桑原茂一
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| 桑原 茂一 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出生名 | 桑原茂(くわはら しげる) |
| 別名 | クワハラモイチ 桑原茂一2 |
| 出生 | 1950年12月9日(58歳) |
| 出身地 | |
| 職業 | 音楽プロデューサー、実業家 |
| 共同作業者 | スネークマンショー |
桑原茂一(くわはら もいち、1950年12月9日 - )は、日本の音楽プロデューサー・選曲家。現在、プロデュースカンパニー「株式会社クラブキング」代表取締役。岡山県出身。本名:桑原茂(くわはら しげる)。別名:クワハラモイチ(ローマ字表記も)、桑原茂一2(くわはらもいちつー)。
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[編集] 経歴
幼少時、鉱石ラジオから聞こえてきたビートルズに衝撃を受け、ラジオと音楽にのめりこむ。中学校のお別れ会で、音楽に自作コントを交えたテープを流し、後の片鱗を見せる。
中学卒業後上京。16歳で西麻布にDJバーを開店。音楽業界とのコネクションはこのころからでき始める。
22歳の時、アメリカのカルチャー誌「ローリング・ストーン」日本版のスタッフとなり、製作の陣頭指揮を執る。同誌では小林克也を「DJオブ・ザ・イヤー」に推し、小林との知遇を得る。またファッション業界との交流も同誌における仕事から生まれている。
1975年、「ローリング・ストーン日本版」がスタッフの不祥事により廃刊の憂き目に会う。ちょうどそのころ、エドウィンから店舗BGMの製作を持ちかけられ、小林とともに製作する。これが「スネークマンショー」の原点となった。「スネークマン」時の活動については同項を参照。
1982年、原宿に「ピテカントロプス・エレクトス」という名のクラブを開く。同店ではMELON、東京ブラボー、ショコラータ、ミュート・ビートのライブなどが行われ、日本のクラブカルチャー・サブカルチャーに多大な影響を与えた。
1986年、日本音楽選曲家協会(略称:音選協)を設立、発起人代表を務める。
90年代以降は「RADIO HEAVEN」、「ブルー・フィルム」などの活動のほか、「クラブキング」において、フリーペーパー「dictionary」、CD製作、ライブ、podcastなどさまざまな手段で、独自のコントや音楽、文化を発信し続けている。同時に、社会問題や環境問題などへの発言も積極的に行っている。
[編集] 関連項目
[編集] その他
漢字が同姓同名で、読み仮名が違う桑原 茂一 (クワバラ シゲカズ)は、 陰陽石・道祖神研究家。ホームダイヤモンド(株)に入社後、月刊誌「HT」、 単行本の編集発行に携わり、体験手記の価値を広めた功労者でもある。 現在はフリーの出版コーディネーター及び体験手記研究家、手記書き方講師 としても活躍中。
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年10月18日 (日) 09:23 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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