桜田淳子

桜田淳子の最新ニュースをまとめて検索!

曖昧さ回避 この項目では、元歌手の桜田淳子について記述しています。フリーアナウンサーの桜田順子については「田中順子 (アナウンサー)」をご覧ください。
さくらだ じゅんこ
桜田 淳子
別名 ジュンペイ
生年月日 1958年4月14日(51歳)
出生地 日本秋田県秋田市
血液型 O型
職業 女優、元歌手
ジャンル テレビドラマ映画舞台
活動期間 1973年 - 1993年
活動内容 1972年:『スター誕生!』決戦大会で25社からスカウトされ最優秀賞
1973年:『天使も夢みる』で歌手デビュー
同年:『わたしの青い鳥』で多数の新人賞を受賞
1978年:舞台『おはん長右衛門』
1979年:映画『病院坂の首縊りの家
1980年ミュージカル『アニーよ銃をとれ』
1985年:『澪つくし
1988年:『ニューヨーク恋物語
配偶者 夫(1992年 - )
家族 長男、長女、次女

桜田 淳子(さくらだ じゅんこ、1958年昭和33年)4月14日 - )は日本の元女優歌手である。秋田県秋田市出身。サンミュージック所属(活動当時)。重度の近眼。3児の母。秋田市立日新小学校秋田市立秋田西中学校品川女子学院中等部・高等部(転入)→国本女子高等学校(転入)卒業。愛称は「ジュンペイ」(月刊平凡・1976年9月号より)

目次

[編集] 来歴

[編集] 歌手として・女優として

1972年(昭和47年)7月19日(放映は8月6日)、中学2年生(14歳)の時に日本テレビの人気オーディション番組『スター誕生!』の秋田県民会館で行われた本選[1]牧葉ユミの『見知らぬ世界』を歌い[2]、番組史上最高得点となる573点で合格(挑戦者は7人で、合格ラインは250点。会場が500点、プロは各自100点の計500点で、合計が1000点満点)。同年9月6日(放映は9月17日)、後楽園ホールで行われた第4回決戦大会で、番組史上最高の25社(34社という情報もあり)から獲得の意向を示すプラカードが上がり、審査員からの評価も圧倒的で最優秀賞を受賞した。[1]ホリプロ創業者の堀威夫の自伝『いつだって青春』によれば当初桜田はホリプロ入りの意向を示していたが、ホリプロには既に同番組出身の森昌子が所属しており、(スタ誕の出身者が)同じ事務所ばかりに偏っては・・・という日本テレビ側の政治的配慮もあって結局サンミュージックに所属する事になったという。また桜田本人は後年テレビのトーク番組で、ファンだった森田健作が所属する事務所であり(『スタ誕』決戦大会にゲスト歌手として出演していた)、その森田自身が持つクリーンなイメージを事務所にも重ね合わせて決めたとも語っている。1973年(昭和48年)2月25日に『天使も夢みる』で歌手としてデビューし、たちまち人気アイドルとなり、同世代の山口百恵森昌子と共に花の中三トリオ(当時)と呼ばれた。『わたしの青い鳥』のヒットで、第15回日本レコード大賞最優秀新人賞、第4回日本歌謡大賞放送音楽新人賞を受賞。

続く4曲目の『花物語』からはヒットチャートのベストテン常連となり、『はじめての出来事』ではオリコンの第1位を獲得。その後も『ひとり歩き』『十七の夏』『夏にご用心』『気まぐれヴィーナス』『しあわせ芝居』『追いかけてヨコハマ』『リップスティック』『サンタモニカの風』等々、数々のヒットを飛ばした。シングルは累計で600万枚近くを売り上げ、18曲をチャートのベストテンに送り込んでいる。1975年(昭和50年)のオリコン・シングルレコード売り上げ年間第1位、ブロマイドや各種人気投票でも女性歌手部門で1位になるなど、文字通り1970年代を代表するトップアイドルのひとりであった。

