桜井和寿

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桜井和寿
基本情報
出生名 櫻井和寿
出生 1970年3月8日(39歳)
血液型 O型
出身地 日本 東京都練馬区
ジャンル J-POP
ロック
職業 作詞家
作曲家
担当楽器 ボーカル
ギター
活動期間 1985年-
事務所 烏龍舎
カズプロダクション
共同作業者 Mr.Children
小林武史
  

桜井 和寿(さくらい かずとし、本名:櫻井和寿(読み方は同じ)、男性1970年3月8日 - )は、日本ミュージシャン作詞家作曲家東京都練馬区出身。Mr.Childrenボーカリストギタリストであり、2004年からはBank Bandとしても活動している。アマチュア時代から一貫してMr.Childrenの楽曲のほとんどの作詞作曲を手がけている。身長172.5cm。

目次

[編集] 来歴

1982年
1985年
  • 4月、高校に入学し、田原健一中川敬輔らと共に軽音楽部内にバンド「Beatnik」結成。
  • 12月、初のオリジナル曲「クリスマスナイト」を製作。3人が当時付き合っていた彼女にプレゼントするのが目的だった[1]
1988年
1989年
1991年
  • 5月JUN SKY WALKER(S)寺岡呼人と桜井が「星になれたら」を共作し、「寺岡呼人&ヒズフレンズ 〜かわいい子には旅をさせろツアー〜」に参加。
1992年
1993年
1994年
1995年
  • 12月1日、寺岡呼人の3rdアルバム『GOLDEN CIRCLE』の中の5曲目「12月のメリーゴーランド」の作曲を共同で行い、9曲目「これが僕の愉快なヒューマンライフ」の作詞を手がける。
1997年
1998年
  • 3月5日KANの11thアルバム『TIGERSONGWRITER』の5曲目「Oxanne -愛しのオクサーヌ-」にMasato Kinugasaという偽名でコーラス参加。
  • 7月15日SWITCHによる企画「同時代ゲーム」として、ギター片手に歩きながら路上パフォーマンスを行った。渋谷、円山町のラブホテル街、原宿ラフォーレ前、池袋60階通り、新宿を闊歩。
2000年
  • 5月、前妻と離婚。
  • 6月、不倫関係にあった吉野美佳と再婚。
2001年
2002年
  • 2月16日、Sunnyの4thシングル「はじめの一歩」の作詞を共同で手がける。
  • 7月小脳梗塞で入院。約半年間、音楽活動を休止した。
  • 12月21日、病気療養から復帰、音楽活動を再開し、一夜限りのライブ「TOUR 2002 DEAR WONDERFUL WORLD IT'S A WONDERFUL WORLD ON DEC 21」を成功させる。
2003年
2004年
  • 1月、ap bankの活動の一貫として、「Bank Band」を結成。
2005年
2006年
2007年
2008年
  • 5月26日SHIBUYA-AX5月28日Zepp Osakaで行われる「LuckyRaccoonNight vol.2」にKANとのユニット「パイロットとスチュワーデス」として出演。

[編集] クレジットタイトル

Mr.Childrenに関しては、1997年までの楽曲では「桜井和寿」、1998年以降の楽曲では「Kazutoshi Sakurai」または「KAZUTOSHI SAKURAI」で表記している。ap bankおよびBank Bandでの活動の際には、本名である「櫻井和寿」の名義を用いている。

[編集] エピソード

[編集] 人物

身長172cm、体重64kg(昔の公表数値)。普段はもう少し体重は少ないが、ライブのときは体重が少ないと体力がもたないので64kgをキープする。デビュー当時は1.5~2.0程度の視力を自慢していたが、活動再開したときは0.3まで落ちた、とライブのMCで話していた。

右手に腕時計をするのは「左手にはブレスレットをしているので、その上から時計をすると邪魔になる。でも右手にブレスレットをするとギターを弾くときに邪魔になる」という理由から。

愛称は「桜井さん」「桜井君」「カズ」など。(コンサートでファンが呼びかけるときは、主に「桜井さん」)

ライブのMCやテレビ番組でのトークが苦手と公言しており、ライブDVDでは「MCをカットして欲しい」と頼んでいる。1994年頃はそんな自分自身や「真面目なMr.Children」というイメージを打破しようと、FM802のレギュラー番組「MISIC GUMBO」では下ネタを中心にMCを盛り上げていた。

「金を稼ぐことに罪の意識を感じる」と公言している。桜井は自己資金を、自らも設立に参加しているNGOap bank」に出資している。

[編集] 音楽

影響を受けたミュージシャンは浜田省吾甲斐バンド桑田佳祐ECHOESユニコーンなど。中でも浜田への憧れは相当なもので、子供の頃にコンサートに通い、部屋にスポットライトを作って真似をしたエピソードを紹介したり、浜田との対談で「世界でいちばん浜田さんの物真似が上手いミュージシャン」を自称している。桑田佳祐に関しては「サビへの盛り上げ方は桑田さんから」と、音楽性に多大な影響を受けたことを公言している[2]。ECHOESに関しては初期の曲をほとんどコピーし、THE WALLS時代の楽曲はその影響を色濃く受けている。ユニコーンは、アマチュア時代に出たオーディションのゲストで観て、「ユニコーンの"華"を自分なりに研究した」「アレンジ面で大きな影響を受けた」等と話している[3][4][5]

