柴原洋

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柴原 洋
福岡ソフトバンクホークス #1
基本情報
国籍 日本
出身地 福岡県北九州市小倉北区
生年月日 1974年5月23日(35歳)
身長
体重
174cm
75kg
選手情報
投球・打席 左投左打
守備位置 外野手
プロ入り 1996年 ドラフト3位
初出場 1997年4月5日
年俸 1億2000万円+出来高(2009年・推定)
2009年から2年契約中[1]
経歴(括弧内は在籍年)

柴原 洋(しばはら ひろし、1974年5月23日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手外野手)である。

目次

[編集] プレイスタイル

俊足のバッターにありがちな「叩きつけて出塁する」「広角に打ち分ける」というバッティングではなく、ミートポイントを前にして強いライナーを打つバッティングと勝負強さが持ち味である。4度の打率3割を記録する好打者であるが、好不調の波が大きいことが弱点。また前でボールを捉えるために体の開きが早くなり、左投手の変化球を苦手としている。不調に終わった2002年は徹底的にこの点を攻められ100三振を記録してしまった。俊足であるが、そのわりに盗塁は少なく、通算で81盗塁しか記録していない。

広い守備範囲と強肩を生かした守備には定評があり、3度のゴールデングラブ賞を受賞している。

[編集] 経歴

[編集] プロ入り前

北九州高校時代は「4番・エース」として、3年春の九州大会でベスト8の成績を残した。その後、九州共立大学に進学と同時に野手転向。福岡六大学首位打者を4回、本塁打王を3回、打点王を4回、MVPを2回それぞれ獲得、「福六のイチロー」と称されることもあった。3年秋には三冠王に輝いた。

[編集] プロ入り後

1997年
ドラフト3位でダイエー(現ソフトバンク)に入団。当時の背番号は31。
1998年
新助っ人ライアン・トンプソンを押しのけ中堅手のレギュラー獲得。打率.314、18盗塁ベストナインに選ばれる。
1999年
打率を落としたものの試合数を増やし、22盗塁を記録。8月19日オリックス戦で徳元敏から逆転サヨナラホームランを放つなど、福岡ダイエーホークス初のリーグ優勝・日本一にレギュラーとして貢献。
2000年
プロ入り初めて135試合フル出場し打率.310を記録。リーグ2連覇に貢献し2度目のベストナイン、初のゴールデングラブ賞に選ばれる。この年から小久保裕紀松中信彦城島健司とあわせ「ホークス四天王」と言われる(これは当時のホークスでの1億円プレイヤー4人を指したものでもある)。
2001年
4月29日の対近鉄戦で日本タイ記録となる1試合4二塁打。最終的に2年連続の打率3割(.302)、両リーグトップの刺殺補殺数を記録。ゴールデングラブ賞に輝くが、チームは2位に終わる。
2002年
調子を落とし.269に終わり、2年連続の100三振を記録する。
2003年
脇腹痛で開幕に間に合わず、1番センターには打撃改造で復活した村松有人が定着していたため8番ライトに回る。しかし腐ることなく存在感を発揮し、自己最高の打率.333、53打点を記録。ダイハード打線の脇を固め、リーグ優勝、日本一に貢献。3度目のゴールデングラブ賞に選ばれた。
2004年
2002年に引退した秋山幸二の永久欠番となる予定であった背番号を1を受け継ぎ、チームリーダーとして期待されたが、故障などもあり99試合の出場に留まった。この年から腰痛に悩まされ、不振が続くこととなった。
2005年
複数年契約を自ら返上し決意のシーズンであったが、こだわりを持つ1番センターの座にはFA移籍してきた大村直之が定着。自らの故障や宮地克彦の活躍もありわずか59試合の出場に終わる。
2006年
開幕スタメンは逃したものの、代打として結果を残し4月からはレギュラーに。序盤は好調だったものの、6月から8月まで打率2割そこそこと完全復活とまでは至らなかった。2003年以来となる100試合以上出場、100安打を記録(打率.277)。また通算1000試合出場を達成。FA権も取得したが、行使せずに残留することを表明した。
2007年
2年ぶりの開幕からの6番ライトでスタメン出場を果たす。春先は2割2分にとどまるものの、サヨナラ本塁打を放つなど勝負強いバッティングを見せつけ、交流戦にかけては一時打率リーグトップ10にも入った。後半戦は不調な期間もあったが、持ち前の強肩でサヨナラ阻止などの守備での活躍も数多く見せた。4年ぶりに規定打席に到達し、117安打(打率.273)6本塁打40打点。同シーズンはフォームやバットの試行錯誤がかなり見られた。シーズン終了後FA権を保持していたが、行使せずに残留することを表明した。
2008年
開幕の対楽天戦でドミンゴ・グスマンから逆転サヨナラ3ランを打ち、久米勇紀新人開幕勝利をもたらした。開幕戦逆転サヨナラ本塁打は1994年に西武の伊東勤以来でプロ野球史上2人目。開幕戦サヨナラ本塁打も伊東以来で14年ぶり6人目(6本目)。以降「5番・右翼」で活躍したが、前半戦終盤に腰痛を悪化させ、9月9日まで二軍での調整を余儀なくされる。ファン投票で選出されたオールスターゲームも出場を辞退した。
2009年
3年連続となる開幕戦スタメン出場を果たすが、開幕から24打席連続で無安打を記録し、25打席目での初安打以降も不調の状態が続いた。5月8日、故障で離脱していた多村仁志村松有人の昇格に伴って一軍登録を抹消された。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績
