また、『8時だョ!全員集合』等ではコントにおいても非凡な才能を見せる。特に志村けんとの「夫婦コント」(『私って駄目な女』シリーズ。夫役の志村けんから色々注意を受け妻役の桜田が落ち込み「私って駄目な女ね」と言い照明は青く音楽も短調になるが、すかさず志村が誤ると一転、桜田が立ち直り「わっほんと。淳子、感激」と照明は赤、音楽は長調に変わるというコント)は人気を博し、絶妙なかけ合いはお茶の間にとどまらず、井上ひさしら放送作家達からも絶賛された。演技の素養は早くから注目されており、1978年東宝歌舞伎の大御所、長谷川一夫の直々の指名により『おはん長右衛門』で初舞台ながら長谷川一夫の相手役を務めて好演、 2年後の1980年には初の主演ミュージカル『アニーよ銃をとれ』が高く評価され、当時史上最年少で芸術祭優秀賞を受賞した。この頃から歌手としてよりも女優としての活動に比重が置かれるようになっていき、1983年に発売された小椋佳作曲のシングル『眉月夜』を最後に歌手活動を止め、完全に女優へ転身。その後、数多くの映画舞台テレビドラマに出演した。レコード、映画、舞台、テレビ、エッセイ等の分野で得た賞の質と数は芸能界でも屈指のものである。花の中三トリオの中でも、背が高くスタイルが良かったため、グラビア写真のオファーが殺到し、当時の『週刊プレイボーイ』、『平凡パンチ』、『明星』、『平凡』などで多数のグラビアを飾った。

喋り方に特徴がありサ行の発音が印象的で、ものまね番組などで良く真似されていた。フジテレビの人気シチュエーションコメディ『やっぱり猫が好き』内でも出演者の一人である小林聡美が度々、披露していた。

秋田出身であるためアイドルでありながら70年代後半には井関農機田植機『さなえ』のCMに起用され、そのギャップが話題になった。「やっぱし早苗だべさ」と秋田弁で紹介しているが、後にザ・ドリフターズとの共演で発揮されるコメディリリーフとしてのセンスが垣間みられる。

[編集] 合同結婚式以降

1992年6月30日、5日前に山崎浩子が2か月後に行われる世界基督教統一神霊協会(統一教会)の合同結婚式に参加することを記者会見したのに続き、同じ合同結婚式に参加することを記者会見で表明した[3]。このとき、統一教会に入信していた姉の影響で19歳頃から入信していたことを自ら明らかにした。その合同結婚式で会社役員と結ばれ、夫の地元の福井県敦賀市に移り住んだ。

 この合同結婚式に桜田ら有名人が何人も参加したことによって、統一教会と脱会した元信者らを中心とする反統一教会側との間の訴訟問題がよりクローズアップされるようになり、その中でいわゆる「霊感商法」と呼ばれたものについてコメントを求められた際、「喜んでいる人もいる」[4]、「物を売ることのどこが悪いんですか?」「普通のビジネス」などと答えたことが霊感商法を擁護したとして批判を呼んだ[5]。しかしマスコミからは前述のような、発言の前後の流れを無視した言葉尻を取り沙汰されることも多く、また周囲に教団イメージを傷つけることになると説得されたせいか[要出典]、次第に発言そのものを控えるようになっていった。ちなみに桜田自身がこの件で直接告訴されたり、あるいは関係していたとされて訴えられた事実は現在まで一切ない。また、かつて自分の所属していた事務所サンミュージックの社長・相沢秀禎を売りつけていたのでは?とも報じられたが、これについては社長自身が「教会の講義を一度聞いてみたい」と桜田に頼み、紹介された関係者から後日購入したものであることを双方共に記者会見やインタビューで明らかにしており、両者の「売りつけた、買わされたということではない」という趣旨の発言が各局ワイドショーで放送されて以降、この件についてはフェードアウトしていった。その後も桜田が信者の集会や教会関連のイベントで講演したりしたことから「統一教会の広告塔」とみなされ芸能マスコミから度々批判を浴びたが、一方で直接関係のない話題であっても、統一教会絡みの話題に「桜田淳子らが参加した合同結婚式で有名な」と名前を引用した当時のスポーツ紙・週刊誌の記事、ワイドショーのタイトルも数多くあり、そのような中で自身の発言が誤解を生むのを避けるためか、結婚後のある時期からは、マスコミ向けに出したコメントはすべて自筆の手紙のみである。

