桜ヶ丘 (仙台市)
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桜ヶ丘(さくらがおか)は仙台市青葉区にある団地である。青葉区の北部に位置し、団地内に仙台市立桜丘小学校、仙台市立桜丘中学校、宮城学院中学校・高等学校、宮城学院女子大学を擁する文教地域である。
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[編集] 町名の由来
1973年(昭和48年)に旧住所である「荒巻字川平」から町名変更する際に、1973年6月~10月までに数回地域説明会が開催され町名について議論された。その際に、以前から団地の通称として「桜ヶ丘」の名称が使用されていることから住民の強い要望により町名が「桜ヶ丘」となった。
「桜ヶ丘」の名称は1965年(昭和40年)春頃に桜ヶ丘団地造成を手がけた東北建設機動株式会社[1]社長・佐藤善三氏が団地造成調査のため、現在の桜丘小学校付近の小高い丘に立ち、四方を眺めると折りしも山桜が満開で、その景観があまりにもすがらしかったので、その名を取り「桜ヶ丘」と名づけたとされている。
その後東北建設機動株式会社が宅地造成販売をした時に「桜ヶ丘」の名称を使用したことから地域に名前が定着したものと考えられる。しかし、現在東北建設機動株式会社がないため事実確認はできない。
[編集] 地理・地質
仙台駅から約5.5km北西に位置し、最高点は海抜99m。最高点は桜ヶ丘7丁目バス停西側の高圧鉄線棟が立つ山のあたりと思われる。土地は第三紀層の丘陵地帯を切り崩して造成したため丈夫で地震に強いとされている。団地は西側(桜ヶ丘1丁目、5丁目等)が高く、東側(桜ヶ丘3丁目)が低い西高東低の地形となっている。
団地内の道路は桜ヶ丘7丁目北部、3丁目の東部等の団地境界区域を除いてほぼ東西南北に伸びている。しかし、団地最南部である桜ヶ丘1丁目1~5番地ブロックは土地の高低の関係でブロックの北側が崖になっており東西にも道路が伸びていないため、南側からしか入れない地理的に隔離されたブロックとなっている。
このためか桜ヶ丘1丁目1~5番地はそのブロックに住んでいる人間か配達員くらいしか立ち入らない。また、桜ヶ丘1丁目1~5番地は桜ヶ丘団地内で唯一桜丘小学校の学区ではなく中山小学校の学区である。
[編集] 沿革
- 第三紀(約6500万年前から約170万年前) 桜ヶ丘団地の大地が形成される。
- 約600万~200万年前 桜ヶ丘団地の大地上に針葉樹であるスギ科のセコイア類が生い茂る。
- 8世紀 大和朝廷時代に宮城郡が設置され律令国家に入る。
- 12世紀 源頼朝が平泉の藤原氏を滅ぼした行賞で海道総大将・千葉常胤を勲功第一とし、従軍した5人の子にそれぞれ領地を与えたとき、5男・胤通(後に国分姓)が宮城国分荘三十三郷を賜る。その中に「荒巻の郷」が含まれる。
- 江戸期の藩政時代 桜ヶ丘近辺が仙台藩直轄の狩場又は御林(おんはやし)とされる。そのため一般の立ち入りは制限されたが、根白石、実沢、野村、上谷刈等の村から仙台へ行く近道として桜ヶ丘を通る道が作られる。
- 明治時代(1868年)~終戦(1945年) 桜ヶ丘を含む水の森~国見一帯が国有林・民有林として自然保護される。
- 太平洋戦争中(1941年~1945年) 戦時中このあたりの森林資源を利用する木炭原木伐採や炭焼き、ガソリン代用品の松根油を採るための松の根堀りが、勤労奉仕や勤労動員として行われる。
