桃井直常
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桃井直常
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| 時代 | 鎌倉、室町(南北朝)時代 |
| 生誕 | 生年不詳 |
| 死没 | 天綬2年/永和2年6月2日 (1376年6月27日)? |
| 別名 | 道皎(号) |
| 墓所 | 富山県富山市、群馬県榛東村 |
| 官位 | 駿河守、播磨守、刑部大輔、弾正大弼 |
| 幕府 | 伊賀・若狭・越中守護職 |
| 主君 | 足利尊氏、足利直義、足利直冬、足利基氏、足利義詮 |
| 氏族 | 源姓桃井氏 |
| 父母 | 父:桃井貞頼 |
| 兄弟 | 桃井直信、桃井直弘 |
| 妻 | |
| 子 | 桃井直和、桃井直知 養子:桃井直弘(弟) |
桃井 直常(もものい ただつね、? - 1376年?)は、南北朝時代の武将。
[編集] 概要
足利家一門で、その家臣。父は桃井貞頼。実弟に桃井直信。
桃井氏は下野の足利氏の支族で、上野国群馬郡桃井(現在の群馬県)を苗字の地とする。
[編集] 経歴
元弘3年(1333年)、親族の尚義(鎌倉で戦死)とともに倒幕運動に呼応した上野国の御家人新田義貞の決起に加わり、鎌倉幕府攻略に参加。その後、建武政権から離反した足利尊氏に従い戦功をあげ、若狭・伊賀・越中の守護となる。
足利政権における内部抗争が観応の擾乱に発展すると、直常は将軍尊氏、足利家執事の高師直との確執から、将軍尊氏の実弟直義派の中心的武将となる。直義は一度失脚したものの南朝と連携して巻き返しを図り、直常は正平6年/観応2年(1351年)に北国より入京して将軍尊氏らを追い、引付衆に任じられる。
翌年に直義が急死すると、山名・大内ら反尊氏派の武将らと共に、直義猶子で中国探題の直冬を擁立し、南朝(吉野朝廷)と連携、正平9年/文和3年(1354年)、直冬勢は上洛をはじめ、翌年には先鋒として入京する。しかし、3月には洛中の合戦において敗走。その後、南朝勢力が衰微し諸将が足利政権に帰順するなか、直常は実弟直信とともに反尊氏を貫いている。
富山市布市の臨済宗興国寺は越中守護であった直常を開基と伝え、開基塔に「興國寺殿仁澤宗儀大禅定門 天授二年丙辰六月二日」と刻む。このほか、墓所として富山市東黒牧の五輪塔(富山市指定文化財)、富山市月岡町の龍高寺の一石五輪塔板碑、群馬県榛東村の五輪塔が伝えられる。また、能登守護畠山氏被官の温井氏はこの直常の末裔を自称したといわれる。
また、江戸時代になってから作られた伝承によれば、直常の子孫に当たる桃井直詮は幸若舞の創始者とも伝えられる。
最終更新 2009年9月26日 (土) 02:44 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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