O
P
S
1997 ダイエー
ソフトバンク
66 98 88 6 14 1 0 1 18 2 0 1 5 0 5 1 0 28 1 .159 .204 .205 .409
1998 111 454 385 54 121 14 3 2 147 35 18 7 14 5 47 1 3 88 3 .314 .389 .382 .770
1999 131 539 464 68 122 15 4 5 160 26 22 11 15 0 58 1 2 86 3 .263 .347 .345 .692
2000 135 597 520 78 161 32 6 7 226 52 10 9 13 2 58 0 4 91 6 .310 .382 .435 .816
2001 139 644 587 95 177 35 2 7 237 49 8 7 6 4 46 1 1 102 4 .302 .351 .404 .755
2002 133 555 509 73 137 33 2 4 186 43 5 5 21 6 17 0 2 101 6 .269 .292 .365 .658
2003 112 479 426 71 142 26 0 4 180 53 11 2 7 6 38 2 2 60 9 .333 .386 .423 .808
2004 99 398 358 50 97 27 1 7 147 39 1 2 6 7 22 0 5 47 8 .271 .316 .411 .727
2005 59 210 188 23 50 7 0 1 60 15 0 1 3 1 15 0 3 29 1 .266 .329 .319 .648
2006 121 414 361 52 100 16 6 3 137 48 6 3 3 5 38 2 7 67 9 .277 .353 .380 .732
2007 133 472 429 46 117 28 3 6 169 40 1 3 10 3 27 5 3 75 5 .273 .318 .394 .712
2008 96 369 339 30 94 17 0 3 120 34 2 1 3 1 22 0 4 55 4 .277 .328 .354 .682
2009 37 119 97 6 20 2 1 0 24 7 0 0 3 0 17 2 2 24 3 .206 .247 .336 .584
通算:13年 1372 5348 4751 652 1352 253 28 50 1811 443 84 52 109 40 410 15 38 853 62 .285 .344 .381 .725
  • 2009年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更

[編集] 背番号

  • 31 (1997年 - 2003年)
  • 1 (2004年 - )

[編集] タイトル・表彰

  • ベストナイン:2回(1998年、2000年)
  • ゴールデングラブ賞:3回(2000年、2001年、2003年)
  • オールスターゲーム出場:3回(2000年、2001年、2006年)
  • 月間MVP賞(2008年3,4月)