- 1965年 桜ヶ丘団地の造成が開始される。春に造成調査をした東北建設機動株式会社社長・佐藤善三氏が「桜ヶ丘」と名づける。以後、団地で最初の建物が建ち始める。当時の土地と家屋の合計の値段は約200万円前後だったため、20代、30代の購入者が多かった。
- 1965年~1972年頃のどこかで約600~200万年前に生息した針葉樹・スギ科のセイコイア類の化石が桜ヶ丘団地造成中に発掘される。発掘されたセコイア類は径約1m、長さ約2mで重量は約5トン。セコイア類は火山灰に埋もれ化石になったと考えられる。
- 1967年4月9日 桜ヶ丘団地内の最初の町内会である桜ヶ丘友愛町内会ができる。
- 1968年11月30日 仙台市営バス桜ヶ丘線を臨時免許で運行開始(1971年に乗合免許)。[2]
- 1971年~1972年 桜ヶ丘6,7丁目が造成される。
- 1973年 発掘された約600~200万年前のセコイア類の化石が仙台市野草園に運ばれる。
- 1973年4月1日 団地内最初の公園である桜ヶ丘東公園が開設される。
- 1974年5月1日 新住居表示による町名変更により住所が「荒巻字川平」から「桜ヶ丘」に。[3]
- 1975年4月7日 仙台市立桜丘小学校開校。
- 1975年7月20日 桜ヶ丘学区連合町内会発足。
- 1976年4月 桜ヶ丘コミュニティセンター開設。
- 1977年4月 桜ヶ丘保育所開設。
- 1977年5月 県営住宅が完成。
- 1977年8月15日 学区民盆おどり開催。
- 1979年4月1日 仙台市立桜丘中学校開校。
- 1979年8月19日 桜ヶ丘学区民夏祭り開催。以後、毎年の恒例に。
- 1980年8月 宮城学院新校舎完成。これに伴い宮城学院の幼稚園、中学、高校、大学が東二番町から桜ヶ丘9丁目に移転。
- 1984年か1985年 桜ヶ丘で最初のコンビニエンスストア「セブンイレブン」が桜ヶ丘5丁目のバス通り沿いにオープン。
- 1986年4月1日 桜ヶ丘駐在所開設。(駐在所の管轄は仙台北警察署。)
- 1986年6月28日 桜ヶ丘防犯協会発足。
- 1986年7月1日 団地内最大の公園である桜ヶ丘公園開設。
- 1987年 みやぎ生協桜ヶ丘店オープン。
- 1987年4月 桜ヶ丘コミュニティセンター改築。
- 1991年11月21日 桜ヶ丘地区サミット開催。以後、恒例に。
- 1997年2月1日 桜丘小学校内にマイスクール桜丘開設。
- 1998年6月1日 桜丘小学校内に桜ヶ丘マイスクール児童館開設。
- 2001年~2005年頃、桜ヶ丘2丁目の阿部城、ゴルフ練習場跡地が造成され新住宅地ができる。
- 2005年10月30日 桜ヶ丘連合町内会30周年式典開催。
- 2007年7月頃、桜ヶ丘1丁目のNHKグラウンドがなくなる。跡地は造成され新住宅地に。
- 2009年6月22日頃、かつて花屋・本屋などが営業していた桜ヶ丘郵便局向かいの建物が取り壊される。
[編集] 交通
桜ヶ丘団地の交通事情は悪く、バス以外の公共交通機関はない。そのため桜ヶ丘団地に来るには地下鉄泉中央駅・旭ヶ丘駅発、仙台駅発(北仙台駅経由・山手町経由)のバスに乗るか又は自動車等自力の移動手段に限られる。桜ヶ丘団地住民も自転車・原付・普通自動車で移動するのが多い。また、桜ヶ丘入口から北仙台に抜けるまでの道が1車線で狭く、時代に合わないため中心部である仙台駅方面へ至る道はよく渋滞する。特に通勤・通学時間帯に渋滞が顕著である。2010年に北四番丁大衡線が開通する予定で、それに伴う渋滞緩和に期待が高まっている。
