柴田善臣

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柴田善臣
ローエングリン号に騎乗する柴田善臣
基本情報
国籍 日本
出身地 青森県上北郡東北町
生年月日 1966年7月30日(43歳)
身長 164.0cm
体重 53.0kg
血液型 A型
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会
所属厩舎 フリー
初免許年 1985年
免許区分 平地
経歴
所属 1985年 - 1993年
中野隆良厩舎 (美浦)
1993年 -
フリー (美浦)
  

柴田 善臣(しばた よしとみ、1966年7月30日 - )は日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンター所属の騎手である。

調教師柴田政見柴田政人、元騎手の柴田利秋の甥にあたり、元プロ野球選手柴田博之はいとこにあたる。

目次

[編集] プロフィール

[編集] 来歴

1982年競馬学校の第一期生として入学。1985年に騎手免許を取得し、美浦の中野隆良厩舎所属でデビュー。初騎乗は同年3月9日中山競馬第6競走のイズミサンエイで5着、初勝利は同年4月7日の中山競馬第3競走のイズミサンエイであった。同年は12勝を挙げ、民放競馬記者クラブ賞(新人騎手賞)を受賞している。1988年中山牝馬ステークスで、主戦の柏崎正次騎手が斤量50kgで騎乗できない為に代打としてソウシンホウジュに騎乗し、重賞初勝利を挙げた。

1993年安田記念ヤマニンゼファーに騎乗し、GI初勝利を挙げた。これ以降、安定して勝利を重ね、関東の有力騎手として台頭。JRA通算1800勝以上を挙げ、ワールドスーパージョッキーズシリーズも2度制覇(1999年2003年)している。そして、掲示板(5着以内)へ頻繁に入着する堅実な騎乗で3年連続JRAの関東リーディングジョッキー(2002年-2004年)に輝いている。また、夏の新潟福島開催で好成績を残しており、中でも2002年から2004年にかけて3年連続で新潟リーディングジョッキーに輝いているほか、2001年7月14日の新潟競馬第10競走「NiLS21ステークス」でのツジノワンダーを騎乗して出した芝2000mの日本レコード1分56秒4は未だ破られていない。

一方で、中央GIを6勝していながら、クラシックのGIは未勝利である。また、その6勝全てが東京と中京の左回りの競馬場である。JRA主要競馬場の1つの京都競馬場重賞は長く未勝利であったが、2007年マイネルスケルツィ京都金杯を勝ったことにより、重賞を勝っていない競馬場は函館小倉となった。

2001年から2005年の間は中央GIを勝つことができず、また見せ場も少なかった。しかし2006年高松宮記念で6年振りの中央GI制覇を果たしたのを皮切りに、桜花賞、ヴィクトリアマイル、優駿牝馬といった牝馬GIの舞台で、人気薄の馬を好走させている。そして、続く東京優駿でも、初騎乗のアドマイヤメインで2着に入った。惜しくもダービージョッキーとなることは出来なかったが、例年のイメージと異なるその姿は、周囲を驚かせるに十分であった。

重賞4勝馬ワシントンカラーを始め、管理馬の数多くを柴田に騎乗依頼している調教師の松山康久は、柴田を「騎乗馬の状態判断が的確であり、義理堅く、丁寧なやりとりをしてくれている」と語っているように関係者からの評判もよい。また、2005年3月に岡部幸雄が引退したのに伴い、日本騎手クラブの会長に就任している。かつては叔父の柴田政人も騎手時代に務めていた。

高橋祥泰厩舎に実習に来た競馬学校2年時の田中博康(現騎手)に、調教の仕方を教えたということもあった。柴田は「常に馬と会話をしながら乗りなさい」と教え、田中はその柴田を「本当に丁寧な調教をされる」と敬意をもって評している。[1]また田中は「先輩騎手から技術を盗めるとしたら、どの騎手のどの部分が欲しい?」といった質問を受けた際も、「善臣さんのレースに行っての折り合いのつけ方」と回答している。[2]

かねてより腰の不安が指摘されていたが、2009年1月4日の中山競馬で9年7ヶ月ぶりの騎乗停止処分を受けたため、それを機会に休養し腰椎ヘルニアの手術を受けた。[3]その後約1ヶ月のリハビリに専念し、2月21日の東京競馬にて復帰、22日にはフェブラリーステークスでナンヨーヒルトップに騎乗した。

