柳川信行

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柳川 信行
四股名 柳川 信行
本名 柳川 信行
愛称 ノブ・ゾーケン・マスケン
生年月日 1974年1月22日(35歳)
出身 高知県高知市
身長 178.5cm
体重 190.5kg
BMI 59.78(標準値は22)
所属部屋 三保ヶ関部屋
得意技 左四つ・寄り
成績
現在の番付 東幕下31枚目
最高位 西十両6枚目
生涯戦歴 332勝337敗24休(83場所)
データ
初土俵 1996年1月場所
趣味 漫画読み
備考
第73代学生横綱
2009年11月3日現在
  

柳川 信行(やながわ のぶゆき、1974年1月22日 - )、は、高知県高知市出身で三保ヶ関部屋所属の現役大相撲力士。本名同じ。最高位は西十両6枚目(2003年9月場所)。得意手は左四つ、寄り。身長178.5cm、体重190.5kg、愛称は本名から「ノブ」、以前の四股名(増健=ますつよし)から「ゾーケン」、「マスケン」、趣味はマンガ読み、好物は焼肉、水瓶座血液型B型、干支は寅年。キュウリが苦手。

目次

[編集] 来歴

相撲小学校4年から始め、それまでは野球をやっていた。高知市立南海中学校3年のとき中学生横綱になり、地元高知工業高校から相撲の名門日本大学へ進学。1995年、4年時に学生横綱のタイトルを獲得し、1996年1月場所幕下付出(60枚目格)で初土俵。同期に同じく幕下付出の海鵬栃乃洋燁司(現・年寄関ノ戸)ら。入門時の周囲の期待は大きかったが、下半身の故障や受け身になりやすい取り口、更には糖尿病の持病もあり、2004年5月場所以降は幕下での低迷が続いている。さらにここ数年は体重の増加に伴い下半身の脆さが目立つようになり、幕下中位以下に低迷している。年齢を考慮すると、関取復帰は極めて困難な状況である。皇司の引退に伴い、2009年5月場所より日本大学出身者では海鵬と並び現役最古参の力士となった。

「増健」(ますつよし)の四股名は、「が悪いので怪我をしないように」と師匠の三保ヶ関が命名した。2004年1月場所を最後に幕下に低迷してからは、元の「柳川」に戻そうと考え、周囲も望んでいたため、亡くなった父の喪が明けたのを機に、2005年11月場所に改名した。この時、日本大学相撲部の後輩で普段より親交の深い濱錦も四股名を本名(高濱)に戻した(2009年7月場所より再び濱錦へ)。

