栃乃和歌清隆
栃乃和歌清隆の最新ニュースをまとめて検索!
| 栃乃和歌 清隆(年寄名:春日野 清隆) | |
|---|---|
| 四股名 | 栃乃和歌 清隆 |
| 本名 | 綛田 清隆 |
| 生年月日 | 1962年5月22日(47歳) |
| 出身 | 和歌山県海草郡下津町丸田 |
| 身長 | 189cm |
| 体重 | 160kg |
| BMI | 44.79 |
| 所属部屋 | 春日野部屋 |
| 得意技 | 右四つ、寄り、上手投げ |
| 成績 | |
| 現在の番付 | 引退 |
| 最高位 | 東関脇 |
| 生涯戦歴 | 588勝621敗24休(87場所) |
| 幕内戦歴 | 525勝591敗24休(76場所) |
| 優勝 | 十両優勝1回 幕下優勝1回 |
| 賞 | 殊勲賞2回 敢闘賞3回 技能賞1回 |
| データ | |
| 初土俵 | 1985年3月場所 |
| 入幕 | 1987年1月場所 |
| 引退 | 1999年7月場所 |
| 引退後 | 年寄 |
| 備考 | |
| 金星4個(大乃国1個、北勝海2個、貴乃花1個) | |
| 2008年12月27日現在 | |
栃乃和歌 清隆(とちのわか きよたか、1962年5月22日 - )は、和歌山県海南市(旧海草郡下津町)出身で、春日野部屋所属の元大相撲力士。本名は、綛田清隆(かせだ きよたか)、身長189cm、体重160kg。最高位は東関脇(1987年11月場所、1992年5月場所)。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。現・年寄11代目春日野。
目次 |
[編集] 来歴
箕島高校から本格的に相撲を初め、明治大学に進み全国大会で優勝するなど活躍した。ただし現在の幕下付出基準である学生横綱、アマチュア横綱、国体優勝などの大きなタイトルを獲得できなかった事もあり、大学卒業と同時に春日野部屋に入門。経営学部出身で卒業論文はマルクス資本論についてだった。1985年3月場所に大学時代からの、ライバル両国(元小結・現年寄境川)と共に幕下付出で初土俵を踏んだ。幕下上位でやや苦労したが、1986年9月場所に十両に昇進した。2場所で十両を通過すると1987年1月場所に新入幕を果たした。以降順調に番付を上げて行き同年7月場所には小結、翌9月場所には関脇まで番付を上げた。
当初は突き押し相撲だったが、四つ相撲に変えてからは左上手を取ると力を発揮した。一時は三役に定着し、千秋楽まで優勝戦線に残ったこともあり、大関を期待されたが、攻めが遅く、さらに体が固く、怪我にも泣かされ昇進はならなかった。特に武蔵丸(第67代横綱)が前頭~三役時代に、対戦した際に全敗(結局23連敗、後述)してしまったのが痛かった。引退まで常に幕内上位で相撲を取り続け、幕内在位は76場所を数えた。1999年7月場所を最後に現役を引退。年寄・竹縄を襲名し、春日野部屋の部屋付きの親方として後進の指導に当たった。2003年に先代の春日野親方(元横綱・栃ノ海)が定年を迎えたため春日野部屋を継承した。
本名の清隆の由来となった先々代の春日野親方(元横綱・栃錦)と年寄名が全く同じ。これは、名前の継承を伴わない名跡では珍しいが、栃乃和歌の祖母が栃錦の大ファンで、孫に栃錦と同じ名前をつけたためである[1]。春日野襲名時は畏れ多いからと改名も考えたが、先代の助言もあって本名で通すことになった。
[編集] 幕内での場所別成績
- 通算成績
- 525勝 - 591敗 - 24休(76場所)
| 一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
|
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1987年 (昭和62年) |
東 前頭 #12 7–8 |
東 前頭 #13 10–5 敢 |
西 前頭 #4 10–5 |
東 小結 9–6 殊 |
西 関脇 8–7 |
東 関脇 5–10 |
| 1988年 (昭和63年) |
西 前頭 #1 8–7 ★ |
西 関脇 7–8 |
東 小結 9–6 |
東 小結 9–6 |
東 小結 7–8 |
休場 |
| 1989年 (平成元年) |
東 前頭 #11 7–8 |
西 前頭 #12 8–7 |
西 前頭 #7 10–5 |
西 前頭 #1 8–7 |
東 小結 5–10 |
西 前頭 #3 7–8 |
| 1990年 (平成2年) |
東 前頭 #4 10–5 敢★ |
東 前頭 #1 8–7 |
西 関脇 4–11 |
西 前頭 #5 8–7 |
東 前頭 #1 9–6 |
東 小結 8–7 |
