林家彦六
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林家 彦六(はやしや ひころく、1895年5月16日 - 1982年1月29日)は、落語家。東京府下荏原郡品川町(今の品川区)出身。生前は落語協会所属。本名は岡本 義(おかもと よし)。前名の林家正蔵としては8代目、出囃子は『菖蒲浴衣(あやめ浴衣)』。俗に「彦六の正蔵」。噺家からは居住地の「稲荷町(の師匠)」と呼ばれた。妻は岡本マキ(上方落語家4代目古今亭今輔の妻と姉妹)。息子は日本舞踊家花柳衛彦。
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[編集] 経歴
- 1907年頃 質屋、ホーロー工場、木地屋等を丁稚奉公で転々とする。
- 1912年 2代目三遊亭三福(後の3代目三遊亭圓遊)に入門し「福よし」を名乗る。
- 1914年5月 師匠三福が「扇遊亭金三」に改名し「扇遊亭金八」に改名。
- 1915年 この頃から大師匠4代目三遊亭圓生の弟弟子2代目三遊亭圓楽(後の三遊一朝)に稽古を付けて貰う様になる。
- 1917年1月 師匠金三と共に4代目橘家圓蔵の内輪弟子となる。
- 1918年2月 二つ目昇進し「橘家二三蔵」に改名。
- 1919年4月 圓楽が「三遊一朝」に改名し、圓楽の名を譲られ二つ目のまま「3代目三遊亭圓楽」襲名。
- 1920年6月 真打昇進。結婚。
- 1922年2月 師匠圓蔵死去に伴い、3代目柳家小さんの預かり弟子となる。その後3ヶ月程上方噺家2代目桂三木助の元で修行し『啞の釣』『煙草の火』などを教わる。
- 1925年9月 兄弟子初代柳家小はん、柳家小山三(後の5代目古今亭今輔)らと共に「落語革新派」を旗揚げする。
- 1926年1月 落語革新派解散。
- 1927年 東京落語協会(現落語協会)復帰、兄弟子4代目蝶花楼馬楽(後の4代目柳家小さん)の内輪弟子になる。
- 1928年4月 前師匠小さん引退に伴い、師匠馬楽が4代目柳家小さん襲名し、馬楽の名を譲られ「5代目蝶花楼馬楽」襲名。
- 1929年10月以降の「世界恐慌」による不景気の影響で、寄席も客が大幅に減る。馬楽は芝居の脚本の朗読会「とんがり会」を開いていた[1]。また、この頃、徳川夢声主催の「談譚集団」という漫談研究会に入り、木下華声らと漫談の修行をしていたこともあった[2]。
- 1950年4月22日 一代限りの条件で海老名家から正蔵の名跡を借り「8代目林家正蔵」襲名(経緯は林家三平の項を参照)。
- 1963年12月 昭和38年度 第18回 芸術祭大衆芸能部門芸術奨励賞受賞。
- 1965年 落語協会副会長就任。12月 昭和40年度 第20回 芸術祭大衆芸能部門芸術奨励賞受賞。
- 1968年11月3日 紫綬褒章受賞。
- 1968年12月 昭和43年度 第23回 文化庁芸術祭1部大衆芸能部門芸術賞受賞。
- 1970年2月からの隔月(偶数月) 「林家正蔵 芝居噺の会」を東京・岩波ホールで開催(この模様の一部は、16mmフィルムで記録映画として撮影された)。
- 1971年1月 日本テレビ演芸番組笑点師弟大喜利、鶴亀大喜利、演芸コーナーに出演。以降1981年まで不定期に出演。
- 1972年4月 9代目桂文治、6代目三遊亭圓生と共に落語協会顧問就任。
- 1974年4月29日 勲四等瑞宝章受章。