[編集] 代表騎乗馬

ホクトヘリオス
柴田が初めて出会った名馬。今でも「ヘリオスに競馬を教わった」旨の発言をすることがある。古馬となってマイル路線に定着後に、柴田とのコンビが結成された。レースぶりは不器用そのもので、いつも後方から追い込む戦法であった。GIIまでは通用したがGIでは足りず、1着馬がゴール板に達する頃に大外から追い込んで掲示板に載る程度の成績であった。最後までGIを勝つことは無かったが、柴田とのコンビでは重賞3勝を挙げる。
ホクトビーナス
ホクトヘリオスの半妹で、兄と同じ中野隆良厩舎の管理馬。1989年のデビュー戦での勝利が、柴田のJRA通算100勝目となった。ダートで2連勝し、同年の桜花賞に出走したが武豊騎乗のシャダイカグラの2着に終わり、後に自著で「あの頃は未熟で、今騎乗していたならば勝っていた」と言うほど悔いの残るものであった。
マチカネタンホイザ
父は名種牡馬ノーザンテースト。母系も数々の名馬を輩出したスターロツチ系のため大変期待されていたが、血統に似合わぬズブさのため、大レースに出走するものの掲示板に載るのがやっとの有様であった。そして『一流半』の烙印を押された所で柴田に手綱が巡り、このコンビでアメリカジョッキークラブカップなど重賞を2勝した。なお、旧6歳(現5歳)秋にはジャパンカップを鼻出血で、有馬記念を蕁麻疹により連続で出走を取り消すという珍事件(いずれも柴田が騎乗する予定であった)を起こした。
タイキフォーチュン
1996年の第1回NHKマイルカップを優勝。勝ちタイム1分32秒6は、2004年キングカメハメハに破られるまでのレースレコード。柴田が騎乗することの多い厩舎の一つである、高橋祥泰厩舎の管理馬。
オフサイドトラップ
サイレンススズカが故障を発生し競走中止となった1998年天皇賞(秋)の優勝馬。ナリタブライアンと同期で、8歳(現・7歳)の天皇賞制覇は史上最年長勝利。
キングヘイロー
1999年東京新聞杯より手綱を取り、2000年高松宮記念を優勝。
ホットシークレット
2001年第115回目黒記念(GII)では、本来逃げ馬であるはずのこの馬を柴田の判断でわざと出遅れさせ、そのまま最後方から追い上げ、レコードタイムで勝利した。
プリエミネンス
1997年生まれのアフリート産駒。川崎関東オークス(統一GIII)を初め、札幌エルムステークス浦和浦和記念(統一GII)など各地の交流重賞8勝すべてを、柴田とのコンビで挙げた。牝馬ながら2002年のJBCクラシックではアドマイヤドンの2着になるなど、男勝りな面も見せ、国内で3年間タフに活躍した。現在はアメリカ繁殖牝馬として過ごしている。
サウスヴィグラス
柴田を主戦騎手とする高橋祥泰厩舎に所属した1996年生まれの外国産馬で、種牡馬エンドスウィープの代表産駒の1頭。7歳時、柴田を背にJBCスプリントを初め重賞8勝を挙げた。
オレハマッテルゼ
柴田にとって6年ぶりの中央GI勝利となった、2006年高松宮記念馬。馬主は個性的な馬名を付けることで有名な小田切有一。馬名の由来は石原裕次郎のヒット曲「俺は待ってるぜ」から。ゴール前で抜け出すと遊ぶ癖があり惜敗することが多かった。マイル戦を中心に使われてきた同馬にとって高松宮記念は初挑戦の1200m戦であったが、前記の癖を掴んでいた柴田は馬を騙す為にあえてマイルでのレース運びをし、見事勝利へ導いた。
マイネルスケルツィ
京都競馬場での初の重賞制覇をもたらした馬。
アサヒライジング
2006年のアネモネステークスより、当時騎乗停止中であった小林淳一から乗り替わりコンビを組む。優駿牝馬ヴィクトリアマイルでもコンビを組んで好走。

[編集] 成績

[編集] 年度別騎乗成績

※勝利数が太字になっている年は関東リーディングジョッキーを獲得したことを意味する。勝利数、重賞勝利数は中央競馬のみ。斜字は統一GIを指し、勝利数、重賞勝利数に含まれない。

年度 勝利数 重賞勝 GI級競走勝利 表彰
1985年 12 0 民放競馬記者クラブ賞(新人騎手賞)
1986年 9 0
1987年 26 0
1988年 50 3
1989年 66 3
1990年 59 3
1991年 37 3
1992年 35 3
1993年 69 4 安田記念ヤマニンゼファー
天皇賞(秋)(ヤマニンゼファー)
1994年 78 1 優秀騎手賞(勝利度数部門)
1995年 87 5 優秀騎手賞(勝率部門・賞金獲得部門)
フェアプレー賞(関東)
1996年 80 6 NHKマイルカップタイキフォーチュン 優秀騎手賞(勝利度数部門)
フェアプレー賞(関東)
1997年 100 3 優秀騎手賞(勝利度数部門・賞金獲得部門)
1998年 109 4 天皇賞(秋)(オフサイドトラップ 優秀騎手賞(勝利度数部門)
1999年 105 6 優秀騎手賞(勝利度数部門・勝率部門・賞金獲得部門)
2000年 71 4 高松宮記念キングヘイロー フェアプレー賞(関東)
2001年 129 3 優秀騎手賞(勝利度数部門・賞金獲得部門)
2002年 120 7 優秀騎手賞(勝利度数部門・勝率部門・賞金獲得部門)
フェアプレー賞(関東)
2003年 119 3 JBCスプリントサウスヴィグラス 優秀騎手賞(勝利度数部門・勝率部門・賞金獲得部門)
2004年 145 3 ジャパンダートダービー(カフェオリンポス) 優秀騎手賞(勝利度数部門・勝率部門・賞金獲得部門)
2005年 106 3 フェアプレー賞(関東)
2006年 99 4 高松宮記念(オレハマッテルゼ
2007年 58 3 フェアプレー賞(関東)
2008年 56 0 フェアプレー賞(関東)

