松永浩典

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松永 浩典
埼玉西武ライオンズ #24
基本情報
国籍 日本
出身地 長崎県西彼杵郡三和町
(現・長崎市
生年月日 1984年2月24日(25歳)
身長
体重
175cm
78kg
選手情報
投球・打席 左投左打
守備位置 投手
プロ入り 2005年 希望入団枠
初出場 2006年5月21日
経歴(括弧内は在籍年)

松永 浩典(まつなが ひろのり、1984年2月24日 - )は、埼玉西武ライオンズに所属するプロ野球選手投手)。背番号24

目次

[編集] プレースタイル

球速はさほど速くないものの、スライダーや90km/h台のスローカーブを織り交ぜるなど緩急を活かす投球が持ち味。直球には伸びがあり、140km/h前後のボールで空振りを奪うことも多い。

[編集] 来歴

[編集] プロ入り前

三和町立蚊焼小学校(現・長崎市立蚊焼小学校)、三和町立三和中学校(現・長崎市立三和中学校)を経て長崎海星高等学校に進学した。高校の同級生に楠本学(福岡大学 - 松下電器)がいる。

2000年秋季九州大会でエースで4番を務め、投打にわたって活躍し4強入り、注目を浴びるようになる。翌2001年春の第73回選抜高等学校野球大会に出場し、初戦で仙台育英学園高等学校と対戦。試合は仙台育英の左腕エース・芳賀崇との投手戦となったが、延長10回の末に3-4でサヨナラ負けを喫した。なお、仙台育英はこの大会で準優勝している。夏は長崎大会3回戦で諫早高校に4-5のサヨナラ負けを喫し、春夏連続出場はならなかった。

高校卒業後は社会人野球三菱重工長崎に入社し、前年にプロ入りした杉内俊哉の背番号18を受け継ぎ、「杉内2世」とも呼ばれた。入社早々から投手としてオープン戦に登板機会を与えられ、細身ながら130km/h前後の速球と80km/h台のスローカーブを繰り出し、社会人の強打者を相手に思い切りのいい投球を披露した。その後、トレーニングの成果で逞しくなり、球速が145km/hを記録するなど球威もついてきたが、肩や手の故障もあり伸び悩んだ時期もあった。2005年には一時外野手転向も考えたが、投手出身の牧瀬寅男監督から投手続行を勧められ、思いとどまった。社会人4年目を迎えた同年は思い切りのよさが戻り、JABA岡山大会JABA九州大会では優勝に貢献するなど春先から好投が続いた。都市対抗野球大会社会人野球日本選手権大会では目立った戦績を残せなかったが、素材の良さを買われて、同年の大学・社会人ドラフトにおいて希望枠で西武ライオンズ入団が決定した。

[編集] プロ入り後

1年目の2006年は序盤に2度先発したがいずれも4回途中で降板し二軍落ち。しかし再昇格した夏場に存在感を見せ、8月3日ロッテ戦にて、6回1死までを1失点、8奪三振の好投を見せ、プロ初勝利を挙げた。続く登板では完投勝利を挙げ、先発ローテーションに加わり、ルーキーながらプレーオフ第2戦で先発を任されるという信頼も勝ち取った。しかし、左打者相手には3割打たれてしまった。

2007年は左腕エースの帆足和幸がケガで出遅れたため開幕からローテーションの一角として期待され、初登板で好投し2年目の飛躍を期待させた。しかしそれ以降は安定感を欠く投球が続き、一軍登板は7試合にとどまった。29回1/3を投げて19四球を記録するなど制球が悪く、防御率こそ2.45であったが、6度の先発のうち4度は5回までに降板するなど、失点は少なくても序盤で交代させられることが多かった。

2008年4月18日、高校時代から9年にわたり交際していた女性と結婚したことが報じられた。同年は二軍で規定投球回に達するも、制球が安定せず一軍登板は無かった。しかし、日本シリーズ出場選手登録枠の40人には選ばれた。

[編集] 年度別投手成績

年度 チーム

































2006年 西武 11 1 0 0 3 4 0 .429 51.1 47 8 19 4 46 1 0 29 24 8.10 4.21
2007年 7 0 0 0 2 1 0 .667 29.1 25 4 19 2 14 0 0 10 8 4.33 2.45
2008年 埼玉西武 一軍登板なし
通算成績 18 1 0 0 5 5 0 .500 80.2 72 12 38 6 60 1 0 39 32 6.73 3.57

[編集] 背番号

[編集] 脚注

[編集] 関連項目


最終更新 2009年4月4日 (土) 02:49 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【松永浩典】変更履歴

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