- 1980年9月20日 林家三平死去。9月28日「正蔵」の名跡を海老名家に返上。(※)正蔵として最後の口演は「旅の里扶持」である。
- 1981年1月 「林家彦六」に改名。4月 昭和55年度第1回花王名人大賞功労賞受賞。11月7日日本橋で演じた『一眼国』が最後の高座となる。
- 1982年1月29日 肺炎の為死去。享年86。叙・従五位、賜・銀杯一個(菊紋)。遺体は医学研究用に献体、角膜はアイバンクへ提供された。
(※)何れは名跡を三平に返上するつもりでいたが、三平の好意により終生正蔵を名乗る事とし、自らの死後三平に返上する事にした。しかし1980年三平急逝に伴い、正蔵の名跡を海老名家に返上、「彦六」に改名する。由来は木村十二の監督した映画、『彦六大いに笑う』(1940年)で徳川夢声が演じた役名彦六から。
芝居噺や怪談噺を得意とし、正蔵の名を更に高めた功労者。稲荷町の住処は林家の暖簾(春夏・秋冬で2色あった)のかかった四軒長屋の隅の家でまさに落語の世界そのままだったという(現在は取り壊されている)。また、近所には前師匠小さんの弟子で友人の9代目桂文治が住んでおり、公私共に仲が良かった。
[編集] 人物
稲荷町時代の逸話、名跡の返還など古き良き江戸噺家として名を残した事でも知られる。独特な人柄、へなへなしたしゃがれ声、非常にスローなテンポの話し方などから、3代目桂三木助死去で弟子となった初代林家木久蔵(現:林家木久扇)を始めとする噺家の落語(木久扇には『林家彦六伝』と言う自作がある)、漫談にも時折物真似付きで登場する。更に「矍鑠とした老人の噺家の代名詞」としてビートたけしなどに引き合いに出され、秋本治の漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の主人公・両津勘吉も矍鑠とした老人に「彦六みたいな奴だ」と言う。
ただし若い頃は、学があり理屈っぽいことから噺家仲間からは、「インテリ」「新人」と呼ばれ、「菜ッ葉服(労働服)をきて共産党とつきあっている」と陰口を叩かれた。
実際に日本共産党の熱烈な支持者として知られるが、イデオロギーに共感した訳ではなく、「あたしゃ判官贔屓」あるいは「共産党は書生っぽいから好きなんですよ。」と本人談。因みに自身が贔屓にしている共産党議員(金子満広など)に、参院議員時代の7代目立川談志が侮辱的な野次を飛ばして辞職後も場外で続けていた事を快く思っておらず会えばしょっちゅう喧嘩になっていたというエピソードがあるがこのあたりがいかにも通称「トンガリ」らしい。その一方で談志については「自殺するのではないか」という危惧を親しい知人にしばしば漏らしていた。(談志本人も自殺願望があったことを後に認めている。詳細は立川談志の項を参照)
30年以上に亘って朝日新聞を愛読したが、紙上で落語評論家が当代の名人について、5代目古今亭志ん生・8代目桂文楽・6代目春風亭柳橋・10代目金原亭馬生の名を挙げ「ここまでくると次の指が折れない」と書いたことに激怒し、執筆者に宛てて「お前さんの小指はリウマチじゃねえのかい」と書いた葉書きを速達で送りつけ、朝日新聞の購読を停止し、新聞赤旗を取るようになった。
江戸、明治の香りを沢山持った人物であったが、オフの時は英国調に洋服も着こなし、朝食には必ずジャムを塗ったトーストにコーヒーを賞味するという、意外にも現代的な生活を好んだという。また、巡業に出ると必ず昼食にはカレーライスを注文したという。(林家正雀がBS 忠臣蔵特集で語っている。三波春夫司会・1998年放送) 客が自宅に遊びにくると「どうです。コーシー(コーヒーの下町訛り)でも。」と勧めていた。