[編集] 個人記録

[編集] 登場曲

2005年
Def Tech「My way」
2006年
SunSet Swish「マイペース」(序盤)
平井堅「POP STAR」(4月末以降)
2007年
レミオロメン「3月9日」
永田一朗「SPARKLE!」 柴原のためのオリジナル曲
2008年
九州男「1/6000000000 feat.C&K」(序盤)
大橋卓弥「はじまりの歌」(5月以降)
永田一朗「hiro my hero」 柴原のためのオリジナル曲
レミオロメン「もっと遠くへ」(9月以降)
  • 2007年からはオリジナル曲も使用。2007年は「3月9日」、2008年は「1/6000000000 feat.C&K」「はじまりの歌」「もっと遠くへ」と交互で流している。
2009年
ビーグルクルー「Let'sGO!!」(奇数打席)
永田一朗「hiro my hero」 柴原のためのオリジナル曲(偶数打席)

[編集] エピソード

  • 柴原は左投げ左打ちだが、実は幼少よりれっきとした右利きである。
左投げをするようになったのは、小学生時代に野球の手ほどきをした実父が「どうせさせるなら投手、しかも手薄な左投げにしてみたい」と洋に左投げをさせたのがきっかけ。すると洋は右投げと遜色のない投球をしたため、以降はずっと左投げで通し、野手転向してからも左投げを続けている。ちなみに足も右利きで、スライディングでも右足が前に出る。
  • 高校時代に1年先輩のたけし軍団お宮の松からセンターのポジションを奪う。そのためお宮の松はレフトコンバートされている。また、高校時代の同級生には山本高広がいる。
  • 大村直之とは大村が大阪近鉄バファローズ在籍中、そして大村がホークスへ加入し外野定位置争いのライバルとなったときも変わらぬ良い仲であった(大村は2008年オフにオリックスバファローズへ移籍)。
  • 福岡ダイエーホークスから福岡ソフトバンクホークスに変わって、初の本塁打を放った選手である。
  • 1996年ドラフト3位指名で入団した柴原だが、ドラフト1位は井口忠仁、2位が松中信彦だった。また、下位では倉野信次岡本克道などが指名されておりダイエーとしては球団史に残る大成功ドラフトであった。なお、ドラフト時には、大学屈指の強打者として上位指名候補に挙げられる人気選手であり、中日がドラフトぎりぎりまで上位での強行指名を検討したとされるが、最終的に「ダイエー以外なら社会人のローソン(現在は廃部)入りする」と公言した本人の希望が成就した。
  • 2007年2月4日投開票の北九州市長選挙のイメージキャラクターを務める。テレビCMでは、福岡Yahoo!JAPANドームのベンチと思われるところからユニフォーム姿で「投票に行こう」と呼びかけている。
  • 幼少時代は西武ファンで、後にチームメイトとなる秋山幸二と当時から西武の主砲だった清原和博に憧れていた。2002年、秋山が現役引退を発表した日の試合でお立ち台に登り、「秋山さんのために今日は何としても勝ちたかった」と涙を浮かべた。
  • 出場試合数と通算安打数を気にしており、2007年10月5日のシーズン最終戦で無安打に終わり、通算成績は1239試合1238安打と出場試合数を安打数が割ってしまったときは非常にショックだったと語っている[1]2008年シーズン終了時においても1335試合出場、1332安打と依然として安打数が割ってしまっている。
  • プロ入り時、同年にコーチとしてホークスに入団した島田誠2006年に退団)と、引退までに島田の通算安打数(1504本)を越えるという約束をしている。2008年シーズン終了時であと172安打であり、順調にいけば2009年もしくは2010年シーズンでの達成が見込まれる。

[編集] 脚注

  1. ^ ソフトB柴原複数年契約「生涯ホークス」 - プロ野球 契約更改ニュース : nikkansports.com

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク


最終更新 2009年11月28日 (土) 09:38 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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