梁瀬長太郎
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梁瀬 長太郎(やなせ ちょうたろう 1879年12月15日 - 1956年6月11日)は、日本の実業家。ヤナセ創業者。ヤナセ二代目・梁瀬次郎は二男。
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[編集] 経歴
群馬県碓氷郡豊岡村(現高崎市)に父・孫平の長男として生まれる。梁瀬家の先祖は甲州武田家の遺臣であり、江戸時代には農業、精米、養鯉などを家業としていた。[1]
豊岡村の小学校を卒業すると単身上京、東京府尋常中学校(のちの府立一中)に通う。故郷の豊岡村から自分で農産物を持ってきて、下宿の前で近所の人に安く売るなどして、学費と部屋代、本代をまかない、苦学して卒業した。[2]
1904年、東京高等商業学校(現一橋大学)を卒業し、大阪商船に入社するが、後に三井物産に移る。
大正9年、梁瀬自動車と梁瀬商事を設立、両社社長に就任するも、経済大不況から、仕入れた車はほとんど売れず、ノイローゼに掛かり、妻を連れて欧州に逃げるように旅行に出かけた。身も心も、会社も、瀬戸際に追い詰められていたが、大正12年・関東大震災が発生。大災害の時は、「人が動くよりもモノが先に動く」との直感で、独立の恩人である三井物産常務や周囲の反対にも拘わらず、GMにトラックを大量に注文、横浜へ出荷し、それが当たり、破産寸前から立ち直った。
[編集] 人物
- 生まれつき病弱で吃音だった息子次郎に対し、「できそこない」ときめつけ、ことごとくつらくあたった。「慶應風情のバカ学校に通って云々~」などとワンマンであった長太郎には息子・次郎は頼りなくみえたらしく、また次郎の方も幼き頃からそんな父に反発と同時に競争心も宿らせていた。当初は大学の同窓の後輩から社長に充てる腹積りでいたが、役員陣らの大反対で、結局は次郎に禅譲することになった。[3]
[編集] 家族 親族
- 妻 ちゃう(群馬県、黒沢市弥長女)
- 二男 次郎(実業家)
[編集] 系譜
- 梁瀬氏
中曽根康弘 ┃ ┣━━━┳美智子 ┃ ┃ 小林儀一郎━━━蔦子 ┃ ┗美恵子 ┏渥美昭夫 ┃ ┃ ┃ 渥美育郎━━━╋渥美謙二 ┃ ┃ ┃ ┗渥美健夫 ┃ ┃ ┏渥美直紀 ┣━━┫ ┃ ┗渥美雅也 ┏伊都子 ┃ 鹿島守之助 ┃石川六郎 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣よし子 鹿島精一 ┣━━━┫ ┃ ┃ ┃平泉渉 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣━━━━━卯女 ┣三枝子 ┃ ┃ ┃ ┃ 鹿島岩蔵━━いと ┗鹿島昭一 ┃ ┃ ┏公子 梁瀬長太郎━梁瀬次郎━━━━┫ ┗弘子 ┃ ┃ 稲山嘉寛━━━━稲山孝英
[編集] 参考文献等
- 『私の履歴書 昭和の経営者群像⑧』 日本経済新聞社 1992年
- 『現代日本人名録 物故者編1901-2000』
[編集] 脚注
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最終更新 2009年8月14日 (金) 19:47 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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