格物致知

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格物致知(かくぶつちち)とは、古代中国における思想史上の術語格致(かくち)と略される。『礼記』大学篇(『大学』)の一節「致知在格物、物格而知至」に由来し、儒学史上、さまざまな解釈がなされた。宋代以降の儒教(宋学)において「窮理」(『』説卦伝に由来)と結びつけられ、事物の道理を追究することとして重要視された。

までの伝統的な解釈である後漢鄭玄(127~200)注では「格」を「來」、「物」を「事」、「致」を「至」と解し、善や悪を深く知ることが善いことや悪いことを来させる原因になるとしていた。しかし、この時代、この一文はそれほど注目されたものではなかった。

重視されるようになったのは程頤(1033~1107)が格物を窮理と結びつけて解釈してからである。彼は自己の知を発揮しようとするならば、物に即してそのを窮めてゆくことと解釈し、そうすることによって「脱然貫通」すると述べた。

南宋朱熹(1130~1200)はその解釈を継承し、『大学』には格物致知を解説する部分があったとして『格物補伝』を作った。ここで格は「至(いたる)」、物は「事」とされ、事物に触れ理を窮めていくことであるが、そこには読書も含められた。そして彼はこの格物窮理と居敬を「聖人学んで至るべし」という聖人に至るための方法論とした。この時代、経書を学び、科挙に合格することによって官僚となった士大夫に対し、格物致知はその理論的根拠を提供した形である。しかし、格物は単に読書だけでなく事物の観察研究を広く含めたため、後に格物や格致という言葉は今でいう博物学を意味するようになった。

近代になり、西洋から自然科学を導入するに際して格物や格致が使われたのもこのためである(ちなみに日本では窮理から理科や理学の語を当てたと考えられる)。

一方、明代中葉の王守仁(王陽明、1472~1528)は、「格物」は外在的な物に至るというものではなく、格を「正(ただす)」として、自己の心に内在する事物を修正していくこととし、「致知」とは先天的な道徳知である良知を遮られることなく発揮する「致良知」だとした。ここで格物致知は自己の心を凝視する内省的なものとされた。また初の顔元は「格物」を「犯手実做其事」(手を動かしてその事を実際に行う)とし、そうすることによって後に知は至るとした。ここで格物致知は実践によって知を獲得していくこととされている。


[編集] 記号類型論

台湾出身の著作家張明澄は「格物致知」とは「分類によって物事の本質を究めること」であるとしている。

中国最初の書物とされる『周易』は、「陰陽」を表す記号である「易卦」によって、あらゆる物事を分類しており、例えば「八卦」とは、自然現象を「地・雷・水・沢・山・風・火・天」という八分類して記号化したものであり、「八卦」と「八卦」を組み合わせた「六十四卦」、これをさらに再分類した「三百八十四爻」など、すべて分類によって、何らかの象意を示すものである。

また、殷王朝時代から使われていた「干支」という記号は、もともと日付を表すための記号だったと見られるが、次第に分類のための記号として使われるようになった。特に、春秋戦国時代には「五行思想」が興り、「易卦」の陰陽分類と結びついて「陰陽五行思想」となり、「干支」も「陰陽」と「五行」で再分類された。例えば「甲」は「木行」の「陽」の干であり、「亥」は「水行」の「陰」の支である。

中国の学問は『周易』に見られるように、その成り立ちから非常に「分類」的であり、何でも分類してゆけば、物事の本質を究めることができる、という考え方が見て取れる。特に、「卜易」「子平命理」「奇門遁甲」などの「術数」においては、「易卦」や「干支」による「分類」が、吉凶や象意の決め手であり、「格局」によって、分類上の位置を知ることができる。張明澄の提唱する「記号類型論」とは、このことである。

このような考え方は、中国だけに見られるものではなく、インド仏教の、説一切有部による「倶舎論」の「五位七十五法」なども「分類」によって物事の真実に迫ろうとする方法論と見ることができる。


[編集] 関連項目

最終更新 2009年11月21日 (土) 23:22 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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