- 公共交通機関
- 仙台市営バス 桜ヶ丘7丁目発→仙台駅前行き(桜ヶ丘7丁目→仙台駅前:約40分)。
- 仙台市営バス 桜ヶ丘7丁目発→宮教大行き。※平日朝方の通学時間帯のみ運行(学校休校期間中運休)。宮教大とは宮城教育大学のこと。この方面行きのバスで東北大学病院、仙台二高、宮城第一高校、尚絅学院中学校・高等学校、東北大学川内キャンパス、東北大学青葉山キャンパス(理学部・薬学部・工学部)、宮城教育大学付近まで行くことができる。だが、宮教大→桜ヶ丘7丁目行きのバスは設定されておらず、仙台駅、北四番丁駅(二日町北四番丁)または大学病院前の各停留所で乗換をする必要がある。
- 仙台市営バス 桜丘小学校前発→仙台駅前行き。
- 仙台市営バス 宮城学院前発→仙台駅前行き。
- 宮城交通 宮城学院前発→仙台駅前行き(宮城学院前1,2番乗り場、以下番号のみ)、桜丘小学校行き(3番)、地下鉄旭ヶ丘駅行き(3番)、宮城大学行き(4番)、泉アウトレット行き(4番)、泉パークタウン行き(4番)、地下鉄泉中央駅行き(4番)。
昭和40年代頃は桜ヶ丘団地方面の市営バスは本沢3丁目が終点で、桜ヶ丘住民は徒歩か東北建設機動会社の送迎バスにのって本沢3丁目まで移動していた。
[編集] 人口
桜ヶ丘団地(桜ヶ丘1丁目~9丁目)の人口・世帯数、桜ヶ丘中学校の在籍生徒数を示す。1965年(昭和40年)は住所がまだ「荒巻字川平」だったのでその住所の数値を示した。人口、桜丘中在籍者とも初年度、過去最大規模、近年の3つの年のものを示した。
- 年別人口
- 1965年(昭和40年) 総人口 679人(男 322人 女 357人)、世帯数 172 ※ 住所は荒巻字川平
- 1985年(昭和60年) 総人口 10350人(男 4856人 女 5494人)、世帯数 3472
- 2000年(平成20年) 総人口 9245人(男 4217人 女 5028人)、世帯数 3882
- 桜丘中学校の生徒数
- 1979年(昭和54年) 449人
- 1987年(昭和62年) 916人 ※過去最大
- 2004年(平成16年) 345人
桜ヶ丘団地は創成期の1965年(昭和40年)頃の入居者が20,30代の若い世代だったため人口は年をおうごとに増えたが、1985年(昭和60年)頃をピークに年々人口や若者が減少し、桜ヶ丘団地の少子高齢化が浮き彫りとなっている。2001~2005年に阿部城・ゴルフ練習場跡地に新しい住宅地ができた。さらに2008年頃にNHKグラウンド跡地に新しい住宅地ができたため、多少若い世代の人口が持ち直した。
桜ヶ丘住民の多くは昔から住んでいる者だが、宮城学院女子大学があるため同大学の学生の下宿者も住んでいる。
[編集] 公共施設・学校
桜ヶ丘団地に立地しているわけではないが、近隣の学校として明成高等学校、宮城県泉館山高等学校がある。このため桜ヶ丘は学校や学生が多い文教地域となっている。
[編集] 商業施設
- 桜ヶ丘商店街
桜ヶ丘入り口~桜ヶ丘ロータリー~桜ヶ丘駐在所のバス通り沿いに立地する桜ヶ丘団地で最も古い商店街。最も古い店は1965~1975年頃に開店したと思われるが、桜ヶ丘商店会は1977年(昭和52年)に結成された。
現在は、薬局、すし屋、中華料理屋、居酒屋、仙台銀行桜ヶ丘支店、パン屋、桜ヶ丘郵便局、自転車屋、理髪店、電気屋、焼肉屋、セブンイレブンがある。セブンイレブンは桜ヶ丘唯一のコンビニで宮城学院や明成高校の学生もよく訪れる。建物は30年以上使用しているところが多いため古いところが多い。
