栃木サッカークラブ

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栃木サッカークラブ
原語表記 栃木サッカークラブ
呼称 栃木SC
クラブカラー
創設年 1953年
所属リーグ Jリーグ
所属ディビジョン ディビジョン2 (J2)
ホームタウン 栃木県宇都宮市
ホームスタジアム 栃木県グリーンスタジアム
収容人数 16,000人
運営法人 株式会社栃木サッカークラブ
代表者 新井賢太郎
監督 松田浩
公式サイト 公式サイト
   サッカークラブPJ

栃木サッカークラブ(とちぎサッカークラブ、通称:栃木SC)は日本栃木県宇都宮市を本拠地とするサッカークラブ。Jリーグ・ディビジョン2所属。

目次

[編集] クラブの概要

ホームタウンは栃木県宇都宮市。ホームスタジアムは栃木県グリーンスタジアムの他、栃木県総合運動公園陸上競技場栃木市栃木市総合運動公園陸上競技場足利市足利市総合運動公園陸上競技場を併用する。

かつてはアマチュアクラブであったが、Jリーグ参入を目指すべく、2006年6月に運営法人である株式会社栃木サッカークラブが設立された。

2002年に設立された小学生年代のジュニアチームと中学生年代のジュニアユースチームに続いて、2006年には高校生年代のユースチームが設立され、下部組織の充実が図られている。

また、ホームスタジアムの栃木県グリーンスタジアムはメインスタンド以外が全て芝生席であり、Jリーグ昇格の際、座席(椅子席)へ変更する工事などが必要となる。但し、Jリーグ規格への改修対象スタジアムとしては栃木県総合運動公園陸上競技場も候補に挙げられており、所有者である栃木県が検討を進めている。また県では、総合運動公園を含む宇都宮競馬場跡地周辺に、陸上競技場を兼ねた4万人規模の新スタジアムを建設する考えも示している。しかしこの案についてはサッカー専用スタジアムを求めるサポーターから反対の声が強い。[1][2]

かつて教員チームだったため、アマチュア時代の選手には教員が多かったとされる。そのため、国体予選期間はほとんどの選手が国体チームに選出され、選手層が薄くなるという特徴があった(現在、教員チームとして栃木教員フットボールクラブがあり、全国教員サッカー選手権大会などに参加している)。また、後述する2006年の天皇杯では、マスコミ各社に「教員集団ヴェルディ倒す」や「胸張れ教員軍団」などと報道された[3]

試合開始前にはチームの応援歌ではなく「栃木県民の歌」を歌い、本拠地グリーンスタジアムの電光掲示板には、県民の歌の歌詞が表示される。

[編集] クラブの歴史

1953年に栃木県教育委員会傘下の教職員サッカーチームとして「栃木教員サッカー部」として設立される。1980年に国体教員の部が廃止されると、1994年にクラブチーム化、栃木サッカークラブに改称する。1999年に関東リーグに昇格し、同年優勝。地域リーグ全国決勝大会でも2位に入って日本フットボールリーグ自動昇格を果たした。2005年3月13日にJリーグ入りを目指すプロジェクトチームを発足させることを発表した。しかし、過去にHC日光アイスバックスへの出資で失敗している栃木県は、クラブに対して「チームには出資しない」と回答した。サッカーに限っては東日本JR古河FC富士通サッカー部、ワールドブリッツ小山に続き4度目の支援拒否となった。さらに、申請したJリーグ準会員登録は設備や運営形態が不十分であるとして保留された(成績も昇格圏(最終成績で当時は2位=現在4位=以上)にとどいていなかった)。

[編集] 2007年

ガイナーレ鳥取と共にJリーグ準加盟が決定した。6月19日に高橋高監督が成績不振(前期第16節終了時点で7位)を理由に辞任、柱谷幸一が新監督に就任することになった。同年12月、これまでのプロ・アマ混合のチームからオールプロのチームへと変化を遂げるため、プロ契約選手のほとんどを放出。アマチュア選手1人(高安亮介)とプロ契約を結んだが、その他のアマチュア選手は全員退団となった。

[編集] 2008年

新加入19名、残留8名、レンタル1名の計28名でスタート。11月16日アルテ高崎戦に勝利してJリーグ加盟条件となるJFL4位以内を確定。12月1日のJリーグ臨時理事会にて、2009年度からのJ2への加盟(昇格)が決定した。これにより北関東鹿島アントラーズ水戸ホーリーホックザスパ草津に次ぐJリーグチームになり、関東地方のすべての都県にJリーグチームができることになった。また、教員チームを前身としたJリーグクラブの誕生は、栃木SCが初めてとなった。一方で、チームを率いてJ2加盟へと貢献した柱谷幸一監督が、来季へ向けたクラブ側との話し合いにて条件面で折り合いが付かず退任。2009年は新監督にアビスパ福岡ヴィッセル神戸で指揮を執った松田浩の就任が決定した。

