根室国

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根室国(ねむろのくに)は、明治維新のころに置かれた日本の地方区分のの一つである。根室はもと「ねもろ」と読んだ。北海道に含まれる。道東に位置し、領域は現在の根室支庁歯舞群島にあたるが、設置当初は色丹島も含んでいた。

目次

[編集] 沿革

飛鳥時代斉明天皇のころ阿倍比羅夫道南で征討した粛慎は、当時根室国域にも及んでいたオホーツク文化圏に属する人たちと言われている。オホーツク文化は平安時代前期ころ擦文文化の影響を強く受けたトビニタイ文化へと移行し鎌倉時代ころまで続いた。

戦国時代から江戸時代にかけて、蝦夷の人々によって根室半島を中心にチャシ群が築かれている。

江戸時代に入ると、根室国域には松前藩によって松前藩家臣の知行地としてネモロ場所が開かれていた。場所に関する制度の詳細は商場(場所)知行制および場所請負制の項を参照せよ。

18世紀には標津郡域にて養老牛温泉が発見されている。寛政元年、蝦夷アイヌ)の人々が蜂起したクナシリ・メナシの戦い(寛政蝦夷蜂起)が勃発し、メナシ地方でも多くの和人が殺害されている。同年、目梨郡域にて羅臼温泉が発見された。このころ、近藤重蔵最上徳内などの幕吏によって北方探検が盛んに行われ根室は基地となっている。また、高田屋嘉兵衛によって航路の運営がされるなど本格的な蝦夷地経営が行われた。

江戸時代後期、根室国域は東蝦夷地に属していた。南下政策を強力に推し進めるロシアに備え、寛政11年東蝦夷地は天領幕府直轄地)とされたが、文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり西別川の古川の河口からチャシコツ、ここからシカルンナイまでを結んだ線以北が会津藩、以南は仙台藩が根室に出張陣屋を置き警固をおこなった。また、安政3~4年ころ知床半島(目梨郡域)の硫黄山噴火している。

[編集] 神社

標津神社は天明年間の創建、金刀比羅神社と市杵島神社は文化年間に高田屋嘉兵衛による創建、野付神社と羅臼神社は安政年間の創建である。

このうち金刀比羅神社の旧社格県社である。

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以下の五郡で構成された。

[編集] 人口

明治5年(1872年)の調査では、人口832人を数えた。

[編集] 関連項目

最終更新 2009年9月3日 (木) 09:12 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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