| 1991年 (平成3年) |
西 関脇 8–7 |
西 関脇 6–9 |
東 前頭 #2 7–8 |
東 前頭 #3 8–7 ★ |
東 前頭 #1 11–4 敢 |
東 小結 10–5 |
| 1992年 (平成4年) |
東 小結 8–7 |
東 小結 12–3 技殊 |
東 関脇 2–9–4 |
東 前頭 #5 5–10 |
東 前頭 #11 9–6 |
西 前頭 #3 7–8 |
| 1993年 (平成5年) |
東 前頭 #6 8–7 |
西 前頭 #1 4–11 |
東 前頭 #8 6–9 |
西 前頭 #13 10–5 |
東 前頭 #3 6–9 |
東 前頭 #6 8–7 |
| 1994年 (平成6年) |
西 前頭 #1 8–7 |
東 小結 3–12 |
西 前頭 #7 8–7 |
東 前頭 #1 5–10 |
西 前頭 #5 6–9 |
西 前頭 #7 8–7 |
| 1995年 (平成7年) |
東 前頭 #2 4–11 |
西 前頭 #6 6–9 |
西 前頭 #8 8–7 |
東 前頭 #2 3–12 |
西 前頭 #8 8–7 |
東 前頭 #2 5–10 |
| 1996年 (平成8年) |
東 前頭 #6 6–9 |
西 前頭 #8 6–9 |
西 前頭 #12 9–6 |
西 前頭 #10 7–8 |
東 前頭 #13 8–7 |
東 前頭 #8 8–7 |
| 1997年 (平成9年) |
東 前頭 #4 4–11 ★ |
西 前頭 #9 9–6 |
東 前頭 #2 5–10 |
東 前頭 #6 5–10 |
東 前頭 #11 8–7 |
西 前頭 #4 3–12 |
| 1998年 (平成10年) |
西 前頭 #12 9–6 |
西 前頭 #5 5–10 |
西 前頭 #7 8–7 |
東 前頭 #4 3–12 |
東 前頭 #11 8–7 |
東 前頭 #3 5–10 |
| 1999年 (平成11年) |
東 前頭 #6 6–9 |
西 前頭 #8 8–7 |
東 前頭 #5 5–10 |
西 前頭 #9 引退 2–8–4 |
x | x |
| 各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 十両・幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 |
||||||
[編集] 主な戦績
[編集] 三賞
- 殊勲賞:2回(1987年7月場所、1992年3月場所)
- 敢闘賞:3回(1987年3月場所、1990年1月場所、1991年9月場所)
- 技能賞:1回(1992年3月場所)
[編集] 各段優勝
- 十両優勝:1回(1986年11月場所)
- 幕下優勝:1回(1986年7月場所)
[編集] 改名歴
- 綛田 清隆(かせだ きよたか)1985年3月場所-1986年7月場所
- 栃乃和歌 清隆(とちのわか - )1986年9月場所-1999年7月場所
[編集] 年寄変遷
- 竹縄 清隆(たけなわ きよたか)1999年7月-2003年2月
- 春日野 清隆(かすがの - )2003年2月-
[編集] 人物・逸話
- 唇が厚いことから、兄弟子の舛田山に「Qちゃん」とあだ名された。その舛田山とは春日野部屋継承の際に不仲となってしまっている(舛田山も元関脇。現在は千賀ノ浦部屋を創設。舛田山の母校・拓殖大学出身の栃乃洋の処遇(千賀ノ浦部屋へ移籍させるか春日野部屋に残すか)でもめたとも伝わる)。
- 武蔵丸とは相性が悪く、23回対戦して一度も勝てなかった。また、千代の富士にも、やはり一度も勝てなかった(14戦全敗)。だが、曙や若貴といった、後の横綱からは比較的多くの星を挙げている。
- 先々代の春日野親方(元横綱・栃錦)は、「栃乃和歌が大関になれば、『栃錦清隆』を襲名させたいと思う。」と考えていたようである。結局これは実現しなかったが、栃乃和歌は引退後、先々代と同じ名義の「春日野清隆」を名乗ることとなった。
- 四股名をつける際に師匠(栃錦)は自分の四股名と出身地和歌山から「栃和歌」を考えたがこれでは「栃若時代」と同じ音でまずいのではないかと悩んでいた。それを知って助けたのは他ならぬ若乃花(当時の二子山親方)で「だったらワシの四股名から乃をやるよ」という助言で栃乃和歌となった。
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
|
|||||||||||||||||||||||
最終更新 2009年11月20日 (金) 07:30 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【栃乃和歌清隆】変更履歴