1993年の3月に公開された映画『お引越し』への出演が現時点で最後の芸能活動となっている。騒動の最中、スポンサーが特定の宗教のイメージを嫌ってCMの契約が全部なくなったことや、「まわりには迷惑をかけられない」との理由で当たり役だった『細雪』の舞台(四女役)の降板を自ら申し出たことなどから、結婚後は仕事を干されたかのように報じられているが、1994年に長男を、1996年に長女、1998年には次女を出産し(いずれも自宅で自然分娩)子育てに専念していた間も映画出演等の具体的な出演依頼はいくつか来ており、関係者や本人によれば「子育てに忙しく身動きが取れない」という理由で全て断っていたとのことである。2000年4月に夫が経営していた会社をたたみ、同年8月、夫の高齢の母の世話をするため、近所の兵庫県西宮市に新築マンションを購入して関西に移り住む。その間2003年9月『桜田淳子BOX~そよ風の天使~』<完全生産限定10,000セット>が発売され、これにも自らの自筆メッセージを寄せて往年のファンを喜ばせた。2004年には東京都世田谷に転居。その後も桜田が統一教会関連の集会で講演したり、歌を披露したりしている姿が報じられ、また『日刊ゲンダイ』の芸能記事(無署名)では、夫は統一教会の幹部になったと報じられたりもしたが、2006年12月19日発売の『女性自身』での夫への直撃インタビューでは本人がこれを否定、現在は会社を整理した際に残った資産の運用で生計を立てていると答えている。

[編集] 近況

2006年11月24日には14年間の沈黙を破り、自作のエッセイ集『アイスルジュンバン』(集英社)が発売された。子育ての事、近所づきあい、学校の先生との触れ合い等について書いており、その良妻賢母ぶりに共感する声もあがる一方で、合同結婚式に参加し、マスコミから広告塔として騒がれたことについて一切触れていないとして、ワイドショーや週刊誌記事では軒並み批判的な論調が多かった。もっとも『婦人公論』(2007年1月22日付)のインタビューではこのことについても語っており、著書の中で触れなかったことに「隠したつもりはありません、ただ(教会のことについて)発言することでまた泥仕合になるのは避けたい、今の私は甘受したいと思います。」と答えている。また、同インタビューでは仕事復帰をほのめかす発言もしており、エッセイの出版や東京への引越もその足がかりでは、と見たマスコミによる「桜田淳子 芸能界復帰」の憶測報道もなされたが、2009年現在目立った活動は行っていない。

