桑原隆
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| 桑原 隆 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| カタカナ | クワハラ タカシ | |
| ラテン文字 | KUWAHARA Takashi | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1948年5月5日(61歳) | |
| 出身地 | 静岡県藤枝市 | |
| 身長 | 169cm | |
| 体重 | 60kg | |
| 選手情報 | ||
| ポジション | MF | |
| ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||
桑原 隆(くわはら たかし、1948年5月5日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。静岡県藤枝市出身。また、フットメディアに所属、横浜F・マリノス監督就任前は地元の静岡放送やスカイパーフェクTV!・J SPORTSなどで解説も務めていた。
目次 |
[編集] 略歴
現役時代は古河電気工業サッカー部(ジェフユナイテッド市原・千葉の前身)でプレーし、現役晩年にはコーチも兼任。、PJMフューチャーズ・鳥栖フューチャーズでコーチや監督などを務めた後、1996年に強化育成アドバイザーとしてジュビロ磐田入りした。
1997年にトップチームコーチに就任し、監督のルイス・フェリペ・スコラーリの下で指導を行う。しかしフェリペは1stステージの途中で突然退団した。その後任に桑原が選ばれるが、当時桑原はトップチームの監督に就任するのに必要なS級ライセンスを持っていなかったため、監督代行として指揮を執ることになった。
しかし、この年は2ndステージに優勝し、さらにサントリーチャンピオンシップも勝ち、ジュビロを初の年間王者に導いた。監督代行としてJリーグの年間王者になったのは桑原だけである。
1998年は強化部長としてフロント入りし、S級ライセンスを取得した。S級ライセンス取得を受けて1999年に正式にトップチームの監督に就任し、第1ステージを制覇。名波浩のベネチア移籍後の第2ステージは低迷するが、チャンピオンシップで清水エスパルスを破りこの年も年間王者になる。桑原は1年限りで辞任するが(一説には、フロントがクロアチア代表アリオシャ・アサノビッチなど名波の穴埋めとなる選手の補強に動いていたものの桑原が現有戦力で戦うとして拒否。結果として第2ステージの低迷を招いた責任をとったともいわれている)、中山雅史を始めタレントが揃ったジュビロはその後数年間黄金時代を迎える。
その後2004年に柳下正明の辞任を受けて再度監督に就任するが、前回監督時の主力はチームを去ったり高齢化していて戦力は低下していた。それでも1stステージは優勝争いを演じて2位になったが、2ndステージに入ると敗戦が続き、優勝争いどころか最下位争いに巻き込まれ、9月13日に解任されてしまった。
磐田退団後は浜松大学サッカー部の監督を務めていたが、2008年、早野宏史の後任として横浜F・マリノスの監督に就任、4年ぶりにプロチームを率いることになった。2年契約を結んでの指揮だったが、不調なブラジル人選手などを使い続けるなど、コンディションより実績重視で臨んだため、第16節終了時点で降格圏内の16位に低迷し、7月14日に解任された。
[編集] 逸話
- 磐田時代、チェックのジャケットや派手な色の開襟シャツなど、目を引くファッションでベンチ入りし、サッカーファンからの注目を浴びた。夫人のコーディネートだという。またサポーターからは、その派手な格好からテキヤと言うニックネームで呼ばれている。横浜FM時代はチームのスタイリストが監督のファッションをコーディネートしていると言われ、以前のような奇抜なファッションスタイルではなくなった。
- 横浜フリューゲルスの最後の選手会長だった前田浩二を磐田に呼び寄せたのは、PJM時代に彼を指導していた桑原だった。前田は1年しか在籍しなかったものの、シーズン途中で骨折のため長期離脱した田中誠の穴を埋めて天皇杯優勝に貢献、桑原の恩に報いた。
- 自身の携帯の着メロがコブクロの曲であり、コンサートに行ったりとかなりのコブクロファンである。ゆずもそこそこ好き。
[編集] 所属クラブ
[編集] 個人成績
| 年度 | チーム | リーグ | 背番号 | リーグ戦 | カップ戦 | 天皇杯 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 1967年 | 古河 | JSL1部 | |||||||
| 1968年 | 古河 | JSL1部 | |||||||
| 1969年 | 古河 | JSL1部 | |||||||
| 1970年 | 古河 | JSL1部 | |||||||
| 1971年 | 古河 | JSL1部 | |||||||
| 1972年 | 古河 | JSL1部 | |||||||
| 1973年 | 古河 | JSL1部 | |||||||
| 1974年 | 古河 | JSL1部 | |||||||
| 1975年 | 古河 | JSL1部 | |||||||
| 1976年 | 古河 | JSL1部 | |||||||
| 1977年 | 古河 | JSL1部 | |||||||
| 1978年 | 古河 | JSL1部 | |||||||
| 1979年 | 古河 | JSL1部 | |||||||
| 1980年 | 古河 | JSL1部 | |||||||
| 1981年 | 古河 | JSL1部 | |||||||
| 1982年 | 古河 | JSL1部 | |||||||
| 1983年 | 古河 | JSL1部 | |||||||
| 通算 | JSL1部 | 127 | 27 | ||||||
[編集] 指導経歴
- 1979年-1983年 古河電工:コーチ
- 1987年-1989年 PJMフューチャーズ:コーチ
- 1990年 イングランド留学
- 1993年-1994年途中 PJMフューチャーズ:監督
- 1994年途中-1995年 PJMフューチャーズ/鳥栖フューチャーズ:総監督
- 1996年 ジュビロ磐田:強化育成アドバイザー
- 1997年2月-6月 ジュビロ磐田:コーチ
- 1997年6月-終了 ジュビロ磐田:監督代行
- 1998年 ジュビロ磐田:強化育成部長
- 1999年 ジュビロ磐田:監督
- 2000年-2002年 ジュビロ磐田:スーパーバイザー
- 2003年 ジュビロ磐田:強化部育成センター長
- 2004年-途中 ジュビロ磐田:監督
- 2005年-2007年 浜松大学:監督
- 2008年-途中 横浜F・マリノス:監督
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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