を危惧する声もあった。しかし実際に痩せてからは「健康的に見える」と概ね好意的な意見が多く、デブタレントの仕事の定番であるグルメ番組においても「健康的で美味しそうに食べている感じがして良い」と言われている。しかし、体型だけでなく声まで微妙に変わってしまったために、得意の物真似が以前に比べて声が似ていないという人も多い。
  • 掛布雅之から、8月11日の誕生日まで100kgを切るように約束されていた。同日の「ビバリー昼ズ」で体重を計測したところ、97.7kgになっていた。
    ただし、減量したことで貴闘力(現・大嶽親方)の物真似が似なくなってきたらしい。また、普段メガネをかけているため林家正蔵(旧・こぶ平)に間違われることもある(かつて番組の企画で「Wこぶ平」というコンビを組んだことがある)。
  • オーストラリアゴールドコースト観光親善大使を務める和田アキ子から「走ってこい!」と言われ、2007年7月1日の「ゴールドコーストマラソン2007」に参加し、42.195kmのフルマラソンに挑んだ。このマラソンは7時間10分以内にゴールしないと完走と認められないのだが、松村はあきらめずに9時間9分6秒かけて走りぬいた。時間オーバーのため記録には残らないが、主催者側の心遣いで、松村にもメダルが贈られた。この様子は2007年7月22日の「アッコにおまかせ!」にてOAされた。松村いわく、トレーニング方法を陸上経験豊富な森脇健児と綿密にメールで連絡し合っていたらしい。
  • その後、出演しているTokyo Boyの企画として2008年2月17日東京マラソン2008に出場するが、35km地点で時間切れとなり完走できなかった。
  • 2008年7月6日の「ゴールドコーストマラソン2008」に出場し、6時間51分40秒で完走。初めて制限時間内にゴールした。
  • 2009年3月22日、再びTokyo Boyの企画として東京マラソン2009に参加し、スタート地点から約15kmの港区高輪2丁目付近で急性心筋梗塞による心室細動で倒れ、一時心肺停止状態となる。伴走していた救護班がAEDを使用するなどしてすぐに意識回復する[1]。入院から12日で退院。復帰の際には蛯原友里安倍晋三から祝福のコメントが寄せられた。また松村の退院は通常のニュース番組でも取り上げられ、中でも報道ステーションのキャスター古舘伊知郎は「よかった、本当によかった」と感想を述べた。
  • 東京マラソン2009で松村が倒れたことについて、主催者である石原慎太郎東京都知事2009年4月3日の定例会見で「まっちゃん、本当に危なかった。助かってほっとした」と気遣う一方で「無理だ」と忠告していたことを明らかにし「あんな太った人で走った人はいないんじゃないか」と語った[2]
  • 入院中に安否を心配する関係者や芸人仲間などから、合計486通ものメールが携帯に届いていたことを明かした[3]
  • 2009年11月21日、阪神タイガースファン感謝祭のイベントのベースランニング中に心不全で逝去したという誤報がTwitter上で飛び交った。

[編集] 持ちネタ

  • バウバウ
  • ピロピロ飲み(ロピロピ吐き)
  • パロパロ鼻うがい
  • ダーバー(挨拶ギャグ。「どうも」の意。)
  • ヨヨイ
  • ティラリラカッカ(トイレの個室に入っている友人を茶化す時に使う)
  • 原子力、原子力、ムムムムーン
  • ホーホー(口・舌をすぼめて、フクロウの泣き声のような音を出す)
  • ○○(歴史上の人物の名前が入る)のオールナイトニッポン(例:織田信長のオールナイトニッポン、本能寺の変直前の本能寺から生放送等、適当な歴史上の人物の真似をする。)

[編集] 出演番組

[編集] テレビ

レギュラーおよびゲスト出演の多い番組
終了した番組

[編集] ラジオ

レギュラー番組
終了した番組

[編集] インターネットTV(WEB TV)

[編集] CD

シングル
  • ピロピロダンス(1993年)
  • 冬場のI LOVE YOU(1995年、「一平ちゃんとれいこちゃん」としてかとうれいことデュエット。明星食品CM曲)
  • 負ける気せんね〜野村阪神応援ヴァージョン(1999年、森たけしとデュエット)
  • 嵐は西から(2003年、「Tigers Freaks Band」として)
アルバム

[編集] 映画

[編集] Vシネマ

  • パチンコ・バトル・ロワイアル
  • パチンコ・バトル・ロワイアルII

[編集] テレビドラマ

[編集] ゲームソフト

[編集] アニメ

  • ヤッターマン(ytv、2008年12月1日、本人役と板東英二のものまねをしたドロンボーメカ役)

[編集] CM

[編集] ビデオ教材

  • 「自てん車安全大作戦!歌おう!ぼくらの交通安全」(警察庁交通局監修)

[編集] 個展

  • 「松村邦洋似顔絵展」【2007年12月12日(水)~2008年2月3日(日)】、筆の里工房
  • 「九州産業大学OB松村邦洋似顔絵展-可能性へのメッセージ-」【2008年9月8日(月)~2008年11月3日(月)】、九州産業大学美術館

[編集] ものまねのレパートリー

[編集] 関連項目・人物

[編集] 脚注

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[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月21日 (土) 05:03 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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