[編集] 2009年

J2加盟1年目。選手の大幅入れ替えを行い、昨シーズンから、13人の選手を解雇。新たにヴァンフォーレ甲府から井上雄幾を、ジェフユナイテッド市原・千葉から川上典洋伊藤淳嗣を、モンテディオ山形から本橋卓巳を、ヴィッセル神戸から栗原圭介を、京都サンガF.C.から大久保裕樹を、大宮アルディージャから4年半ぶりの復帰になる若林学を、アルビレックス新潟から河原和寿を獲得。(河原のみレンタル移籍)さらに、1月には、名古屋グランパスから日本代表経験のある米山篤志を獲得した。

[編集] 2009年の試合会場

  • 栃木グリーンスタジアムの改修(照明設備・バックスタンドの改修)のため、日程が確定している第35節までの分では第4節(3月25日・福岡戦)は国立(次の東京ヴェルディ戦もアウェイ扱いで国立で試合を行うため、2試合連続で国立で試合をすることになる)、第8節(4月15日・徳島戦)は西が丘、第19節(6月3日・札幌戦)は熊谷陸上競技場と3試合を県外で主催試合を開催する。(ほかに第23節・6月24日の仙台戦も県外での開催を予定していたが照明設備が整い、グリーンスタジアムでの開催になりこの試合からグリーンスタジアムでのナイター開催が可能となる)

[編集] チーム名について

J参入以前より、主に商標登録の兼ね合いから[4]チーム名の変更が検討され、新名称の公募も行われたが、J2参入にあたり、チーム名を変更しないことが発表された。

[編集] クラブ戦績

年度 所属 順位 勝点 得点 失点 チーム数 監督 備考
1978年 栃木県1部 優勝 17 9 8 1 0 10
1979年 優勝 10 7※ 6 0 1 10 ※優勝決定戦1試合含む
1980年 2位 15 9 7 1 1 10
1981年 優勝 16 9 7 2 0 10 関東社会人大会準優勝
1982年 関東 9位 10 18 3 4 11 22 33 -11 10
1983年 10位 6 18 1 4 13 16 45 -29 10  
1984年 栃木県1部 優勝 15 9 10 関東社会人大会準優勝
1985年 関東 8位 12 18 5 2 11 20 28 -8 10
1986年 10位 9 18 3 3 12 15 36 -21 10
1987年 栃木県1部 優勝 16 9 7 2 0 10
1988年 優勝 17 9 8 1 0 10 関東社会人大会優勝
1989年 関東 4位 22 18 8 6 4 27 19 +8 10
1990年 7位 14 18 5 4 9 32 41 -9 10
1991年 6位 16 18 5 6 7 24 35 -11 10
1992年 10位 12 18 4 4 10 27 38 -11 10
1993年 栃木県1部 優勝 37 14 12 1 1 10
1994年 優勝 19 11 8 3 0 12
1995年 2位 22 11 6 4 1 12
1996年 優勝 23 11 7 2 2 12
1997年 2位 27 11 8 3 0 12 石田利雄
1998年 優勝 25 9 8 1 0 10 関東社会人大会優勝
1999年 関東 優勝 31 18 8 7 3 37 16 +21 10  全国地域L決勝大会準優勝
2000年 JFL 11位 14 22 5(延2) 1 16 21 48 -27 12
2001年 13位 32 30 9 5 16 28 46 -18 16
2002年 12位 18 17 5 3 9 21 27 -6 18
2003年 8位 45 30 12 9 9 48 35 +13 16 髙橋高
2004年 9位 40 30 11 7 12 41 47 -6 16
2005年 4位 57 30 16 9 5 60 32 +28 16
2006年 7位 60 34 17 9 8 50 35 +15 18
2007年 8位 52 34 14 10 10 43 29 +14 18 -前期:髙橋高
後期-:柱谷幸一
2008年 2位 63 34 18 9 7 65 37 +28 18 柱谷幸一
2009年 J2 51 18 松田浩

[編集] クラブの戦績面での特筆

2006年シーズンは、天皇杯3回戦でJ2所属の東京ヴェルディを1-0で下した。4回戦でJ1の清水エスパルスと対戦し、4-6で敗退したものの、ベンチに温存されていた相手の主力選手を引き出し、試合後に清水サポーターから異例のチャントを賜わるなど健闘した。

[編集] 足利劇場

また、足利市総合運動公園陸上競技場は、劇的な試合を展開することが多かったため、ファンの間で「足利劇場」と呼ばれる。[要出典]

  • 2004年6月6日 対ザスパ草津 △3-3
最終的にJFLシーズンを3位で終え翌年J2に入会した草津に、後半30分を過ぎて0-3と大差をつけられていたが、その後立て続けに3点を返し3-3のドロー。試合後にサポーターにより栃木県民の歌が歌われた。
最終的にJFLシーズンを優勝し翌年J2に入会した愛媛に対し、前半終了時点で1-2とビハインド、また退場で一人少ない劣勢から、後半圧倒的に攻められつつも、シュート2本で2点を決め逆転勝利。
チーム戦術の核であったFW若林が急遽大宮アルディージャに移籍し、チーム全体が新しい戦術に戸惑う中、1-1のスコアで迎えた後半ロスタイム最後のワンプレーで決勝ゴールを決め、ホイッスルと同時に試合終了。

