柴田政人
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| 柴田政人 | |
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イナリワンに騎乗(1990年4月29日)
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| 基本情報 | |
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| 出身地 | 青森県東北町 |
| 生年月日 | 1948年8月19日(61歳) |
| 騎手情報 | |
| 初免許年 | 1967年 |
| 騎手引退日 | 1995年 |
| 重賞勝利 | 89勝 |
| 通算勝利 | 11728戦1767勝 |
| 調教師情報 | |
| 初免許年 | 1995年 |
柴田 政人(しばた まさと、1948年8月19日 - )は、日本中央競馬会(JRA)所属の騎手、調教師。青森県東北町出身。
岡部幸雄や福永洋一、伊藤正徳らとは同期(馬事公苑花の15期生)にあたる。元調教師の柴田不二男は叔父にあたり、栗東所属の調教師・柴田政見は実兄で、元騎手の柴田利秋は実弟。騎手の柴田善臣とプロ野球・元西武ライオンズの柴田博之は甥。
騎手成績は11728戦1767勝、重賞89勝(以上JRAのみ)。騎手の手腕がより重要視される長距離競走を得意とし、天皇賞を3勝(秋の施行距離が3200mのときを含む)、ステイヤーズステークス(中山競馬場の3600m)を5勝した。
目次 |
[編集] 来歴
- 1964年、馬事公苑の騎手学校15期生として入学。
- 1966年、高松三太調教師の門下に入り、騎手見習いとなる。
- 1967年、高松厩舎の所属騎手としてデビュー。初騎乗は3月4日(エストレリータ・4着)。5月20日、ハーバーウエーブで初勝利を挙げる。6月に現夫人と結婚。
- 1970年1月の京成杯でアローエクスプレスに騎乗し、重賞初勝利。
- 1973年、61勝を挙げて初の関東リーディングジョッキーとなる。
- 1978年、ファンタストで皐月賞に勝利し、初のクラシック制覇。
- 1979年1月、師匠の高松が肝臓癌で死去し、厩舎が解散。生前の高松と親交が深かった境勝太郎の厩舎に一時的に所属。高松の息子の邦男が後を継いで厩舎を開設した際に移籍。
- 1980年、天皇賞(秋)で牝馬プリテイキャストに騎乗し、大逃げを打ち優勝。
- 1981年、ブロケードで桜花賞に勝利し、高松邦男厩舎所属馬でのGI級初制覇。
- 1983年、キョウエイプロミスで天皇賞(秋)に勝利し、通算800勝を大舞台で達成。続くジャパンカップでもスタネーラの2着に入線し、日本馬初の連対を果たす。
- 1985年、ミホシンザンで皐月賞、菊花賞を制覇。1987年には天皇賞(春)を制覇。
- 1986年、オーストラリア遠征で自身初となる海外での勝利を挙げる。
- 1988年、132勝を挙げリーディングジョッキーとなる。
- 1990年、キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスでアサティスに騎乗(3着)。
- 1991年6月、1万回騎乗を達成。7月にはシルバーヘリオスに騎乗し1500勝を達成。
- 1993年3月、引退した郷原洋行の後を受けて日本騎手クラブの会長となる。同年5月30日、ウイニングチケットで悲願であった東京優駿(日本ダービー)を制覇。
- 1993年、JRA史上初となる特別模範騎手賞を受賞。
- 1994年4月24日、東京競馬第6レースでコクサイファーストに騎乗、最後の直線で左前脚故障のあおりを受けて前方に投げ出されるように落馬し頸髄不全損傷ならびに左腕神経叢損傷の重傷を負う。リハビリの末に調教に乗れるまでの回復を見せたが、「日常生活には問題ないが、騎手としての復帰は難しい」との主治医の診断もあり、同年9月6日に引退を表明。
- 1995年2月16日、調教師試験に合格。同年2月26日に中山競馬場にて引退式が行われる。
- 1995年、美浦トレーニングセンターに自厩舎を開業。調教師通算成績は2008年終了時点で2491戦138勝(JRAのみ)。
[編集] 代表騎乗馬
括弧内は柴田鞍上での主な勝鞍である。また、太字は所属した高松三太/邦男厩舎所属馬である。
- アローエクスプレス(京成杯)
- ファンタスト (皐月賞)
- プリテイキャスト(天皇賞・秋)
- ブロケード(桜花賞)
- キョウエイプロミス(天皇賞・秋)
- ミホシンザン(皐月賞、菊花賞、天皇賞・春)
- パーシャンボーイ(宝塚記念)
- フレッシュボイス(安田記念)
- イナリワン(有馬記念)
- ホワイトストーン(アメリカジョッキークラブカップ)
- ウイニングチケット(東京優駿)
[編集] エピソード
[編集] 日本ダービー制覇
1988年の東京優駿直前に開催されたダービーフェスティバルの席上で「ダービージョッキーというのは大変名誉なことですから、ダービーを勝てたら騎手をやめてもいい、というぐらいの気持ちで乗らないとダメですね」と発言した(この年はコクサイトリプルに騎乗し3着)。ところがこの言葉が一人歩きを始めてしまい、「ダービーを勝ったら騎手をやめてもいい」、そして「ダービーを勝ったら引退する」と解釈されてしまい、ウイニングチケットで実際に東京優駿を勝った際には一部のファンから本気で引退するものだと誤解されてしまっていた。そのダービーでは、東京競馬場の長い直線で早めに先頭に立ったことと、ビワハヤヒデ、ナリタタイシンらが追いすがっていたため「持ってくれ!」と絶叫、馬を叱咤激励していたという。見事勝利を飾ったレース後には「世界のホースマンに第60回の日本のダービーを勝った柴田ですと伝えたい」との言葉を残した。
[編集] その他
- アローエクスプレスに関しては、馬主の伊達秀和の意向もあり、皐月賞前に加賀武見に乗り替わりとなった。その苦い経験もあって、他の騎手が手塩にかけた馬を奪うことを極力避けていた。引退までフリー(どこの厩舎にも所属していない騎手)とならなかったのもそのためと言われている。岡部幸雄がフリーになることを勧めたこともあるそうだが、決心はしなかった。
- 2007年4月22日に開催された元騎手によるエキシビジョンレース「第1回ジョッキーマスターズ」でスターターを務めた。またレース後のオークションにも登場し、ウイニングチケットの東京優駿時のサイン入りゼッケンを出品した(落札価格は11万円)。
[編集] メディア
騎手引退後に寿司屋の役でJRAのCMに出演した。
厩舎経営の傍ら、サンケイスポーツ紙で「政人の目」という重賞レース回顧記事を記すほか、NHKでのGIレース中継に解説者として出演することもある。また一時『週刊Gallop』にて「寿司政」という対談コーナーを連載した。「寿司政」の名前は、寺山修司の著作に登場する「寿司屋の政」に由来する。
競馬新聞の馬柱などでは兄である柴田政見(柴田見)がいるため「柴田人」と表記されている。騎手時代も兄・政見が現役だった1990年2月いっぱいまでは「柴田人」だった。
[編集] 関連項目
- 騎手一覧
- 競馬の調教師一覧
- 中央競馬の1000勝以上騎手一覧
- 石橋脩 - 厩舎の所属騎手。
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最終更新 2009年11月2日 (月) 09:53 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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