無駄使いを嫌い、新聞の折込みチラシの中で片面印刷のチラシを見つけたら切ってネタ帳の代用していたという逸話があるほど。
仕事で頻繁に寄席へ通う為「通勤用定期券」で地下鉄を利用していたが、「これは通勤用に割り引いて貰っているんだから、私用に使うべきでない」として、私用で地下鉄に乗る際には別に通常乗車券を購入していた。談志もこの律儀さには呆れつつも感心し、国会議員当時に「世の中にはこんな人もいる」と国会で彦六の逸話を紹介している[3][4]。
木久扇は二つ目昇進まで付人として面倒を見て貰った師匠彦六の物真似が得意で、死去した現在では先述のように落語の題材としているほどの名人芸である。因みに木久扇が後に語ったところによると彦六本人は木久扇の物真似が有名になるにつれ、喋ると寄席などの客から笑われるようになり「話すのが辛い」と語っていた。
5代目柳家小さん襲名をめぐり、彦六と弟弟子9代目柳家小三治と争い負けた。この際に浅草の金看板であった「山春」山田春雄は興行の関係で彦六と縁があった関係で法界悋気を病んだと「聞書き」の中で北村銀太郎は説明している。
若手落語家からは、「下町の落語家さん」と呼ばれ、林家たい平による好楽(九蔵)一家罵倒ネタでも、彦六をこう呼んでいた。因みに、好楽の後の師匠である彦六の2代後の圓楽のことを「顔の長い師匠」と罵倒している。
[編集] 人間関係
通称「トンガリ」。曲った事が嫌いで、すぐにカッとなるところから来ている。弟子に対しても、失敗する度に破門を口にしては、しかし謝れば許し、翌日にはもうケロリとしている。この様な切り替えの早さも兼ね備えている為、本当の意味での破門を言い渡している回数をカウントするのは極めて難しいと思われる。大真面目に全てをカウントすると個人で見ても彦六門下が破門回数の上位を占める状態となる。
実際に、弟子の木久扇の十八番「林家彦六伝」には破門ネタが色々と登場する。
- 例
彦六「お前に小噺を教えてやろぉぉ。あぁぁたしがやるよぉぉにやんなさい。『向かいの空き地に囲いができた、へぇぇぇぇぇぇぇ。』やってみなぁぁぁ。」
木久扇「(口調も真似をすると勘違いして)えー、では失礼いたします…。『向かいの空き地に囲いができた、めぇぇぇぇぇぇぇ。』」
彦六「ばかやろぉぉぉ。誰が山羊なんかやれっつった。てめぇなんざぁ破門だぁぁぁぁ。」
元兄弟子で天敵6代目三遊亭圓生とは最後までそりが合わなかった。対立関係は、(馬楽時代の)彦六が6代目三遊亭圓生襲名に際して、「あの人に6代目が務まる訳が無い」と酷評した為である。(但し、笑点師弟大喜利では隣り合せで座っていた時もあった)。なお、圓生の師匠は彦六が一時期師匠金三と共に内輪弟子として所属していた圓蔵である。だが、一方で圓生の総領弟子三遊亭全生は気に入り、自身の前名の一つである三遊亭圓楽を襲名させた。また、弟弟子4代目鈴々舎馬風も圓生の天敵であった。1978年、圓生が中心人物となって引き起こした落語協会分裂騒動では、師匠圓生に逆らって落語協会残留を決めた為に破門にされ、芸名の強制返却の目に遭った3番弟子三遊亭好生を救い、自らの客分格の弟子とし春風亭一柳に改名させた。