[編集] 音楽

[編集] 代表曲

[編集] シングル

A面タイトル 発売日 作詞 作曲 編曲 備考
天使も夢みる 1973年2月25日 阿久悠 中村泰士 高田弘
天使の初恋 1973年5月25日 阿久悠 中村泰士 高田弘
わたしの青い鳥 1973年8月25日 阿久悠 中村泰士 高田弘
花物語 1973年11月5日 阿久悠 中村泰士 あかのたちお
三色すみれ 1974年2月25日 阿久悠 中村泰士 馬飼野康二
黄色いリボン 1974月5月25日 阿久悠 森田公一 森田公一
花占い 1974年8月25日 阿久悠 中村泰士 あかのたちお 原案は雑誌『月刊明星』で公募
はじめての出来事 1974年12月5日 阿久悠 森田公一 竜崎孝路
ひとり歩き 1975年3月5日 阿久悠 筒美京平 筒美京平 主演映画『スプーン一杯の幸せ』主題歌
白い風よ 1975年5月10日 石森史郎 桑原研郎 竜崎孝路 NHK朝の連続テレビ小説水色の時』主題歌
十七の夏 1975月6月5日 阿久悠 森田公一 竜崎孝路
天使のくちびる 1975年8月25日 阿久悠 森田公一 竜崎孝路
ゆれてる私 1975年11月25日 阿久悠 森田公一 竜崎孝路
泣かないわ 1976年2月25日 阿久悠 森田公一 萩田光雄
夏にご用心 1976年5月25日 阿久悠 森田公一 高田弘
ねえ!気がついてよ 1976年8月25日 阿久悠 大野克夫 大野克夫
もう一度だけふり向いて 1976年12月5日 阿久悠 穂口雄右 高田弘
あなたのすべて 1977年2月25日 阿久悠 和泉常寛 船山基紀
気まぐれヴィーナス 1977年5月15日 阿久悠 森田公一 船山基紀
もう戻れない 1977年9月5日 阿久悠 筒美京平 船山基紀
しあわせ芝居 1977年11月5日 中島みゆき 中島みゆき 船山基紀
追いかけてヨコハマ 1978年2月25日 中島みゆき 中島みゆき 船山基紀
リップスティック 1978年6月5日 松本隆 筒美京平 筒美京平
20才になれば 1978年9月5日 中島みゆき 中島みゆき 船山基紀
冬色の街 1978年12月25日 橋本淳 中村泰士 萩田光雄
サンタモニカの風 1979年2月25日 阿久悠 萩田光雄 萩田光雄 ナショナルエアコンCMイメージ曲。
2007年に別歌手によってロッテ『ACUO』CMソングに起用される。
MISS KISS 1979年5月25日 阿久悠 佐藤準 佐藤準
パーティーイズオーバー 1979年8月25日 伊藤薫 伊藤薫 松井忠重
LADY 1979年11月25日 尾崎亜美 尾崎亜美 鈴木茂
美しい夏 1980年4月21日 康珍化 馬飼野康二 船山基紀
夕暮れはラブソング 1980年7月21日 岡本おさみ 深町純 深町純 TBSテレビドラマ『愛の教育』主題歌
神戸で逢えたら 1980年10月21日 三浦徳子 鈴木邦彦 鈴木邦彦・松井忠重
化粧 1981年1月1日 中島みゆき 中島みゆき 大村雅朗 中島のアルバム『愛していると云ってくれ』収録曲のカヴァー
玉ねぎむいたら… 1981年5月1日 山上路夫 平尾昌晃 船山基紀 TBSテレビドラマ『玉ねぎむいたら…』主題歌
ミスティー 1981年6月5日 小林和子 小田裕一郎 大村雅朗
This is a “Boogie” 1981年9月21日 実川俊 小田裕一郎 大村雅朗
1982年8月5日 犬丸秀 犬丸秀 青木望 2005年4月、早風美里がカヴァー。
眉月夜 1983年9月5日 茅野遊 小椋佳 奥慶一

[編集] 出演

[編集] 映画

[編集] ドラマ

[編集] CM

[編集] 舞台

  • おはん長右衛門(1978年10月 東京宝塚
  • おはん長右衛門(1980年3月 新歌舞伎座
  • アニーよ銃をとれ(1980年10月 新宿コマ
  • 大奥最後の日(1983年5月 帝国劇場
  • アニーよ銃をとれ(1983年9月 シアターアプル
  • 細雪(1984年2月 東京宝塚)
  • リトルショップ・オブ・ホラーズ(1984年8月 博品館劇場
  • 細雪(1985年5月 東京宝塚)
  • 細雪(1985年8月 国立文楽劇場
  • エドの舞踏会(1986年2月 東京宝塚)
  • 細雪(1986年3月 中日劇場
  • 十二夜(1986年7月 日生劇場
  • アニーよ銃をとれ(1986年10月 シアターアプル)
  • 女坂(1988年1月 東京宝塚)
  • 細雪(1988年5月 東京宝塚)
  • 細雪(1989年1月 国立文楽劇場)
  • 野田版・国姓爺合戦(1989年11月 銀座セゾン
  • 細雪(1990年10月 東京宝塚)
  • 細雪(1990年11月中日劇場)
  • 楡家の人びと(1991年5月 東京宝塚)
  • 墨東綺譚(1991年11月帝国劇場)