[編集] 日本国外での騎乗成績

騎乗日 騎乗馬 レース名 距離 着順 開催場
1995年12月10日 ドージマムテキ 香港国際ボウル 芝 1400m 5/14 香港 沙田
2002年3月23日 ホットシークレット ドバイシーマクラシック 芝 2400m 7/15 アラブ首長国連邦 ナド・アルシバ

[編集] エピソード

競馬が一番の趣味と断言する柴田は、プライベートにおいても趣味の人として知られる。2005年11月にはNHKBSの『にっぽん釣りの旅~伝統のカモシで誘え 巨大ヒラマサ~』にゲスト出演するなど、釣りの腕前はプロからも一目置かれている。番組内での釣果はゴマサバマダイのみだったが、後日再挑戦に成功した。[4]

2006年7月には、自分の次男・三男や、釣り仲間の谷中公一調教助手(元騎手)と共に、茨城県日立沖でメバル釣りに挑戦した。柴田は釣りと競馬を重ね合わせた勝負哲学を披露しながら、13匹という最大の釣果を挙げた。そして最後は騎乗馬のオレハマッテルゼを引き合いに出し「こんな楽しい乗船依頼なら、いつでもおれは待ってるぜ」という名言で締めくくった。[5]これは日刊スポーツの企画であったが、柴田はプライベートでも、7月・8月の新潟競馬開催期間に息子を連れて海へ出かけるなど、子煩悩な一面を見せている。

また「どの釣りが好きか?」との問いに対しては「すべての釣りが好き。川でも海でも磯でも船でも。どんな釣りというより、普段の仕事・生活から離れて、自然の中で釣りに没頭する。その状況自体が好きなんだよね。」と答えている。[6]

動物好きの柴田は猛禽類も愛し、以前はハヤブサの「ピー」を飼っていたが、野生に帰った(逃げられた)為、現在はノスリの「クー」ほか、計2羽の鷹を飼っている(しかし騎手会長職等の多忙さから今は手元にいない)。また、夫人が中心ではあるがのブリーディングも手掛け、休日(平日)にはドッグショーにも参加し、自らハンドリングもする。代表格の「ジェリタ」を初め、犬達の名前はバリ島に傾倒する夫人により名付けられ、それぞれインドネシア語に由来する。2006年FCIアジアインターナショナルドッグショーにて愛犬のサルーキーがBOB(ベストオブブリード)を獲得した。[7]

さらに夫人のバリ島好きはそれだけにとどまらず、現地から輸入したテーブルやオブジェで装い、バリのリゾートを再現したレストラン、アジアンダイニング『ジェリタ』をも経営するに至っている。中国料理出身の桜井シェフによるインドネシア料理の数々は、日本人の舌に絶妙に合う一級品との定評がある。

柴田自身もワインについて造詣が深く、ワインの同好会に参加するほか、自身のブログの中でワインを選ぶ際のポイントや、愛用のワイングラス「ロブマイヤー・バレリーナ」について述べている[8]。さらに趣味は多岐に渡り、2008年秋には当時日本に1台も輸入されていなかったイタリア製の三輪スクータージレラFUOCO500ieを購入したことをブログで取り上げていた[9]。ブログはその後「騎手会長の仕事がかなり忙しくなってきたため」休止している。

2006年6月14日プロ野球千葉ロッテマリーンズ横浜ベイスターズ戦では始球式のプレゼンターを務めた。当日は背番号「ヨシトミ」のロッテのユニフォームを着用。競馬(関東のGI)のファンファーレが流れる中、一塁側外野のグラウンド入り口から馬に跨って登場。見事なストレートで空振りを奪ったその始球式は、実況の矢野吉彦アナウンサーが、自分が見た始球式の中でベスト3に入ると絶賛するほどであった[10]。しかし柴田本人は「採点をすれば45点」「もっと速い球を投げられるのに打者に当ててはいけないと自重してしまった」と辛口だった。2008年にも千葉マリンスタジアムでの始球式を行ったが、これは前回のストレートとは異なりワンバウンドであり、本人もあまり満足していたとは言えなかった。なお、柴田以外では田中勝春後藤浩輝が投げている。

[編集] テレビ出演

[編集] 著書

[編集] 脚注・出典

最終更新 2009年11月23日 (月) 16:28 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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