ある寒い冬の夜、楽屋で圓生が「お先イ」と彦六に声をかけると、彦六は「外も寒いからお気をつけてエ」と答えたという。関係者は「いかにも林家らしい」と思ったという。
また、嘗て共に一朝に教えを受けた元兄弟子5代目古今亭今輔は喧嘩友達であった(しかし影では互いの健康を気遣っていたと言う)。今輔の元師匠4代目古今亭今輔の妻つねと、彦六の妻マキは姉妹である。上方噺家2代目露の五郎兵衛とも繋がりがあり、怪談噺の幾つかは五郎に伝授し、彦六没後は五郎が高座で行ったりしている。
前師匠3代目小さんを尊敬し、小さんの心で居ろという戒めをこめて「小心居」を座右の銘としていた。その点では同じ元小さん一門の兄弟子5代目今輔も同じであった。
また、気の合った劇作家宇野信夫、川柳家の坊野寿山、東京新聞の富田宏、TBSの出口一雄との5人で、「はしば会」という会を作り、日本橋「たいめい軒」で食事をしながら歓談をしていた。
[編集] 得意ネタ
- 馬楽時代にはSPレコードも吹き込んでいる。
『火事息子』『中村仲蔵』『蔵前駕籠』『文七元結』『怪談牡丹灯籠』『真景累ヶ淵』『鰍沢』『山崎屋』『一眼国』『ぞろぞろ』『淀五郎』『紫壇楼古木』『権兵衛狸』。芝居噺では『菊模様皿山奇談』『雪の戸田川』平岩弓枝作の『笠と赤い風車』自作の『すててこ誕生』等がある。
[編集] 林家正蔵芝居噺の会
- 当時、この口演の模様は、今後の資料として残す為に、日本大学芸術学部 映画学科の協力を得て16mmフィルムで撮影されており、貴重な記録映画である。予算の関係で基本的にはモノクロで撮影されたが、特に舞台装置等で「色彩に凝ったもの」に関しては、カラーで撮影をした(パートカラーの作品もある)。
- この記録映画は後に貸し出されたりもし、後にビデオ化されて、三一書房で販売もされた事もある。近年では松竹系のCS放送局の「歌舞伎チャンネル」や「衛星劇場」等で「八代目林家正蔵 正本芝居噺の世界」として、この記録映画が番組として放送され、その時の番組進行役は、彦六の弟子3代目八光亭春輔、解説は舞台美術家(日本大学芸術学部講師)の伊東清で、番組内では貴重な当時の資料等も紹介されていた。
[編集] 記録映画の収録日 及び 記録映画でのクレジット(クレジットの表示順)
- 「おふじ松五郎」
- 「戸田の渡し~お紺殺し」
- 1970年3月23日(月) 東京・岩波ホール 収録 モノクロ作品
- おはやし:加藤八重 小島つた 林家枝二
- 後見:林家時蔵 林家照蔵 林家九蔵
- 装置:伊東清
- 背景:土屋修身
- 大道具制作:林家正蔵 林家時蔵
- 照明:海阪雄藤
- タイトル:神馬俊二
- 映画制作:日本大学芸術学部 映画学科
- 林家正蔵芝居噺の会
- 世話人:秋庭太郎 白井喬二 知切光蔵 藤浦富太郎
- 協力:岩波ホール
- 企画制作:松原剛 伊東清 麻生芳信
- 1970年3月23日(月) 東京・岩波ホール 収録 モノクロ作品
- 「眞景累ケ淵~新五郎の捕り物」 作:三遊亭圓朝
- 「五月雨坊主」 作:村上元三
- 1970年4月27日(月) 東京・岩波ホール 収録 モノクロ作品
- おはやし:加藤八重 林家枝二
- 後見:林家時蔵 林家照蔵 林家九蔵 林家上蔵
- 装置:伊藤雨晴
- 大道具制作:林家正蔵 林家時蔵
- 題字:橘右近
- 照明:海阪雄藤
- タイトル:神馬俊二
- 映画制作:日本大学芸術学部 映画学科
- 林家正蔵芝居噺の会
- 世話人:秋庭太郎 白井喬二 知切光蔵 藤浦富太郎