[編集] 紅白歌合戦

  • 『黄色いリボン』(1974)
  • 『はじめての出来事』(1975)
  • 『夏にご用心』(1976)
  • 『気まぐれヴィーナス』(1977)
  • 『しあわせ芝居』(1978)
  • 『サンタモニカの風』(1979)
  • 『美しい夏』(1980)
  • 『This is a "Boogie"』(1981)
  • 『セーラー服と機関銃』(1982)

[編集] バラエティ番組

[編集] みんなのうた

  • 春のゆくえ(1975年2月~3月)

[編集] 著作

  • 『テレビ人生!「そんなわけで!!」録』 池田文雄著 コアラブックス(イラストを担当) 1985年12月
  • 『神様がくれた贈り物(シルク)』 角川書店 1992年9月 ISBN:4041834015
  • 『アイスルジュンバン』 集英社 2006年11月 ISBN:4087804518

[編集] 受賞歴

  • 1973年度
  • 1974年度
  • 1975年度
  • 1976年度
    • 日本テレビ音楽祭 敢闘賞受賞
    • 全日本歌謡祭 ベストアクション賞
    • 日本歌謡大賞 放送音楽賞
  • 1977年度
    • 日本テレビ音楽祭 特別賞受賞
    • 日本歌謡大賞 プロデューサー連盟賞
    • 新宿音楽祭 ベスト10受賞
    • 日本レコード大賞 大賞候補10曲ノミネート
    • 全日本歌謡祭 ベストアクション賞
  • 1978年度
    • 日本レコード大賞 金賞『しあわせ芝居』
  • 1980年度
    • 文化庁芸術祭 大衆芸能第2部門 優秀賞『アニーよ銃をとれ』の演技
  • 1986年度
  • 1987年度
  • 1988年度
  • 1990年度
    • 第14回日本アカデミー賞 助演女優賞 映画『花の降る午後』の演技
    • 報知映画賞 助演女優賞 映画『花の降る午後』の演技
    • 日刊スポーツ映画大賞 助演女優賞 映画『花の降る午後』の演技
  • 1991年度
    • 第12回日本文芸大賞 ルポルタージュ賞 シルクロード探検ルポ『神様がくれた贈り物』
  • 1993年度
    • 第67回キネマ旬報 助演女優賞 映画『お引越し』の演技
    • 第48回毎日新聞映画コンクール 助演女優賞 映画『お引越し』の演技
    • 第17回日本アカデミー賞 助演女優賞 映画『お引越し』の演技


[編集] 脚注

[ヘルプ]
  1. ^ 本選・決戦大会の映像は現存していないが(写真は存在)、予選大会(司会者の萩本欽一が直接現地に出向いた)の映像(フィルム録画)は現存している。
  2. ^ 後に『スタ誕』に挑戦した山口百恵も牧葉の『回転木馬』を歌った。
  3. ^ 光言社出版企画部(編) 『誰も書かなかった国際合同結婚式』(光言社 1993年3月1日) ISBN 978-4876560301
  4. ^ 当時の記者会見ではTBS、フジテレビ等の芸能記者も前置きとして同様の発言をしている
  5. ^ 桜田淳子の芸能界復帰はない(有田芳生の『酔醒漫録』 2007年1月23日)

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月20日 (金) 13:15 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【桜田淳子】変更履歴

ご利用上の注意

もっと調べる!