[編集] エピソード

  • 武蔵川部屋の元大関出島(1場所遅れで初土俵、現・年寄大鳴戸)とは学生時代のライバル。
  • 十両時代は紫の締め込みを使用し、さがりが異様に短かった。化粧廻しには、土佐犬が綱を締めている姿が描かれていた。
  • 全盛時は体重が170キロ台前半で、横綱北の湖とほぼ同じ体型であった。
  • 立ち合いは仕切り線の極めて近くから立つ。
  • 一部では本名が「栁川」とされているが、これは相撲雑誌に誤記されたことによる。異字体を区別して表記している「大相撲 記録の玉手箱」でも福柳伊三郎が一部の場所で「福栁」と表記されている一方、柳川の本名は一貫して「柳川」と表記されており、「栁川」との表記はない。
  • 2003年7月場所4日目(2003年7月15日)、北桜
2001年から追加された新しい勝負結果のひとつ、つきひざ[1]で敗れた(十両以上でつきひざが適用されたのはこの時が初めて)。この際、師匠の三保ヶ関は「今日は顔を合わさないように、逃げます。テレビで放送するなら、顔にモザイク入れてください」とのコメントを残した[2](モザイクの対象は三保ヶ関自身であり、増健ではない。増健本人のコメントは「あっと思ったら、相手がいなかった。何しに来たんかなぁ」である)。また、同場所では垣添が11勝4敗で十両優勝したが、増健は10勝5敗(十両での自己最高成績)の優勝次点であり、非技で敗れた一番が惜しまれる。
  • 2004年1月場所
前の11月場所は東十両9枚目で6勝9敗と負け越したが、翌1月場所は関取定員増の恩恵を受け、名目上は同じ地位に据え置かれた(実質は1枚番付を下げている)。この例のように、十両での番付運はよかった。
  • 2004年1月場所12日目(2004年1月22日)、濱錦戦
日大の後輩である濱錦に叩き込みで勝った取組が無気力相撲であったとして、日本相撲協会九重審判部副部長と伊勢ノ海監察委員長から、濱錦とともに厳重注意を受けた。
(なお、この取組があった日は、柳川の30歳の誕生日であった。)
  • 2005年11月場所9日目(2005年11月18日)、北勝岩
負けなしの4連勝で迎えた五番相撲で、日大の後輩である北勝岩との取組に敗れた際、土俵上の砂を掻いて後ろに振り払い、その砂が土俵下の高島審判の顔を直撃。高島に注意された。なお柳川はこの前場所、自分の取り組み後に花道で引き上げる際、北勝岩に挨拶がわりに縦廻しに触れ、気合いを入れるという後輩思いの一面も見られる。
幕下で琴冠佑と対戦し、熱戦の末土俵際で琴冠佑を寄り倒したかに思われ、軍配は柳川に上がった。しかし、物言いが付いて協議の結果、「柳川の足が先に土俵を割っていた」として、行司差し違えで、勇み足で敗れた。柳川が勇み足で敗れたのは1997年1月場所9日目の福薗戦以来3度目。複数種の非技で敗れた経験を持つ力士は珍しい。
  • 2006年7月場所後、三保ヶ関部屋の部屋付き親方であり、師匠から後継指名を受けていたため独立の可能性は低いと見られていた尾上幕内把瑠都らを連れて尾上部屋を興したため、2006年9月場所では久々の部屋頭復帰を果たした。
  • 2007年1月場所9日目(2007年1月15日)、春日国戦
幕下西32枚目にて5連勝したものの、地元高知新聞ホームページの郷土力士欄で5番相撲の結果を黒星と誤記された(しかも、丸二日以上訂正されることなく放置された)。その上、次の6番相撲(11日目、1月17日)で、元弟弟子(入門は三保ヶ関部屋だったが、対戦時は尾上部屋所属)かつ日大相撲部の後輩の境澤に敗れて1敗となったが、4勝2敗と誤記された。
  • 2007年11月場所
東幕下19枚目で、自己ワーストとなる一番相撲からの6連敗を喫する。7番相撲で朝道龍との全敗対決を制し、かろうじて7戦全敗は免れたものの、著しい力の衰えを感じさせた。
  • 2008年11月場所10日目(2008年11月18日)、星風
2勝2敗同士の5番相撲で対戦し、下手投げで星風に敗れたが、この際NHKテレビ放送にて「星風が2勝3敗としています、柳川は1勝4敗の今場所負け越しです」と誤報され、訂正されることなく放送が終了した(正しくは星風が3勝2敗、柳川が2勝3敗である)。ちなみに、その後柳川は7番相撲で実際に負け越した。
  • 2009年3月場所
1996年5月場所以来、約13年ぶりの幕下50枚目台という低い地位(東幕下54枚目)に置かれ、負け越せば自身初となる三段目陥落の危機であったが、5勝2敗の幕下優勝次点という好成績を挙げ、未だ幕下の地位を守るだけの力が残っていることを証明した。
  • 2009年5月場所
1番相撲から5連勝。6番相撲では同体取り直しの末、惜しくも新鋭の舛ノ山に敗れたが、前場所の5番相撲から通算で8連勝を達成し、35歳にして従来の自己記録であった7連勝(1997年11月場所3番相撲~1998年1月場所2番相撲、2000年7月場所4番相撲~9月場所3番相撲)を更新した。
  • 1996年1月場所に幕下60枚目格付け出しで初土俵を踏んで以来、現在(2009年7月場所)まで丸13年間以上、幕下十両の地位を保っている(幕内および三段目以下の経験が無い)。この記録は、強すぎずかつ弱すぎず、中途半端な実力を維持できないと達成しえないものである。現在、昭和33年以降の未入幕幕下付出力士の通算在位記録を更新中である。また通算勝率は常に5割前後をキープしている。