2009年10月3日にJリーグ昇格後初めて足利市総合運動公園陸上競技場で公式戦(J2第43節、対愛媛FC △1-1)が行われた際には、「足利劇場」をテーマに様々なチーム公式イベントが行われた。チーム公式サイトのイベント告知ページにも「足利劇場」の異名の由来として上述のエピソードが記載された。[1]

なお、愛媛FCは2006年に水戸ホーリーホックと試合をしたときも敗戦しており、足利との相性はよくない。

[編集] 観客数

過去最多観客数は、2009年6月14日(日)に栃木県グリーンスタジアムで行われたJ2 2009年第21節、サガン鳥栖戦(デーゲーム)での15,857人である。この日は「県民の日スペシャルマッチ」として招待券も多く配布された。
なお、JFL時代の最多動員数は2008年11月30日(日)に栃木県グリーンスタジアムで開催された栃木SCJFL最終戦となった第10回JFL後期第17節・FC刈谷戦(デーゲーム)での13,821人である。これは、新JFL過去最多の観客数である。

[編集] 観客数の多かったホームゲーム

日時 所属 回・節 対戦相手 人数 試合会場
2009年6月14日 J2 2009年第21節 サガン鳥栖 15,857人 栃木県グリーンスタジアム
2008年11月30日 JFL 第10回後期第17節 FC刈谷 13,821人
2007年3月18日 JFL 第9回前期第1節 FC琉球 12,539人
2009年7月19日 J2 2009年第28節 東京ヴェルディ 7,456人
2008年6月15日 JFL 第10回前期第16節 ファジアーノ岡山 7,253人
2009年7月8日 J2 2009年第26節 セレッソ大阪 6,875人
2008年10月19日 JFL 第10回後期第11節 ニューウェーブ北九州 6,533人
2007年12月2日 JFL 第9回後期第17節 FC刈谷 6,387人

[編集] ユニフォーム

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st)
FP(2nd)
GK(1st)
GK(2nd) 水色 水色 水色
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
FP 1st
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
FP 2nd
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
GK 1st
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
GK 2nd

[編集] ユニフォームスポンサー

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
TKC TKC 2008年〜
背中 カワチ薬品 カワチ薬品 2008年〜
宇都宮市 もったいない運動 2009年〜
パンツ コジマ コジマ 2008年〜

[編集] ユニフォームサプライヤー

[編集] 歴代ユニフォームスポンサー年表

年度 背中 パンツ サプライヤー
2008年 TKC アイライン カワチ薬品 コジマ Mizuno
2009年 TKC もったいない運動 カワチ薬品 コジマ Mizuno

[編集] メディア

[編集] テレビ

  • とちぎテレビ
    • TOCHIGI FIGHTING!!SC一枚岩 毎週月曜19:30~20:00
      (再放送 毎週火曜日22:00~22:30)
    • Go to J!!~SC一枚岩~(2007年は独立した番組として放送、2008年はイブニング6月曜日のコーナーとして放送)
    • 年末年始の「栃木SC祭~年末年始もKeep on Fighting!!興奮をもう一度~」から
      • 栃木SCホームゲームプレイバック
      • JAグループ栃木presents Go to J!! 栃木SC J2への軌跡(2008年12月30日放送)

[編集] ラジオ

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

[編集] 脚注

  1. ^ "専用スタジアム求め要望書提出へ". とちぎテレビ (2007-09-20). 2008年11月20日 閲覧。
  2. ^ "「専用球場を」知事に要望書/SCサポーター組織". 下野新聞ホームページ「SOON」 (2007-11-22). 2008年11月20日 閲覧。
  3. ^ ただし、2006年のメンバーについては、高等学校教諭1名(当時10番、後に宇都宮白楊高校サッカー部監督として選手権出場を果たす。)、養護学校(当時)期限付き講師3名、中学校期限付き講師1名(ここまで「教員」)、指導助手(期限付き)2名、公仕・校務員(期限付き)4名の計11名であり、当時の報道である「教員集団」「選手の約半数が教員」(サンスポ、共同通信他)とはほど遠い。(栃木県連合教育会『平成18年栃木県学事関係職員録』他による)なお、期限付き職員のほとんどは現在同職についておらず、栃木SCに対する行政の支援、また、国体成年男子サッカー対策の側面があったとされる[要出典]
  4. ^ 「栃木SC」での商標登録ができないことがわかったため(東京新聞2006.12.26)「栃木サッカークラブ」が商標登録できないため(下野新聞2006.12.27)

最終更新 2009年11月21日 (土) 09:33 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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