枝幸町
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枝幸町(えさしちょう)は、北海道最北の宗谷支庁の東部に位置する町である。毛がにの漁獲高日本一。毛がにの旬である毎年夏には、枝幸かに祭りが開催され、多くの人々で賑わう。
町名の由来は、枝幸町によれば[1]アイヌ語「esausi」(エサウシ/岬の意)によるとしている。知里真志保「地名アイヌ語小辞典」によれば、エサウシはesasi(エサシ/岬の意)のナヨロ(名寄)地方のアイヌ方言。
目次 |
[編集] 地理
宗谷支庁の南東部に位置する。東部はオホーツク海に面する。海と山にはさまれた険しい地形で国道238号が南北に縦貫する。幌別川河口付近は湿原地帯。
西部(旧歌登町)は山岳が広がり、面積の8割が森林。内陸であることから冬季は非常に寒冷であり、しばしば道内の朝の最低気温でニュースに「歌登」の地名が登場する。
明治中期には、町内に金鉱床が発見され、金の採掘で賑わったことがある。その名残は今町内のウソタンナイ砂金採掘公園に見られる。
- 山: 函岳(1124m)、ポロヌプリ山(841m)
- 河川: 幌別川、徳志別川
- 岬: 北見神威岬、目梨泊岬、ウスタイベ岬、音標岬
[編集] 歴史
- 1878年 枝幸郡に枝幸・頓別・歌登・礼文の四村を設置。村名及び地番を制定する。
- 1891年 9月、枝幸外3カ村戸長役場が設置される
- 1909年 4月1日、枝幸・頓別・歌登・礼文の四村が合併し、二級町村制施行
- 1916年 4月、大字頓別村を頓別村(現浜頓別町および中頓別町)として分村。
- 1923年 4月、一級町村制施行
- 1939年 9月、大字歌登村の一部を歌登村(のち歌登町)として分村。
- 1947年 10月、町制施行、(旧)枝幸町。同年、町内の3大字を再編。
- 枝幸村 → 本町、栄町、幸町、梅ヶ枝町、目梨泊、問牧、ウスタイベ、ウエンナイ、幌内保
- 礼文村 → 乙忠部、風烈布、音標、上音標
- 歌登村 → ケモマナイ、下幌別、岡島、徳志別、山臼
- 1978年 開基100年記念式典が行われる
- 1998年 開基120年
- 2006年 3月20日、(旧)枝幸町、歌登町と対等合併し、(新)枝幸町が成立。
[編集] 行政
2006年(平成18年)3月20日に、旧枝幸町と、隣接する旧歌登町が対等合併し、現在の新たな枝幸町が誕生した。合併まで経緯は、旧枝幸町と旧歌登町が法定合併協議会を設置、2006年(平成18年)3月20日をもって新設合併を行い新町名を枝幸町とすることで合意し2004年(平成16年)12月14日に調印。同月21日に両町議会で合併関連議案を可決した。2005年(平成17年)1月20日に合併申請書を提出、同年3月24日の道議会で合併議案が可決、2006年(平成18年)3月20日合併。
[編集] 国・道 出先機関
- 国
- 自衛隊旭川地方協力本部枝幸地域事務所
- 稚内公共職業安定所枝幸職業相談室
- さけます資源管理センター天塩支所徳志別事業所
- 宗谷森林管理署 枝幸森林事務所・音標森林事務所
- 宗谷森林管理署 歌登森林事務所・志美宇丹森林事務所
- 稚内開発建設部 乙忠部除雪センター
- 稚内開発建設部 稚内港湾事務所枝幸分駐所
- 道
- 宗谷支庁稚内地区水産技術普及指導所枝幸支所
- 稚内土木現業所歌登出張所
- 廃止された出先機関
廃止前 廃止後(統合先)
- 稚内公共職業安定所枝幸分室 → 稚内公共職業安定所
- 稚内開発建設部枝幸道路維持事業所 → 浜頓別道路事業所
- 稚内開発建設部枝幸農業開発事務所 → 稚内農業事務所
- 稚内開発建設部枝幸港湾開発事務所 → 稚内港湾事務所
- 稚内地方気象台北見枝幸測候所 → 稚内地方気象台
- 枝幸営林署 → 宗谷森林管理署
注:枝幸・音標・歌登・志美宇丹の森林事務所は宗谷森林管理署に再編時も廃止対象から除外。 稚内公共職業安定所枝幸相談室は委託職員がいるのみで稚内公共職業安定所の事務官は1ヶ月に1度のみ来る
[編集] 経済
[編集] 産業
毛蟹の産地として知られ、日本一の漁獲量を誇る。また、鮭の水揚げ産地としては日本で三番目の水揚げ量があり、遡上する前のいわゆる銀毛の鮭が多いため水揚げ高は屈指の水準を誇る。市場関係者には名が知られ、脂がのったメヂカ鮭や鮭児も水揚げされる。近年はホタテ稚貝撒き漁業の漁獲高を伸ばし、毎年安定した漁獲量を保っている。夏でも冷たい海域のために貝毒の発生が少なく、また栄養も豊富であるために貝柱が大きいので、国内消費向けだけではなく、ホタテ貝柱を遠く中国やフランス、北米などに輸出するに至っている。この他にも、カレイ、ナマコ、リシリコンブ、エゾバフンウニなど、様々な魚介類が水揚げされている。
最近、最も近い大消費地の札幌でも、藻岩山展望台、札幌駅や大通り付近のレストランやホテルなどで枝幸産のホタテを使った料理がメニューに加えられるようになり、品質が認知されつつある。また、銀座の寿司屋でもエゾバフンウニが、東京の生協などでホタテや毛蟹、鮭などが扱われ始めている。
[編集] 立地企業
- 宗谷新聞社枝幸支局
- 北海道新聞社枝幸支局
- 安田建設
[編集] 農協・漁協
- 宗谷南農業協同組合(JA宗谷南)本所・歌登支所
