松林伯圓

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松林 伯圓(しょうりん はくえん、まつばやし はくえん とも)は、講釈師名跡。松林伯円とも表記。

[編集] 初代

松林亭 伯圓1812年文化9年) - 1855年安政2年)10月2日没。享年63。本名、堀川源次郎。

江戸南伝馬町の軍談の席亭堀川嘉兵衛の子で神田伯龍の弟子で安政の大地震で震災し死去。

軍談物を得意とした。

[編集] 2代目

松林 伯圓1834年天保5年)6月2日 - 1905年明治38年)2月8日没。享年74。本名、若林義行のちに若林駒次郎。

下館藩(現在の茨城県)郡奉行手島助之進の4男に生まれ、幕府作事奉行若林市左衛門の養子となる。

後に彦根藩画師向谷石渓の養子となるが、講釈好きが高じて離縁になる。伯母の婚家、若林家に引き取られ、町奉行筒井伊賀守邸などへ講釈に赴く。間もなく伊東潮花の門下になり花郷、から琴調馬琴(2代目東流斎馬琴)の門下で調林のちに初代伯圓の芸養子になり1854年に2代目襲名。1873年浅草寺境内にて新聞訓読場が新設されたのでそこで新聞講談を始める、その頃から散切り頭でテーブル、椅子を用意し講談を読むなど新しいことにも挑戦。

晩年半身不随になり1901年に弟子の右圓に伯圓の名を譲り横浜・鶴見の総持寺のほとりに隠退し自ら2代目松林東玉を襲名。

「泥棒伯圓」と異名を持ち時代物、世話物、白浪物、創作力も秀でた、講談の中興の祖。主な創作物には「鼠小僧」「天保六花撰」など。

速記は「安政三組盃」が1885年に創刊されている。

落語三遊亭圓朝歌舞伎8代目市川團十郎、当時の人気を二分した。

弟子には3代目伯圓、初代大島伯鶴、など多数輩出。

[編集] 3代目

1854年1月 - 1919年10月19日

2代目の弟子で元は松林右圓が1901年に襲名。

最終更新 2009年5月28日 (木) 12:21 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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