- 協力:岩波ホール
- 企画制作:松原剛 伊東清 麻生芳信
- 1970年4月27日(月) 東京・岩波ホール 収録 モノクロ作品
- 「めだか」 作:浜本浩
- 1970年6月29日(月) 東京・岩波ホール 収録 モノクロ作品
- 芝居噺 浜本浩 作 めだか 八代目林家正蔵
- 画:田中佐一郎
- 効果:岡芹秀次
- 映画制作:日本大学芸術学部 映画学科
- 林家正蔵芝居噺の会
- 世話人:秋庭太郎 白井喬二 知切光蔵 藤浦富太郎
- 協力:岩波ホール
- 企画制作:松原剛 伊東清 麻生芳信
- 1970年6月29日(月) 東京・岩波ホール 収録 モノクロ作品
- 「菊模様皿山奇談(楼門の場)」 作:三遊亭圓朝
- 「鰍沢」 作:三遊亭圓朝
- 1970年8月24日(月) 東京・岩波ホール 収録 モノクロ作品
- 出演:八代目 林家正蔵
- 装置書割:伊藤晴雨
- おおざつま:橘家圓太郎 柳家亀松
- おはやし:加藤八重 柳亭燕路 橘家文蔵 三遊亭円弥
- 後見:林家時蔵 林家照蔵 林家九蔵 林家上蔵
- 題字:橘右近
- タイトル:神馬俊二
- 照明:海阪雄藤
- 映画制作:日本大学芸術学部 映画学科
- 林家正蔵芝居噺の会
- 世話人:秋庭太郎 白井喬二 知切光蔵 藤浦富太郎
- 協力:岩波ホール
- 企画制作:松原剛 伊東清 麻生芳信
- 1970年8月24日(月) 東京・岩波ホール 収録 モノクロ作品
- 「眞景累ケ淵~水門の場」 作:三遊亭圓朝
- 1970年8月24日(月) 東京・岩波ホール 収録 モノクロ作品
- 「この一巻を 恩師 一朝老に捧ぐ 八代目 林家正蔵」
- 出演:八代目 林家正蔵
- おはやし:加藤八重 小島つた 三遊亭円弥
- 後見:林家時蔵 林家照蔵 林家上蔵
- 装置:伊東清
- 背景:土屋修身
- 大道具制作:林家正蔵 林家時蔵
- 題字:橘右近
- タイトル:神馬俊二
- 照明:海阪雄藤
- 映画制作:日本大学芸術学部 映画学科
- 企画制作:松原剛 伊東清 麻生芳信
- 1970年8月24日(月) 東京・岩波ホール 収録 モノクロ作品
- 「今昔芝居噺~名月若松城」
- 1970年10月26日(月) 東京・岩波ホール 収録 モノクロ作品
- 昭和45年度 芸術祭参加公演
- 芝居噺 名月若松城
- 出演 八代目 林家正蔵
- 装置:水島爾保布
- 背景:唐木三郎
- 大道具制作:林家正蔵 林家時蔵
- 題字:橘右近
- タイトル:神馬俊二
- 照明:海阪雄藤
- おはやし:加藤八重 三遊亭円弥
- 後見:林家照蔵 林家時蔵 林家九蔵 林家上蔵
- 映画制作:日本大学芸術学部 映画学科
- 林家正蔵芝居噺の会
- 世話人:秋庭太郎 白井喬二 知切光蔵 藤浦富太郎
- 協力:岩波ホール
- 企画制作:松原剛 伊東清 麻生芳信
- 1970年10月26日(月) 東京・岩波ホール 収録 モノクロ作品
- 「新助市五郎~原の郷の捕り物」
- 1970年10月26日(月) 東京・岩波ホール 収録 モノクロ作品
- 昭和45年度 芸術祭参加公演
- 芝居噺 三遊亭圓朝作 新助市五郎 原ノ郷捕物
- 出演 八代目林家正蔵
- 装置:伊東清
- 背景:土屋修身
- 大道具制作:林家正蔵 林家枝二
- 題字:橘右近
- タイトル:神馬俊二
- 照明:海阪雄藤
- おはやし:加藤八重 三遊亭円弥 林家枝二 林家照蔵
