柳家小さん (5代目)

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5代目柳家 小さん(やなぎや こさん、1915年大正4年)1月2日 - 2002年平成14年)5月16日)は、長野県出身の落語家。本名、小林 盛夫(こばやし もりお、4代目桂三木助の本名と同姓同名)。出囃子は『序の舞』。1995年に落語家として初の人間国宝に認定された。

息子は落語家の6代目柳家小さん。娘は元タレント・小林喜美子。孫は元バレエダンサーで俳優の小林十市と、その弟で落語家の柳家花緑。(二人の母が小林喜美子)

目次

[編集] 人物

小さんは生涯を通じて剣道を趣味、特技としていた。13歳のころから剣道を親しみ剣士を目指すも中耳炎で断念している。落語家になっても剣道を続け北辰一刀流の七段範士の資格を持っており、自らも晩年まで七段をよしとせず、八段を目指していたという。更には自宅を改装して剣道場を作って、弟子たちにも剣道を教えていたほどである。生前には財団法人東京都剣道連盟の顧問を務めていた。

滑稽噺を専ら得意とし、巧みな話芸と豊富な表情で多くの観客を魅了し、1979年(昭和54年)に6代目三遊亭圓生が死去してからは落語界の第一人者となる。特に蕎麦をすする芸は有名であり、日本一であるとの声も多い。本人も蕎麦を実際に食する際には、職業柄周囲の目を意識して落語の登場人物さながら汁を蕎麦の端にのみ付けていたらしく、最晩年になってから、「汁を最後まで付けてみたかった」とこれまた登場人物さながらの後悔を語ったという。

数多くの逸話があり、中でも二・二六事件の時のエピソードが有名。反乱部隊の屯所に畑和(後の埼玉県知事)らとともに二等兵として詰めており、上官命令で落語を一席させられた。「子ほめ」を演じたが、反乱の最中で緊張でピリピリしている兵士達が笑うわけがない。「面白くないぞッ!」のヤジに、「そりゃそうです。演っているほうだって、ちっとも面白くないんだから」と返した。一兵卒として警視庁占拠にも参加している。

性格は非常に穏やかなもので、真打昇進の制度を作ったのも「落語家の生活がよくなるように」 と言う願いからであった。そのため一部の落語家が協会を脱退した時は「話し合いにも来ないで」と感じていたらしい。また、弟子が居ない時は一人で掃除や洗濯をするなど苦労を拒まない性格でもあった。

永谷園のCFで人気を博した。また、墓所・墓石業の須藤石材 [1]のCMと広告でも長らく活躍した。永谷園のCFも、須藤石材のCM・広告も、死後、孫の花緑が跡を継いでいる。

墓の案内看板に「これより二つ目 柳家小さん」と書かれていたため、これをネタにした落語家もいたという(現在は「二基目」と書き直されている)。息子の6代目小さんは、「初々しくて良いのではないか」と言うニュアンスの発言を著書で行っている。

[編集] 得意ネタ

時そば」「禁酒番屋」「猫久」「狸賽」「三人旅」「子別れ」「たがや」「宿屋の仇討」「長屋の花見」「親子酒」「粗忽長屋」「うどん屋」「宿屋の富」「笠碁」「かぼちゃ屋」「お化け長屋」「水屋の富」「二番煎じ」「たらちね」「御慶」「真二つ」「青菜」「饅頭こわい」「湯屋番」「強情灸」「にらみ返し」「無精床」「碁泥」ほか多数。

[編集] 略歴

[編集] 出演作品

[編集] TV

[編集] 映画

[編集] CM

[編集] エピソード

  • 本名が同じ「こばやし もりお」である縁で、8代目三升家小勝(表記は小林守巨)に稽古をつけたことがある。
  • 麻布第三連隊に入隊していた頃「二・二六事件」の時に反乱軍の一兵卒で参加している。
  • 同じく人間国宝である3代目米朝と落語国宝二人会を行ったり、息子の三語楼(当時)・孫の花緑と親子三人会をやったことがある。
  • 米朝が人間国宝に認定されたとき、記念番組で「落語界の今後のために、互いに精進していこう」と祝いのコメントを出した。その後、前述の落語会やいくつかの番組で共演をしている。

[編集] 書著

  • 噺も剣も自然体

[編集] 弟子

また、6代目三遊亭圓生の落語協会脱会騒動の際に、破門になった当時の三遊亭さん生を門下に入れ、『川柳川柳』と名づけた。 

[編集] 関連項目

最終更新 2009年11月23日 (月) 02:59 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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