柳生封廻状

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柳生封廻状(やぎゅうふうかいじょう)は、『子連れ狼』に登場する秘密文書で、裏柳生配下の“”と称される全国に配された密偵が、裏柳生の総帥に、自身の配されたの様子等を伝えたもののこと。

この秘密文書は、迅速かつ確実に裏柳生の総帥にもとに届くべく以下の方法で江戸に運ばれる。

江戸幕府が地方統治の要として要地に配した京都所司代大坂城代長崎奉行等の遠国奉行及び諸大名が将軍老中に宛てた文書の文面の上に密かにの葉を溶かした薬品で書き込む(この薬品は無色透明なために事情を知らぬ物に気付かれることはない)。この文書は葵の紋の入った御状箱と呼称される箱に入れられ、江戸に運ばれる(尚、この御状箱に入れられた文書は何よりも優先させて運ばれなければならぬため、大井川が増水で通行禁止になっていても、御状箱を扱う者については通行を許されている)。

江戸に入り、将軍及び幕閣要人が目を通した後、これ等の文章は奥御祐筆に下げ渡され、特に必要とされるものを除き、何処から届けられたものか等を記録した後に廃棄されることとなる。

しかし、裏柳生は奥御祐筆の差配を行う奥御祐筆組頭に“草”を入れ、廃棄されるべき文書を自らの手に入れ、これをに喰わせ、虫食い文書にして、各藩の情報を手に入れたのである。

この文書の存在はかねてから、幕閣要人や諸大名の間では噂となっており、

<柳生封廻状を手に入れれば、天下の実権を得たも同じ。>

と、言われるようになる。

後に、拝一刀が大井川の人足(裸虫)に混じって、京都所司代板倉重昌から幕閣に宛てたこれを奪い、さらにこれを一刀の子・大五郎から阿部頼母が奪い、公方に献じて

<柳生に謀反の兆しあり。>

と、讒訴して、柳生烈堂は窮地に追い込まれることとなった。

一刀が手にした回状には「癸卯六月貳日」との記載があるため、寛文3年6月2日に記されたものと見られ、劇中の時代特定の有力な手がかりとなっている。

最終更新 2009年3月4日 (水) 14:26 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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