- 後見:林家時蔵 林家九蔵 林家上蔵
- 映画制作:日本大学芸術学部 映画学科
- 林家正蔵芝居噺の会
- 世話人:秋庭太郎 白井喬二 知切光蔵 藤浦富太郎
- 協力:岩波ホール
- 企画制作:松原剛 伊東清 麻生芳信
- 1970年10月26日(月) 東京・岩波ホール 収録 モノクロ作品
- 「怪談累草紙・親不知の場」
- 1970年12月28日(月) 東京・岩波ホール 収録 モノクロ作品
- 装置背景:伊藤晴雨
- おはやし:加藤八重 小島つた 林家文蔵
- 後見:林家時蔵 林家照蔵 林家九蔵 林家上蔵
- 題字:橘右近
- タイトル:神馬俊二
- 照明:海阪雄藤
- 映画制作:日本大学芸術学部 映画学科
- 林家正蔵芝居噺の会
- 世話人:秋庭太郎 白井喬二 知切光蔵 藤浦富太郎
- 協力:岩波ホール
- 企画制作:松原剛 伊東清 麻生芳信
- 1970年12月28日(月) 東京・岩波ホール 収録 モノクロ作品
- 「粟田口霑笛竹~国府台の場」
[編集] 一門弟子
- 三遊亭市馬(後に廃業し、落語協会事務員に転職、(※九蔵の“九”は彼から弟子を数えている事になっている))
- 5代目春風亭柳朝
- 2代目林家正楽(落語家として正蔵門下に入り、後に紙切りに転向して初代紙切り林家正楽の預かり弟子になるが、彦六一門には籍を置いていた)
- 橘家文蔵
- 7代目春風亭栄枝(元は8代目春風亭柳枝門下であったが、師匠柳枝の死去に伴い、彦六門下に移籍)
- 林家木久扇(元は3代目桂三木助門下であったが、師匠三木助の死去に伴い、彦六門下に移籍)
- はやし家林蔵(元は3代目三遊亭金馬門下であったが、師匠金馬の死去に伴い、彦六門下に移籍)
- 3代目八光亭春輔
- 三遊亭好楽(前名は林家九蔵、彦六の死後は5代目三遊亭圓楽門下に移籍)
- 3代目桂藤兵衛(彦六の死後、二つ目のため、兄弟子文蔵門下に移籍)
- 林家時蔵 (彦六の死後、二つ目のため、兄弟子の柳朝一門に移籍するが、柳朝が病となったため木久蔵(木久扇)門下に移籍)
- 林家正雀(彦六の死後、二つ目のため、兄弟子の文蔵門下に移籍)
[編集] 客分格弟子
- 7代目橘家圓太郎(元は初代橘ノ圓の弟子だが、師匠圓夫妻が京都で死去し、京都で巡業中だった彦六一門に移籍)
- 6代目蝶花楼馬楽(元は彦六の弟弟子だが、師匠小さん死去に伴い、彦六一門に移籍)
- 春風亭一柳(元は圓生の弟子だが、落語協会分裂騒動時に破門され、彦六一門に移籍)
[編集] 演じた俳優
[編集] 林家彦六賞・岡本マキ賞
将来性のある若手芸人や、寄席文化に著しく貢献した人を顕彰して、落語・演芸界の活性化をはかると同時に、一徹に生きた名人林家彦六、そして夫人である岡本マキの名を後世に伝えるた為の顕彰制度。
1995年6月に制定、1996年5月に第1回の表彰式を日本橋・たいめいけんで開催。毎年5月に開催。
運営委員:伊東清(委員長)、井上和明、大野桂、大友浩、神山明久、清水一朗、高田文夫、富塚兆弥、永井啓夫、山本進、田谷悠紀、長井好弘 ※永井啓夫と大野桂は既に故人
- 林家彦六賞
- 対象は、二ツ目から真打昇進5年以内の芸人。 選考基準は、将来性や芸に取り組む姿勢。
- 過去の受賞者
- 岡本マキ賞
- 対象は、前座から二ツ目昇進直後の芸人。 選考基準は、将来性と、寄席の楽屋等で誠実に業務に励む姿勢。
- 過去の受賞者
- 第1回(1996年) 春風亭朝吉(現 6代目春風亭柳朝)
