柴山兼四郎

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柴山 兼四郎(しばやま けんしろう、1889年5月1日 - 1956年1月23日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

[編集] 経歴

茨城県出身。柴山定次郎の三男として生まれる。下妻中学校卒、拓殖大学中退を経て、1912年(明治45年)5月、陸軍士官学校(24期)を卒業。同年12月、輜重兵少尉に任官し輜重兵第14大隊付となる。1922年(大正11年)11月、陸軍大学校(34期)を卒業した。

1923年(大正12年)6月、輜重兵第14大隊中隊長となり、参謀本部付勤務、参謀本部員、参謀本部付(支那研究員)、参謀本部員などを経て、1928年(昭和3年)11月、張学良顧問補佐官に就任した。1931年(昭和6年)11月、参謀本部員となり、支那公使館付武官補佐官北平)、参謀本部付(欧米出張)、輜重兵第18大隊長などを歴任し、1936年(昭和11年)3月、輜重兵大佐に昇進した。

1937年(昭和12年)3月、陸軍省軍務局軍務課長となり、天津特務機関長を経て、1939年(昭和14年)3月、陸軍少将に進級。同年8月、中支那派遣軍司令部付となり、第11軍司令部付(漢口特務機関長)、輜重兵監部付、陸軍輜重兵学校長などを歴任し、1941年(昭和16年)10月、陸軍中将に進み輜重兵監に就任。

1942年(昭和17年)4月、第26師団長に親補された。南京政府最高軍事顧問を経て、1944年(昭和19年)8月から翌年7月まで陸軍次官を務めた。1945年(昭和20年)5月、大本営兵站総監を兼務。同年7月、予備役に編入された。1948年(昭和23年)5月、戦犯容疑により拘留され、同年11月、禁錮7年の判決を受け、1951年(昭和26年)8月、仮釈放された。

1953年(昭和28年)8月、軍人恩給全国連合会会長に就任した。

[編集] 親族

  • 長男 柴山秀夫(陸軍少佐
  • 義兄 遠山登(陸軍中将)

[編集] 参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。

最終更新 2009年11月14日 (土) 15:20 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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