森之宮

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森之宮(もりのみや)は、大阪市中央区城東区東成区にまたがる一帯を指す地名である。「森ノ宮」「森の宮」とも表記される。住居表示では複数の町名に分かれる。

目次

[編集] 概要

住居表示としては、城東区森之宮および中央区森ノ宮中央がある。また、大阪環状線大阪市営地下鉄森ノ宮駅周辺1km程度の範囲を総称して森之宮と呼ばれることもある。上町台地の北東端に位置している。地域の西側はオフィスや公共施設が多く設置され、東側にはオフィスのほかに団地や住宅がある。城東区森之宮の一帯には大規模な団地が設置されている。

北西に大阪城、西に法円坂馬場町、東に緑橋、南に玉造がある。

道路は、南北方向に玉造筋、東西方向に中央大通が通る。また中央大通の上には阪神高速13号東大阪線が通り、森之宮出入口がある。

鉄道の便としては、大阪環状線が南北方向に通り、大阪駅方面と天王寺駅方面とを結んでいる。大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線玉造筋および大阪城公園の地下を通り、森ノ宮駅から次の玉造駅にかけては大阪環状線に並行するように通っている。東西方向には中央大通の地下に大阪市営地下鉄中央線が通っている。

[編集] 地名の由来

森之宮の地名は、当地にある鵲森宮(かささぎもりのみや。通称「森之宮神社」)に由来すると考えられている。

[編集] 歴史

縄文時代中期から近世にかけての長期にわたる複合遺跡である森の宮遺跡が発掘されていることから、森之宮地域には縄文時代から人が居住していたと考えられる。森の宮遺跡から貝塚が発見されていることから、古代のこの地は水辺の環境だったと考えられる。森の宮遺跡の貝塚の分析を通じて、縄文時代には海水性の貝、弥生時代には淡水性の貝が食されていたことが判明している。このことにより、上町台地東側に広がっていた海(河内湾)が淡水化して河内潟・河内湖へと変化し、その後土砂が堆積して大阪平野が形成されていく過程をうかがい知ることができる。

江戸時代になると、現在の中央区森ノ宮中央から玉造の一帯には、大阪城玉造口の警護を担当する与力同心が居住する同心屋敷が建ち並んだ。またなにわの伝統野菜「玉造黒門越瓜」の栽培地ともなっていた。

明治時代になり、現在の大阪城公園の場所に大阪砲兵工廠が設置された。これに伴い、大阪砲兵工廠のすぐ南側に位置する森之宮・玉造界隈は、工場に勤める人たちの町として発展した。1932年には国鉄城東線(現在の大阪環状線)の森ノ宮駅が開業している。また現在の城東区森之宮にあたる一帯には陸軍の城東練兵場があったが、その後1940年に大阪砲兵工廠の拡張用地として転用されている。

第二次世界大戦期には戦災のため、町は壊滅的な被害を受けている。現在のアピオ大阪の場所にあった森之宮国民学校(現在の大阪市立森之宮小学校とは別の学校)は、戦災被害のために終戦直後に玉造小学校に統合されている。

1960年代には城東練兵場・大阪砲兵工廠跡に日本住宅公団(現・独立行政法人都市再生機構)森之宮団地が建設され、1967年8月に入居が開始された。公団森之宮団地は、広大な土地にまとまった数の住宅と生活関連施設を計画的に建設する「面開発」住宅の第1号とされている。

[編集] 主要施設

[編集] 中央区森ノ宮中央

[編集] 城東区森之宮

[編集] 周辺地域

[編集] 関連項目

最終更新 2009年8月27日 (木) 11:14 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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