- 第2回(1997年) ※受賞者なし
- 第3回(1998年) 古今亭菊朗(現 古今亭菊志ん)
- 第4回(1999年) 神田ひまわり(現 日向ひまわり)
- 第5回(2000年) 五街道のぼり(現 金原亭駒七)
- 第6回(2001年) 桂才ころ(現 桂才紫)
- 第7回(2002年) 古今亭いち五(現 古今亭志ん公)
- 第8回(2003年) 柳家小権太
- 第9回(2004年) 入船亭遊一
- 第10回(2005年) 春風亭一之輔
- 第11回(2006年) 三遊亭春夢(現 三笑亭夢吉)
- 第12回(2007年) 立川フラ談次(現 立川談奈)
- 第13回(2008年) 三笑亭可女次
- 第14回(2009年) 笑福亭和光
- 特別賞
- 対象は、寄席文化に著しく貢献した人。
- 過去の受賞者
- 第1回(1996年) 松本みつ子(元・池袋演芸場 お茶子)
- 第2回(1997年) ※受賞者なし
- 第3回(1998年) 根岸京子(木馬亭席亭)
- 第4回(1999年) 橘左近(寄席文字)
- 第5回(2000年) 小島豊美(CD-ROM「古今東西噺家紳士録」プロデューサー)、稲葉守治・富美子(日本演芸若手研精会主催)
- 第6回(2001年) 横井洋司(写真家)
- 第7回(2002年) 柳家紫朝(音曲師)
- 第8回(2003年) 榎本滋民(劇作家、落語評論家)
- 第9回(2004年) ※受賞者なし
- 第10回(2005年) 稲見茂久(うなぎ書房)
- 第11回(2006年) 京須偕充(落語プロデューサー、落語評論家)
- 第12回(2007年) 玉置宏(司会者、横浜にぎわい座館長)
- 第13回(2008年) 永田稔(文芸坐)
- 第14回(2009年) 永谷浩司(永谷商事社長)
賞の基金は、1970年に開催の「林家正蔵 芝居噺の会」の模様の一部を16mmフィルムの記録映画に残したが、その記録映画の貸し出し時の謝礼や、寄席や落語会等での口演の模様を収録し、放送やレコード等の販売での二次使用料等の印税等を元にしている。 これは彦六が「既に寄席や落語会では、幾らかの出演料は頂いており、このお金(印税等)は不労所得で二重取りになる」と受け取りを固辞し、舞台美術家の伊東清が預かっていたものからを元に贈っている。
[編集] 書籍
[編集] 速記集
- 『林家正蔵集』上巻・下巻・別巻 青蛙房
- 『古典落語 正蔵・三木助集』ちくま文庫
[編集] 著書
彼は筆まめな人で、多くの著書を残している。月々のファンクラブ会報も自らの手で書いており、
- 永井啓夫・伊東清『彦六からの手紙』~〈林家正蔵会〉の記録~ 三一書房
に全容が残されている。
[編集] 林家正蔵名義
- 『正蔵一代』 青蛙房
- 『芸の話』 新日本出版社 - 日本共産党の出版部門である。
- 麻生芳伸『林家正蔵随談』 青蛙房
- 坊野寿山と共著『落語寄席風俗誌』
- 暉峻康隆『落語藝談』平凡社ライブラリー(三省堂新書では上巻)
[編集] 林家彦六名義
- 『噺家の手帖』
- 『正蔵世相談義』
[編集] 弟子による関連書
[編集] その他関連書
- 吉川潮『江戸前の男』ランダムハウス講談社文庫
[編集] 脚注
最終更新 2009年9月8日 (火) 18:39 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【林家彦六】変更履歴


