桜井センリ

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桜井 センリ(さくらい せんり、公称1930年3月20日、実際は1924年 - )は、日本ミュージシャンコメディアン俳優。本名、桜井 千里ワタナベエンターテインメント所属。

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[編集] 経歴・人物

  • 1930年生まれ…となっているが実際は24年生まれ。これはクレイジー・キャッツの他のメンバーとバランスをとるためだといわれている(最年少の安田伸は32年生まれ)。父の赴任地のイギリスロンドンに生まれ、3歳までその地で育つ。いわゆる帰国子女。父は日本人会の代表幹事[1]
  • 大学中退後、様々なバンドを転々とする。1952年には、穐吉敏子が渡米してピアニストが不在になったゲイスターズに穐吉の後任として参加。その後、鈴木康則たちとトリオを組んでいたが、フランキー堺の誘いで鈴木と共にジャズバンド「フランキー堺とシティ・スリッカーズ」に参加。当時メンバーであった植木等谷啓とこの時出会う。1年後にシティスリッカーズを去った後、三木鶏郎の冗談工房に加入し、歌や作曲を指導[1]。当時の歌の弟子に左とん平とアイリーン・フェイゲンがいる[1]
  • 1960年に病気療養中の石橋エータローの穴を埋めるべく、植木の紹介で[1]ジャズバンド「ハナ肇とクレイジー・キャッツ」に参加。約1年間、石橋の代役を務める。石橋復帰後は植木などから「脱退させるべき」との意見が出たが、「せっかく仲間になったんだから」とリーダーであるハナ肇が他のメンバーを説得し存続。クレイジー・キャッツは、ピアニストが2人という変則的な形をとる。演奏スタイルは石橋は大胆、桜井は繊細と言われる。
  • キンチョールCMに出演した「センリ婆さん」のキャラクターも有名。このCMで桜井が言った「ルーチョンキ」という言葉は当時の流行語となった[1]
  • クラシック音楽やオペラにも造詣が深く、専門誌にしばしば原稿を執筆している。
  • 2007年4月27日、植木等の「お別れの会」では谷、犬塚と共に葬儀委員長を務めた。

[編集] 主な出演

[編集] 映画

太字は役名

[編集] 東宝クレージー映画

[編集] 男はつらいよシリーズ

[編集] その他

[編集] テレビドラマ

[編集] バラエティー

[編集] 外部リンク

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ 『THE OFFICIAL CRAZY CATS GRAFFITI』(エディシオン・トレヴィル、2007年)p.319

最終更新 2009年11月12日 (木) 06:00 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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