スピッツBUMP OF CHICKENスガシカオ尾崎豊U2は熱心に聴いたり歌ったりする程好き[6]。特に若手のバンドではBUMP OF CHICKENが好きで、「メンバーに入りたいぐらい」と話している[7]

人生で聴いた音楽の傑作にthe pillowsの「ストレンジカメレオン」を挙げており、Mr.ChildrenやBank Bandとしても同曲をカバーしている。なお、the pillowsとの親交もバンドを通じて深い。

カラオケはあまり行くほうではないが、基本的に自分達の歌は歌わない。よく歌う歌手は中島みゆきaiko、浜田省吾、甲斐バンド、スガシカオ、BUMP OF CHICKENなど

また、ハードロックは好きではないが、エアロスミスは例外で、時々口ずさむほどだという。

ギターを弾くために、右手の親指の爪にスカルプチュアを装着している。ラジオ番組において、「普段はアコースティックギターを弾くことが多く、エレキギターはあまり弾かない」といった趣旨の発言を行っている。

デビュー当時の3大目標は「CDを100万枚売る」、「牧瀬里穂と仲良くなる」、「笑っていいともに出演する事」だった。実家が工務店を営んでいるため、CDが売れたら引退して大工になる事も検討していた[8]。現在では、引退後は田舎で自給自足の生活を送りたいと考えている。

[編集] 学生時代

小学生の時は音楽が大嫌いだった。しかし両親の「何か一つこれだけは誰にも負けないというものを身につけろ」という教育方針のもと、得意のスポーツで活躍し、体育の成績はずば抜けてよかった。少年野球クラブに所属していたことがある。空手も習っていた。中学に上がると一転して落語研究会に所属し、坊主頭で「一休寿(いっきゅうことぶき)」として活動していた。

[編集] サッカー

大のサッカー好きである。1997年までは田原健一が監督を務める草野球チーム「ジミケン(地味な健一の略)」に所属し、野球を愛好していたが、1998年からサッカーのほうに傾いていった。「ジュビケン(ジュビロ磐田研究会の略)」という草サッカーチームに所属しており、ポジションはフォワード。 ライブ直前までサッカーを行いメンバーからもあきれられている。本人曰く、「ライブ直前までサッカーをやっている方が声がよく出る」からだそうである。

また数多くの現役サッカー選手と交友があり、特に名波浩と仲が良い。「I'LL BE」は彼のために作り、彼がイタリアに移籍する際には自ら名波への花束贈呈にヤマハスタジアムに登場した。2008年に行われた彼の引退式ではビデオメッセージが送られた。

サッカーを始めた頃からジムに通い、「趣味はトレーニング」というほど自分の身体を追い込んでいた。しかし、小脳梗塞で倒れてからは体調を優先させ控えめにしている。運動後のストレッチと、風呂上りのヨーガは欠かさず行っている。

[編集] 嗜好

昔は打ち上げ等で酒をかなり飲み、何度か急性アルコール中毒になり救急車で運ばれた事もある。酒癖は悪く、同席していたKANにからんだこともある(あとで謝罪のFAXを送ったことがきっかけで親しくなった)。記憶がなくなるまで飲んで、帰りにコンビニで大量のカップ麺を買いこんだこともある(ファンクラブ会報より)。しかし同様に小脳梗塞になった時期から酒の量を減らし、ツアー中だとほとんど酒を口にしない事もある。

ラジオの深夜放送を好み、特に伊集院光番組は、リアルタイムで聴けない時でも録音してチェックしている[9]。他には、深夜放送好きが昂じて爆笑問題番組にも出演している。伊集院に関しては、トークによってリスナー各人の想像力を引き出すというスタイルや考え方の点で深い感銘を受けており、既にファンを通り越して尊敬の域に達しているとのこと[10]

好きな本は、写真集『世界の子供たち』(新潮社)、『Happy News』等。

たばこは以前に吸っていた経験もあるが、現在はメンバーで唯一の非喫煙者で、嫌煙家である。


[編集] 関連項目

[編集] バンド関連

[編集] 関連人物

(50音順)

  • 岡田恵和 脚本担当したドラマに多数使われている。岡田氏自身がファンであることから。
  • ASKA

[編集] イベント関係

[編集] 外部リンク

[編集] 出典・参考文献

  1. ^ 『LIVE TOMATO』TVK、1993年2月25日
  2. ^ 『WHAT's IN?』ソニー・マガジンズ、2004年2月号
  3. ^ 奥田民生『FISH OR DIE』角川書店、1999年5月、89-91頁
  4. ^ 音楽サイト・バークス Mr.Childrenインタビュー
  5. ^ 別冊カドカワ 総力特集 奥田民生角川書店、2004年10月、119頁
  6. ^ papyrus 2007年11号
  7. ^ 『僕らの音楽』フジテレビ、2008年9月19日
  8. ^笑っていいともフジテレビ、1994年10月27日
  9. ^伊集院光 深夜の馬鹿力TBSラジオ、2008年11月18日
  10. ^僕らの音楽 -OUR MUSIC-』2008年12月12日

最終更新 2009年8月13日 (木) 07:38 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【桜井和寿】変更履歴

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