[編集] 幕下での場所別成績

十両成績は下記外部リンク「関取名鑑(増健 亘志)(大相撲 記録の玉手箱内)」を参照

場所 地位 勝数 敗数 休場 備考
平成8年(1996年)1月 幕下60枚目付出 5 2 0 -
平成8年(1996年)3月 西幕下37枚目 2 5 0 -
平成8年(1996年)5月 西幕下55枚目 4 3 0 -
平成8年(1996年)7月 西幕下45枚目 5 2 0 幕下優勝次点
平成8年(1996年)9月 東幕下27枚目 5 2 0 増健亘志
平成8年(1996年)11月 東幕下14枚目 3 4 0 -
平成9年(1997年)1月 西幕下21枚目 3 4 0 -
平成9年(1997年)3月 東幕下31枚目 6 1 0 幕下優勝同点
平成9年(1997年)5月 東幕下13枚目 4 3 0 -
平成9年(1997年)7月 東幕下7枚目 4 3 0 -
平成9年(1997年)9月 東幕下6枚目 4 3 0 -
平成9年(1997年)11月 東幕下5枚目 5 2 0 -
平成10年(1998年)1月 西幕下1枚目 4 3 0 十両昇進
平成10年(1998年)7月 東幕下3枚目 2 5 0 -
平成10年(1998年)9月 西幕下15枚目 4 3 0 -
平成10年(1998年)11月 東幕下12枚目 4 3 0 -
平成11年(1999年)1月 東幕下7枚目 4 3 0 -
平成11年(1999年)3月 西幕下4枚目 5 2 0 十両昇進(2)
平成11年(1999年)7月 東幕下7枚目 3 4 0 -
平成11年(1999年)9月 東幕下12枚目 0 5 2 -
平成11年(1999年)11月 東幕下47枚目 0 0 7 公傷制度適用
平成12年(2000年)1月 東幕下47枚目 5 2 0 -
平成12年(2000年)3月 西幕下29枚目 5 2 0 -
平成12年(2000年)5月 東幕下17枚目 4 3 0 -
平成12年(2000年)7月 西幕下11枚目 6 1 0 幕下優勝次点(2)
平成12年(2000年)9月 西幕下2枚目 4 3 0 十両昇進(3)
平成13年(2001年)1月 西幕下4枚目 5 2 0 十両昇進(4)
平成14年(2002年)1月 西幕下5枚目 2 5 0 -
平成14年(2002年)3月 西幕下16枚目 4 3 0 -
平成14年(2002年)5月 東幕下13枚目 5 2 0 -
平成14年(2002年)7月 西幕下5枚目 1 3 3 -
平成14年(2002年)9月 西幕下23枚目 0 0 7 公傷制度適用(2)
平成14年(2002年)11月 西幕下23枚目 5 2 0 -
平成15年(2003年)1月 西幕下12枚目 5 2 0 幕下優勝次点(3)
平成15年(2003年)3月 東幕下4枚目 4 3 0 -
平成15年(2003年)5月 西幕下1枚目 4 3 0 十両昇進(5)
平成16年(2004年)5月 東幕下6枚目 1 5 1 -
平成16年(2004年)7月 東幕下22枚目 6 1 0 幕下優勝次点(4)
平成16年(2004年)9月 東幕下8枚目 1 6 0 -
平成16年(2004年)11月 西幕下26枚目 4 3 0 -
平成17年(2005年)1月 西幕下21枚目 5 2 0 -
平成17年(2005年)3月 東幕下14枚目 5 2 0 幕下優勝次点(5)
平成17年(2005年)5月 東幕下7枚目 3 4 0 -
平成17年(2005年)7月 東幕下11枚目 2 5 0 -
平成17年(2005年)9月 東幕下23枚目 5 2 0 -
平成17年(2005年)11月 東幕下14枚目 5 2 0 柳川信行
平成18年(2006年)1月 西幕下6枚目 2 5 0 -
平成18年(2006年)3月 東幕下16枚目 1 2 4 -
平成18年(2006年)5月 東幕下39枚目 4 3 0 -
平成18年(2006年)7月 東幕下30枚目 6 1 0 幕下優勝次点(6)
平成18年(2006年)9月 東幕下11枚目 2 5 0 -
平成18年(2006年)11月 東幕下25枚目 3 4 0 -
平成19年(2007年)1月 西幕下32枚目 5 2 0 -
平成19年(2007年)3月 東幕下20枚目 4 3 0 -
平成19年(2007年)5月 東幕下16枚目 5 2 0 -
平成19年(2007年)7月 西幕下7枚目 3 4 0 -
平成19年(2007年)9月 西幕下10枚目 2 5 0 -
平成19年(2007年)11月 東幕下19枚目 1 6 0 -
平成20年(2008年)1月 東幕下42枚目 4 3 0 -
平成20年(2008年)3月 西幕下32枚目 4 3 0 -
平成20年(2008年)5月 東幕下25枚目 2 5 0 -
平成20年(2008年)7月 西幕下40枚目 5 2 0 幕下優勝次点(7)
平成20年(2008年)9月 西幕下27枚目 4 3 0 -
平成20年(2008年)11月 東幕下19枚目 3 4 0 -
平成21年(2009年)1月 西幕下28枚目 1 6 0 -
平成21年(2009年)3月 東幕下54枚目 5 2 0 幕下優勝次点(8)
平成21年(2009年)5月 西幕下34枚目 6 1 0 幕下優勝次点(9)
平成21年(2009年)7月 西幕下12枚目 2 5 0 -
平成21年(2009年)9月 西幕下24枚目 3 4 0 -
通算 249 210 24

[編集] 主な成績

2009年9月場所終了現在

  • 通算成績:332勝337敗24休(83場所)
  • 十両成績:83勝127敗(14場所)
  • 十両準優勝:1回
  • 十両昇進回数:5回(1年6場所制導入以降では史上8位タイ)
  • 幕下優勝同点:1回
  • 幕下優勝次点:9回

[編集] 改名歴

  • 柳川 信行(やながわ のぶゆき)1996年1月場所-1996年7月場所
  • 増健 亘志(ますつよし -)1996年9月場所-2005年9月場所
  • 柳川 信行(やながわ -)2005年11月場所-

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月9日 (月) 08:24 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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