- 枝幸漁業協同組合
[編集] 金融機関
- 稚内信用金庫枝幸支店
[編集] 郵便局
- 枝幸郵便局(日本郵便音威子府支店枝幸集配センター併設)
- 歌登郵便局(日本郵便音威子府支店歌登集配センター併設)
- 乙忠部郵便局(日本郵便音威子府支店乙忠部集配センター併設)
[編集] 公共機関
[編集] 警察
[編集] 友好都市
[編集] 国内
[編集] 地域
[編集] 人口
| 枝幸町と全国の年齢別人口分布 | 枝幸町の年齢・男女別人口分布 | ||||||||||||||||||
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■紫色 ― 枝幸町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 |
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| 総務省統計局 / 国勢調査(2005年) | |||||||||||||||||||
[編集] 教育
- 高等学校
- 道立高等学校
- 中学校
- 枝幸、枝幸南、歌登、志美宇丹(小学校併設)、本幌別(小学校併設)
- 小学校
- 枝幸、岡島、音標、乙忠部、問牧、風烈布、目梨泊、山臼、歌登、志美宇丹(中学校併設)、本幌別(中学校併設)
[編集] 交通
[編集] 鉄道・バス路線
- 国鉄興浜北線が通っていたが1985年に廃止され、以降、町内に鉄道路線はない。また、1929年から1971年までは歌登町営軌道が敷設されていた。
- 宗谷本線の美深駅から仁宇布駅まで開通していた美幸線は、興浜北線北見枝幸駅まで開通する計画であったが、未成線のまま廃止された。また、興浜北線北見枝幸駅と興浜南線の雄武駅との間は、興浜線として建設が進められていたが、工事は凍結され、未開通区間を残したまま興浜北線・南線とも廃止された。
- 札幌市・旭川市から宗谷バスと道北バスによる都市間バス「特急えさし号」が運行されている。宗谷バスは、浜頓別町・雄武町・旧歌登町域への路線バスも運行している。
[編集] 道路
[編集] タクシー
- 小鳩交通:枝幸営業所
- 歌登ハイヤー
[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集] 文化財
[編集] 重要文化財(美術工芸品)
- 北海道目梨泊遺跡出土品 - オホーツクミュージアムえさし蔵
[編集] 道指定有形文化財
- ホロナイポ遺跡出土の遺物 - オホーツクミュージアムえさし蔵
[編集] 町の文化財
- 厳島神社鳥居
- 厳島神社絵馬 - オホーツクミュージアムえさし蔵
- 枝幸町ホロナイポ遺跡出土遺物 - 道指定有形文化財に指定されたものを除く
- 上音標獅子神楽
- 幌別川川尻チャシ
- 音標のゴメ島
- エゾサンショーウオ生息地
[編集] 観光
[編集] 祭事
- 枝幸かにまつり
- 毎年7月第1土曜日、日曜日に開催
- 2007年は7月7日と8日に開催
- 毛蟹をはじめとする新鮮な海の幸を買ったり食べたりできる出店、毛蟹早食い競争、毛蟹があたる抽選会、毛蟹の特売、歌謡ショー、地元ヨサコイチーム夢想漣えさしの踊り、その他数々のアトラクションあり。
- 全国各地から数万人の観光客が訪れる年々盛大になっている。
- 毎年7月第1土曜日、日曜日に開催
- よくばりフェスタ
- 毎年10月第1日曜日に道の駅岡島で開催
- 鮭のつかみ取りや特産品販売の出店がある。
[編集] 同音の町
檜山支庁に同じ読みの江差町がある。区別のために枝幸町は「北見枝幸」、江差町は「檜山江差」と呼んで区別することがある。また、テレビやラジオ等では枝幸町は「道北の枝幸町」、江差町は「道南の江差町」と呼んで区別する。
[編集] 出身有名人
- 古川年正 (財)全日本スキー連盟 理事、第11回冬季オリンピック札幌大会アルペン競技出場
- 戸沢真司 ヤマハレーシングチーム所属
- 全日本スノーモービル選手権A級チャンピョン(S1:1995/1998, S2:1996/1997)
- 全日本スノーモービル選手権スーパークラスチャンピョン(2001,2002)
- 村上智彦 医師
[編集] 北海道最初の公立図書館
明治29年(1896年)、国内および世界各国から枝幸に皆既日食の観測隊が次々と訪れた。米国の天文学者デビッド・トッド博士を隊長とする一行も枝幸に観測小屋を建設し皆既日食を待ち構えていたが、当日は曇天で観測は失敗した。それにもかかわらず当時の枝幸の人々が非常に協力的であったことにトッド博士は感激、世話になったお礼として百科事典や文学書などを何冊も寄贈し、何年も続いた結果千冊余りにものぼった。人々は寄贈された図書を後世に読み継がせようと明治36年(1903年)に道の認可を得て北海道最初の公立図書館を枝幸に誕生させた。昭和15年(1940年)の大火で全焼したが、地元の医師の発起と図書の寄贈により昭和53年(1978年)に再建され、今日に至る。
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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