1976年(昭和51年)の荒巻セントラルプラザ開店、1987年(昭和62年)のみやぎ生協桜ヶ丘店開店、北環状線開通による桜ヶ丘北部商業地域の新興などによって競争が厳しくなり、シャッターがおり閉店した店も目立つ。
- 桜ヶ丘北部商業地域
- 桜ヶ丘地区
- ファミリーレストラン・ミルキーウェイ、書店・湘南、パスタ屋
- 長命ヶ丘地区(泉区)
- ゲームソフト屋、フィギュア・漫画・遊戯用カード等を販売する湘南宝島店、ケンタッキーフライドチキン、99円ショップ、お好み焼き屋、喫茶店、スイミングスクール、ソフトバンクショップ
- 桜ヶ丘地区
桜ヶ丘団地最北部の、北環状線沿いに立地する商業地域。ミルキーウェイ、書店・湘南は宮城学院、泉館山高等学校から近いためか両校の生徒もよく訪問する。書店・湘南は1999年頃まで2階の漫画部の本にビニールがかかっておらず自由に読めたので桜ヶ丘団地以外の訪問者も数多くいた。
- みやぎ生協桜ヶ丘店
1987年(昭和62年)にオープンした桜ヶ丘団地最大の商業施設。衣類、食品類の販売を行っているが、利用者は主に食品購入目的である。
なお宮城学院周辺にはコンビニや喫茶店などがないため宮城学院の学生には桜ヶ丘団地の商業施設は不便だと思われているようである。
[編集] 名所
現在桜ヶ丘団地内に名所とされる場所はない。しかし、かつてみやぎ生協桜ヶ丘店西隣の丘の上に城の形をした住居があり、居住者の名をとって通称「阿部城」と呼ばれていた。阿部城は北四番丁大衡線など交通量の多い道路からもよく見えるため、付近を通る人々から桜ヶ丘は城(正確には城型住居)を持つ団地として珍しがられた。
阿部城の所有者であった阿部勝治氏は昔桜ヶ丘1丁目~7丁目一帯の地主で、桜ヶ丘団地造成に伴う土地売却で富豪となり阿部城を築いたとされる。しかし事業の失敗により阿部城も人手に渡り阿部氏が退去したため、長い間城の外観があるだけの廃墟であった。また阿部城地域への立ち入りも不可だった。2001年~2005年頃に阿部城は西隣のゴルフ練習場とともに取り壊され、跡地は新住宅地となったため現在では見る影もない。ちなみに、桜ヶ丘8丁目、9丁目は国有で阿部勝治氏の所有ではなかった。
また、名所というほどではないが桜ヶ丘ロータリーという円形の土場の中心に桜の木が一本立っている所は桜ヶ丘住民には知らぬ者のない有名な場所として親しまれている。桜ヶ丘ロータリーはバス通りでもあり、時計回りの一方通行である。付近には桜ヶ丘商店街の店が立ち並ぶ。
[編集] 桜ヶ丘8丁目、9丁目
桜ヶ丘8丁目は桜丘小学校、桜丘中学校、桜ヶ丘9丁目は宮城学院が占めるため9丁目内の宮城学院寮生を除いて8丁目、9丁目に住む者はいない。桜ヶ丘9丁目は女子校である宮城学院が一帯を占めるため、男性は原則立ち入れないはずだが、1985年に男性の桜ヶ丘9丁目住人2名が記録されている(大学の住み込み用務員か?)。
[編集] 著名出身者
斉藤たつお (仙台市議会議員)
[編集] 参考文献
- 桜ヶ丘学区連合町内会 30年記念誌
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年8月17日 (月) 12:32 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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